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面白くない

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 そんなある日。
 胸元に寄り添い眠るシロの寝顔を見つめ、目元に掛かる髪をそっと指で払ってやる。
 すると、小さく口元が動いた。
 そして。

「わた、る……」

 小さく、声が零れた。
 少し甘えたような、柔らかな声。

 ああ、あいつの名前か、と特に驚きもなかった。
 予想通り、シロには好きな男が居る。夢にまで出て来るほどに想う相手を、この瞬間もずっと待っているのだ。

 ……だから何だ、と溜め息をついた。
 その男が何だろうと自分には関係ない。
 シロは恋人でも友人でもない。ただ拾って保護して、一時的に生活を共にしているだけの関係。
 分かっている。これ以上の深入りはしない。元から面倒事には首を突っ込まないたちだ。

 シロは、可愛い。一緒に居ると癒される。
 だがいつかは、ここを出てその男の元へ帰って行く。もし終わった関係だったなら、諦めがつけば出て行くだろう。いくら甘やかして構い倒していようとも、ちゃんとそのつもりでいる。
 連絡が来たら、相手の男が遊びではないかくらいは確かめたいと思う。それくらいの情なら許されるだろう。

 シロを捨てたか騙したかと散々想像しながらも、それは全て憶測。相手を知らずに悪い男だと決めつけてはいけない。……そう、思わせて欲しいのだが……。

 白い頬を伝う涙を指で拭い、また溜め息をついた。
 分かってはいる。けれど。

「わたるって誰だよ……」

 最初に聞いた声が知らない男の名前なんて、ただ、心底面白くなかった。




『仕事に行ってくる』
 リビングにメモを残して、シロが目を覚ます前に家を出た。

 まだ午前九時。
 適当なカフェに入り、空いている店内の奥、目立たない場所に席を取った。
 コーヒーと軽食を注文し、メールを開く。

 いつもは十時頃に起きて、洗濯をしたりゆったりと朝食をとってから、メールをしている。

 朝の時間帯は、仕事が大変だと嘆いていた客へのエールや、最近来ていない客へのアプローチを。
 夕方には、その日来店予定だと連絡のあった客へ『もうすぐ会えるね。待ち遠しいよ』といった内容のメールを送る。
 仕事終わりは来店してくれた客へのお礼メールを送ってから帰宅する。面倒臭い男にならないよう短い文章に、その日の会話の内容をさりげなく織り混ぜて。

 もうすぐ馴染みの客の誕生日だ。プレゼントの準備と……、そういえば別の客が昇進したと言っていた。指名は週末だったか。
 この後で見に行くか、とスケジュールを見ながらコーヒーに口を付けた。


 たまに仕事終わりに仲間と食事に行く時に、後輩から相談を受ける事があった。
 メールでは必ず相手の名前を呼ぶ事、自分だけに送ってくれたと思わせる内容にする事、記念日は必ず覚えておく事。その他諸々。
 基本を押さえるだけで随分変わってくる。
 それから、彼女達を大切なお姫様だと思い接する事だが、これは相手の客や、それぞれの接客スタイルで変わってくる。

 そんなアドバイスをしていると、憲剛けんごが『こういう営業という名の細やかな気遣いと優しさが、寛哉ひろやがNo.1たる所以だぞ』と後輩達に自慢げに話していた。
 何故お前が偉そうにする? と言うと、寛哉が奢ってくれるかなって、と快活に笑う。奢らねぇよと言いつつも、結局皆の分を纏めて支払ってしまうのだ。

 そして次の時には、憲剛が後輩と寛哉の分までスマートに支払いを済ませる。
 憲剛はこういうところが格好良いのに、何故総合的に若干残念な男になるのだろうか。


 仕事仲間にも客にも恵まれている。
 それなりに疲れる事はあっても、憲剛との気の抜けた会話や、慕ってくれる可愛い後輩達と接すると元気になれる。
 体の欲求の方も、客には手を出さない主義でも、発散出来る相手には困っていない。

 だから、シロが居なくなったとしても何も変わらない。以前の生活に戻るだけ。


 その時、大学生だろうか、男性二人が仲良さそうに窓際の席に座った。
 楽しそうに会話をして、笑い合って。
 シロも、あんな生活をしていて良い歳だ。仲の良い相手も居ただろう。連絡待ちの相手ではなく、普通の友人が……。

 ――……っつか、わたるって誰だよ……。

 忘れようとしていた事を思い出し、深く息を吐く。
 そう問い掛けてしまいそうで、シロが目を覚ます前に家を出た。

 詮索はしない。
 それがお互いにとって良い筈。
 あまり距離を縮め過ぎるのは良くないかもしれない。構い過ぎるのも、甘やかすのも、自分の欲であってシロには良くない。
 これからは適度な距離を……。


 ……。


 ……。


 …………まあ、無理だな。


 あっさりと考えを放り投げた。
 ただ甘やかすだけなら今まで一晩預かっていた捨て猫と同じだろう。それに、態度を変えるとまた怯え出すに決まっている。

 今するべきは、あの男の名を口にしないよう努めるだけ。
 窓際の学生達を見つめ、その眩しい姿にまた深く息を吐いた。

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