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変質者

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 野菜や冷蔵ものを冷蔵庫に入れながら、眉間に皺を寄せた。

 なんて事をしてしまったのだろう。あの人の邪魔をしてしまうなんて……今の誰、なんて、何を考えて……。

「馬鹿だ……」

 冷蔵庫を閉め、膝に顔を埋める。

 ただ、ここに置いて貰っているだけ。
 そのお礼にたまに性欲処理を手伝うだけ。
 それから、仕事疲れを癒すペットの役割を貰っているだけなのに。

 錯覚してはいけない。ここに居る理由を忘れてはいけない。

 ……撫でられるのは、もう慣れてしまった。猫扱いで可愛がられるのも。でも、行為の最中に優しくされるのは、嫌だ。
 まだちゃんと、線引きを思い出せる。大丈夫だ。

 でも、何だかもう、ぐちゃぐちゃだ。
 さっきの女の人だって、自分には何の関係もないのに。もし恋人だったとしても、……この場所を、奪ってしまうとしても……。
 血の気が引く感覚に、きつく目を閉じた。


 しばらく蹲り、細く息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。
 ……まだ、大丈夫。まだ、追い出されない。


「あ、牛乳……」

 そういえば、買い忘れてしまった。夜はホットミルクがないと何となく落ち着かないのに。
 諦めてしまいたいが、仕方ない。下のコンビニで買って来よう。

 外へ出るのはもうあまり怖くない。この辺りは住んでいた場所から離れている。
 今、外出を躊躇ってしまう理由は……。


「いってらっしゃいませ」

 エレベーターを降りロビーに出ると、受付カウンターのコンシェルジュが笑顔で挨拶をしてくれた。
 声を掛けられる度に、毎回ビクビクしてしまう。会釈をするだけで精一杯だった。
 こんなマンションに自分はあまりに不釣り合いで、外出を躊躇してしまうのだ。

 広々としたロビーの中央には、大きな花瓶が置かれている。色とりどりの花に癒される余裕もなく、足早に傍を通り過ぎ外へ出た。


 気分転換に、少し歩いてから買って帰ろう。
 ……そう思ったのが間違いだった。


「君、ひとり? 可愛いね。この後時間ある?」

 道を歩いていると、見るからにナンパしそうな男性が話し掛けてきた。周りには誰もいない。対象は自分で間違いないようだ。
 それならと、彼の傍を抜けて、歩調を速める。

「ねー、遊ぼうってー」
「……俺、男ですけど」
「あ、声かわいー」
「??」

 思わず顔いっぱいに疑問符を浮かべてしまった。信じてないのかな? 男の人が好きなのかな?
 そう思いつつ、無視を決めて歩いているうちに諦めたようだった。


 公園に入り、ベンチに座る。気分転換のつもりが何だか余計に疲れてしまった。
 俯き深く息を吐くと、ふと足元に影が落ちる。顔を上げると……見覚えのない中年の男性が立っていた。

「君、この辺りでは見かけない顔だね」

 補導かな、と思うが、まだ夕方。怒られる時間ではない。

「ああ、突然ごめんね。もし暇なら、お小遣い稼ぎをしないかい?」

 お小遣い?
 首を傾げて、ハッとする。男性の顔が舐めるような視線に変わったからだ。
 慌てて立ち上がり、出口へと走る。

 なんで?
 なんでこんなに声掛けられるの?
 今までこんな事、夜中にしかなかったのに。

「そんなに怖がらないで。気持ちよくしてあげるよ?」
「っ……! 間に合ってますっ!!」

 腕を捕まれ、思わず大声を上げた。
 気持ちよくなんて、本当に必要ない。今でも余る程だ。

「間に合ってるんだ? 随分えっちだね」
「っ……!」

 ゾワリとする声に、つい手を上げそうになった、その時。


「何かトラブルですか?」

 別の男性の声がした。
 振り向けば、体格の良い男性……警官が立っていた。

 中年の男性はヘラリと愛想笑いをして、何でもないです、と言い慌てたように走り去って行く。

 なんてタイミングで。
 ホッとすると同時に酷い疲れが襲う。まさかこの短時間で二人にナンパされるなんて。

「大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます……」

 何故か男性にばかり声を掛けられる。ここはそんな区域でもないのに。
 ……そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。
 ……いや、そんなはずない。昨夜も足腰が立たなくなるほどだったのに。


 じわじわとショックを受けていると、警官は辺りを見回して神妙な顔をした。

「なるほど……。寛哉ひろやが言ってた通りだな」

 小さく呟かれた声は聞こえず、首を傾げた。

「知人から、最近この辺りに変質者が出ると聞いていまして。巡回を増やしていたんですよ」
「そうなんですか?」

 全然知らなかった。それなら遭遇しても納得だ。

「先程の男性とは特徴が違うようですが」

 ……なんで、なんで別の変な人にも遭遇したの……。
 あまりの確率にキュッと唇を引き結ぶ。
 やっぱり、物欲しそうな顔をしていたのかも。そうでなければこんなに狙われるはずがない。

「ご自宅はお近くですか? お送りしますよ」
「っ……いえ、大丈夫です」

 警官なら安全。と思っても、巡回中ならそこまでして貰うのは申し訳ない。

「遠慮なさらず。これも仕事ですから」

 さあ、と爽やかな笑顔を向けられ、断れなくなってしまった。


 ここまでで、と途中で言っても納得せず、結局マンションまで送って貰う事になった。

 マンション下のコンビニで牛乳を買おうとすると、警官も当然のようについてきた。そして何故かおすすめのカップ麺をあれこれと紹介され、つい買ってしまった。通販番組とか向いていそうだ。

 そんな良く分からない状況で、無事帰宅した。
 本当にただの、面倒見の良い巡回中の警官だった。


「……疲れた」

 部屋着に着替え、ソファに横になる。

 もしあの警官が助けてくれなかったら、中年男性の顔面を殴り股間を蹴って逃げていただろう。
 いくら性的対象に見られても、自分は男だから。腕力で解決するべき時はするのだ。どうでもいい相手なら怒らせようがどう思われようが構わない。

 少しだけ寝よう、と目を閉じる。
 念のため家族には話しておくよう言われたが……あの人に報告は、やめておこう。余計な事は言わなくていい。

 今後は、出掛けるのは大通りを通るスーパーだけにしようと決めた。

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