21 / 50
変質者
しおりを挟む野菜や冷蔵ものを冷蔵庫に入れながら、眉間に皺を寄せた。
なんて事をしてしまったのだろう。あの人の邪魔をしてしまうなんて……今の誰、なんて、何を考えて……。
「馬鹿だ……」
冷蔵庫を閉め、膝に顔を埋める。
ただ、ここに置いて貰っているだけ。
そのお礼にたまに性欲処理を手伝うだけ。
それから、仕事疲れを癒すペットの役割を貰っているだけなのに。
錯覚してはいけない。ここに居る理由を忘れてはいけない。
……撫でられるのは、もう慣れてしまった。猫扱いで可愛がられるのも。でも、行為の最中に優しくされるのは、嫌だ。
まだちゃんと、線引きを思い出せる。大丈夫だ。
でも、何だかもう、ぐちゃぐちゃだ。
さっきの女の人だって、自分には何の関係もないのに。もし恋人だったとしても、……この場所を、奪ってしまうとしても……。
血の気が引く感覚に、きつく目を閉じた。
しばらく蹲り、細く息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。
……まだ、大丈夫。まだ、追い出されない。
「あ、牛乳……」
そういえば、買い忘れてしまった。夜はホットミルクがないと何となく落ち着かないのに。
諦めてしまいたいが、仕方ない。下のコンビニで買って来よう。
外へ出るのはもうあまり怖くない。この辺りは住んでいた場所から離れている。
今、外出を躊躇ってしまう理由は……。
「いってらっしゃいませ」
エレベーターを降りロビーに出ると、受付カウンターのコンシェルジュが笑顔で挨拶をしてくれた。
声を掛けられる度に、毎回ビクビクしてしまう。会釈をするだけで精一杯だった。
こんなマンションに自分はあまりに不釣り合いで、外出を躊躇してしまうのだ。
広々としたロビーの中央には、大きな花瓶が置かれている。色とりどりの花に癒される余裕もなく、足早に傍を通り過ぎ外へ出た。
気分転換に、少し歩いてから買って帰ろう。
……そう思ったのが間違いだった。
「君、ひとり? 可愛いね。この後時間ある?」
道を歩いていると、見るからにナンパしそうな男性が話し掛けてきた。周りには誰もいない。対象は自分で間違いないようだ。
それならと、彼の傍を抜けて、歩調を速める。
「ねー、遊ぼうってー」
「……俺、男ですけど」
「あ、声かわいー」
「??」
思わず顔いっぱいに疑問符を浮かべてしまった。信じてないのかな? 男の人が好きなのかな?
そう思いつつ、無視を決めて歩いているうちに諦めたようだった。
公園に入り、ベンチに座る。気分転換のつもりが何だか余計に疲れてしまった。
俯き深く息を吐くと、ふと足元に影が落ちる。顔を上げると……見覚えのない中年の男性が立っていた。
「君、この辺りでは見かけない顔だね」
補導かな、と思うが、まだ夕方。怒られる時間ではない。
「ああ、突然ごめんね。もし暇なら、お小遣い稼ぎをしないかい?」
お小遣い?
首を傾げて、ハッとする。男性の顔が舐めるような視線に変わったからだ。
慌てて立ち上がり、出口へと走る。
なんで?
なんでこんなに声掛けられるの?
