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アールという男
しおりを挟む「……肉まん」
ひとしきり泣き、涙が収まって思い出したのはコンビニの袋だった。
肉まんは袋のまま落として来てしまい、缶コーヒーも拾い忘れた。
元の世界の、最後の食事だ。もう片付けられているかもしれないが、いても立ってもいられずベッドから下りた。
「神子様、どちらへ?」
「えっ?」
扉を開けると、紺色の軍服を着た、体格の良い男が立っていた。腰には剣を下げている。
用があれば外の者に、とトキが言っていた。彼は護衛を兼ねた伝令係なのだろう。
「召喚された部屋に、白い袋と小さな丸い缶を忘れて来てしまって。大事なものなんですが……」
「これの事か?」
「え? わっ……!」
護衛の背後から声がして、姿を見せたのはアールだった。
あろうことかアールの手には、コンビニの袋が下げられている。たわみ方から見て、缶コーヒーも一緒に入っているようだ。
受け取ろうと手を伸ばし掛け、慌てて止めた。
『無理矢理アレを咥えさせられるの』
由茉の神妙な声が脳裏をよぎり、冷や汗が流れる。
(このまま押し入られたら、王子と強制イベントになるっ……)
「ありがとうございますっ、ではっ!」
奪うように受け取り、扉を閉めた。慌てて鍵も閉める。三つ付いた厳重さに感謝しながら、閉めた事までしっかりと確認した。
ドンッ!!
「うわっ!」
「開けろ」
「うええっ、ごめんなさいっ、眠いので無理ですっ」
「開けろと言っている」
「無理です!」
扉を叩くだけでなく蹴られ始め、今更敬語になる。まるでカツアゲだ。そして、口にアレを突っ込まれる恐怖で「ごめんなさい!」と繰り返した。
「おい、鍵を、……そうか、ないのだったな」
側の護衛に声を掛け、アールは溜め息をついた。
鍵は万全を期す為の物で、鍵を開けたところで神子の許可がなければ扉は開かない。許可以外で開くのは、神子の身に何かあった時のみだ。
「いいか、神子。良く聞け」
「なっ、なんですかっ」
「……覚えていろ」
「!?」
ガンッ! と最後に下の方で音がして、扉が揺れた。
(足癖も悪いっ……)
とても王子とは思えない威力だった。神子の許可という特殊な設定がなければ、蹴破られていたかもしれない。
それきり音はせず、風真はそっと息を吐いてソファに座った。
ガサガサと袋を漁り、肉まんと缶コーヒーをテーブルの上に並べる。今日はこれを食べてもう寝てしまおう。色々ありすぎて疲れてしまった。
「肉まん一個ないし……」
落ちて汚れていたのか、踏まれてしまったのか、はたまたアールが食べたのか。出来れば後者であって欲しい。もう戻れない世界の、最後の食事だ。
だが、王族が得体の知れない物を食べるとは思えない。やはり捨てられてしまったのだろう。
「……わざわざ届けてくれたのに、悪かったかな」
冷えても柔らかな肉まんをふにふにと揉みながら、扉へと視線を向ける。とんでもないイベント発生は避けたいが、あの態度は失礼だったと反省した。
次に会ったらきちんと謝ろう。そう決めて、かぷりと肉まんに噛みつく。肉汁が溢れ、噛む度に生地と混ざり幸せな味が広がった。
(……帰りたい)
幸せな味と共に、元の世界の記憶が蘇る。
生まれ育った世界。
大切な人のいる世界。
そこから自分だけが切り取られて捨てられてしまった、そんな疎外感と孤独が襲う。
姉との通話が出来なくなれば、自分とあの世界を繋ぐ糸はプツリと途切れてしまう。それは、次の通話の後か。それとも、まだまだ先か。
帰れなくともせめて、これからも話が出来れば……。
「帰りたい、よ……」
言葉にすれば、ぼろぼろと涙が零れ出す。
話が出来ても、笑顔はもう見られない。
仕事で疲れていても、夕食をいつも美味しいと言って食べてくれた。子供扱いで頭を撫でられる事も、ふざけて擽られる事も、もう二度と……。
「っ……」
両親の代わりに愛情を与えてくれた姉に、まだ何も返せていない。それなのにもう会えないなんてあまりに残酷だ。
だが、いくら泣いても、願っても、あの世界の光景が目の前に現れる事はなかった。
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