今までこんな事、夜中にしかなかったのに。
「そんなに怖がらないで。気持ちよくしてあげるよ?」
「っ……! 間に合ってますっ!!」
腕を捕まれ、思わず大声を上げた。
気持ちよくなんて、本当に必要ない。今でも余る程だ。
「間に合ってるんだ? 随分えっちだね」
「っ……!」
ゾワリとする声に、つい手を上げそうになった、その時。
「何かトラブルですか?」
別の男性の声がした。
振り向けば、体格の良い男性……警官が立っていた。
中年の男性はヘラリと愛想笑いをして、何でもないです、と言い慌てたように走り去って行く。
なんてタイミングで。
ホッとすると同時に酷い疲れが襲う。まさかこの短時間で二人にナンパされるなんて。
「大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます……」
何故か男性にばかり声を掛けられる。ここはそんな区域でもないのに。
……そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。
……いや、そんなはずない。昨夜も足腰が立たなくなるほどだったのに。
じわじわとショックを受けていると、警官は辺りを見回して神妙な顔をした。
「なるほど……。寛哉が言ってた通りだな」
小さく呟かれた声は聞こえず、首を傾げた。
「知人から、最近この辺りに変質者が出ると聞いていまして。巡回を増やしていたんですよ」
「そうなんですか?」
全然知らなかった。それなら遭遇しても納得だ。
「先程の男性とは特徴が違うようですが」
……なんで、なんで別の変な人にも遭遇したの……。
あまりの確率にキュッと唇を引き結ぶ。
やっぱり、物欲しそうな顔をしていたのかも。そうでなければこんなに狙われるはずがない。
「ご自宅はお近くですか? お送りしますよ」
「っ……いえ、大丈夫です」
警官なら安全。と思っても、巡回中ならそこまでして貰うのは申し訳ない。
「遠慮なさらず。これも仕事ですから」
さあ、と爽やかな笑顔を向けられ、断れなくなってしまった。
ここまでで、と途中で言っても納得せず、結局マンションまで送って貰う事になった。
マンション下のコンビニで牛乳を買おうとすると、警官も当然のようについてきた。そして何故かおすすめのカップ麺をあれこれと紹介され、つい買ってしまった。通販番組とか向いていそうだ。
そんな良く分からない状況で、無事帰宅した。
本当にただの、面倒見の良い巡回中の警官だった。
「……疲れた」
部屋着に着替え、ソファに横になる。
もしあの警官が助けてくれなかったら、中年男性の顔面を殴り股間を蹴って逃げていただろう。
いくら性的対象に見られても、自分は男だから。腕力で解決するべき時はするのだ。どうでもいい相手なら怒らせようがどう思われようが構わない。
少しだけ寝よう、と目を閉じる。
念のため家族には話しておくよう言われたが……あの人に報告は、やめておこう。余計な事は言わなくていい。
今後は、出掛けるのは大通りを通るスーパーだけにしようと決めた。
10
お気に入りに追加
394
あなたにおすすめの小説
【完結】お嬢様の身代わりで冷酷公爵閣下とのお見合いに参加した僕だけど、公爵閣下は僕を離しません
八神紫音
BL
やりたい放題のわがままお嬢様。そんなお嬢様の付き人……いや、下僕をしている僕は、毎日お嬢様に虐げられる日々。
そんなお嬢様のために、旦那様は王族である公爵閣下との縁談を持ってくるが、それは初めから叶わない縁談。それに気付いたプライドの高いお嬢様は、振られるくらいなら、と僕に女装をしてお嬢様の代わりを果たすよう命令を下す。
嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい
りまり
BL
僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。
この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。
僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。
本当に僕にはもったいない人なんだ。
どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。
彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。
答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。
後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。
帝国皇子のお婿さんになりました
クリム
BL
帝国の皇太子エリファス・ロータスとの婚姻を神殿で誓った瞬間、ハルシオン・アスターは自分の前世を思い出す。普通の日本人主婦だったことを。
そして『白い結婚』だったはずの婚姻後、皇太子の寝室に呼ばれることになり、ハルシオンはひた隠しにして来た事実に直面する。王族の姫が19歳まで独身を貫いたこと、その真実が暴かれると、出自の小王国は滅ぼされかねない。
「それなら皇太子殿下に一服盛りますかね、主様」
「そうだね、クーちゃん。ついでに血袋で寝台を汚してなんちゃって既成事実を」
「では、盛って服を乱して、血を……主様、これ……いや、まさかやる気ですか?」
「うん、クーちゃん」
「クーちゃんではありません、クー・チャンです。あ、主様、やめてください!」
これは隣国の帝国皇太子に嫁いだ小王国の『姫君』のお話。
[離婚宣告]平凡オメガは結婚式当日にアルファから離婚されたのに反撃できません
月歌(ツキウタ)
BL
結婚式の当日に平凡オメガはアルファから離婚を切り出された。お色直しの衣装係がアルファの運命の番だったから、離婚してくれって酷くない?
☆表紙絵
AIピカソとAIイラストメーカーで作成しました。
誰よりも愛してるあなたのために
R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。
ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。
前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。
だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。
「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」
それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!
すれ違いBLです。
ハッピーエンド保証!
初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。
(誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)
11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。
※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。
自衛お願いします。
十二年付き合った彼氏を人気清純派アイドルに盗られて絶望してたら、幼馴染のポンコツ御曹司に溺愛されたので、奴らを見返してやりたいと思います
塔原 槇
BL
会社員、兎山俊太郎(とやま しゅんたろう)はある日、「やっぱり女の子が好きだわ」と言われ別れを切り出される。彼氏の売れないバンドマン、熊井雄介(くまい ゆうすけ)は人気上昇中の清純派アイドル、桃澤久留美(ももざわ くるみ)と付き合うのだと言う。ショックの中で俊太郎が出社すると、幼馴染の有栖川麗音(ありすがわ れおん)が中途採用で入社してきて……?
運命の息吹
梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。
美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。
兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。
ルシアの運命のアルファとは……。
西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる