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糖質制限

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 来週には梅雨入りだろうか。空はまだ春の名残を残す様に爽やかに晴れ渡っていた。

 仕事が重なると週イチで通うことも難しくなる。四年にもなれば授業もほぼないのだろうが、隼音しゅんはまだ二年。ここひと月は大学と仕事の往復で一日を終える日々だった。たまに閉店後の外観だけ見に訪れていたのだが、大に知られたら、ストーカーか?と呆れられそうだ。

 大と一緒に訪れた翌週以来、久々に営業時間内に訪れた店の扉を開ける。いらっしゃいませ、と振り返った花楓かえでが嬉しそうに目を細めた。隼音しゅん君、と名を呼ばれると胸に暖かいものが広がる。

 ――やっぱり、好きだ。

 会えない間より、もっと好き。会う度に好きになる。花楓の笑顔をもっとしっかり目に焼き付けたくて、掛けていた変装用の眼鏡を外し胸ポケットに入れた。
 嬉しそうに迎えてくれる花楓は、自分のことをどう思っているのだろうか。ちょっと他より親しい常連さん、くらいに思ってくれていたら嬉しい。高望みはしない。迷惑になる事はしたくない。

 ……それでも、今は少しだけ、優しくして欲しかった。

「俺、しばらくここに来られないかもしれません。……ちょっと、その、糖分と乳脂肪分を制限されまして」

 仕事柄運動量が多いため肉や野菜は摂るよう言われているが、糖分と乳脂肪分は特に制限された。
 ひと月ぶりに来られたのに、今日で暫く食べ納めだ。悲しい。今は優しさが欲しい。

「えっ……もしかして、病気で……」
「あ、病気じゃないです。仕事的なあれこれです」

 口元に手を当て心配そうにする花楓に、パタパタと手を振ってみせた。

「お仕事?ご、ごめん、隼音君、大学生だとばかり……」
「あ、大学行きながら仕事してます」
「そうだったんだ。苦労してるんだね」

 ほろり、と涙を流しそうな顔で隼音を見つめる。誤解させてしまったけれど、アイドルです、と明かせるわけもなく。ごめんなさい花楓さん。心の中で手を合わせた。

「食べ物の制限があるお仕事なんて大変だね」
「そうなんですよー。といっても四ヶ月くらいなんですけど。太ったら駄目なやつで」

 ドラマで新しい役を貰った。旧校舎に住み着く幽霊の役だ。肝試しに訪れた生徒を、一人、また一人と死に追いやる役。その幽霊がお肌ツヤツヤのフクフクでは格好がつかない。
 連ドラとはいえ放送は八月から九月の全六回と短めだ。
 撮影自体は来月からの二ヶ月だが、体型を変えるのに今日からの一ヶ月を見ている。残りの一ヶ月は撮影が中断した場合の予備だ。
 歌の仕事も演技の仕事も同じくらい好きだ。やるなら全力。手を抜いて生き残れる世界ではないし、隼音自身も中途半端なことはしたくない。そのためには食事制限も苦ではない。……のだが。

「花楓さんのケーキが食べられないなんて、つらすぎて……」

 ただそれだけが、つらかった。
 とにかく美味しい。それに、花楓との唯一の繋がり。それから、愛情たっぷり込めて作られた料理を合法的に食べられる唯一の機会なのに。
 しょんぼりと肩を落とす隼音。すると花楓はふと思いついた顔で口を開いた。

「隼音君、来週の月曜以降で来れる日はあるかな?」

 そう言われ、スマホを開きスケジュールを確認する。月曜まで仕事が詰まっていて、火曜がオフだった。大学は午前中の一コマだけ。

「火曜の午後から丸々空いてます」

 他の日も探しつつ言うと、良かった、と嬉しそうな声が返る。

「その日、隼音君の都合のいい時にお店に来て貰ってもいいかな?」
「喜んで」
「ふふ、ありがとう」

 即答する隼音にそっと目を細めた。そのまま雑談をして、ふと気付く。あまり話しすぎるのも良くない。うざ絡みする面倒臭い常連にはなりたくないのだ。
 自然な流れを意識してショーケースを見る。今日で食べ納め。その後は暫くお預けだ。だから、今日だけは許されたい。

「ショートケーキとモンブランとオペラとキャラメルムースください。あ。さくらんぼのタルトもお願いします」

 いつもより大分多い注文に花楓は驚いた顔をしながらも、食べ納めと思ってくれるのかな、と何も言わずにケースから取り丁寧に箱に詰める。銀色の鳥のシールで封をして、紙袋に入れ隼音に差し出した。

「あ、お代はいらないよ?」
「え?でも」

 花楓さんに合法的に貢げる機会なのに。……と、うっかり口を滑らせかけた。財布を持ったまま隼音は花楓を見つめる。

「お仕事も勉強も頑張ってる隼音君に、ご褒美……というか、応援になったら嬉しいな」
「花楓さん」

 天使。と、またうっかり口を滑らせかけた。俺の天使が今日も眩しい。心の中だけでウンウンと頷く。
 さて、ここで断ってはせっかくの厚意を無碍にしてしまう。

「ありがとうございます。大切に食べます」
「こちらこそありがとう。お仕事、頑張ってね」
「はい!」



 ケーキを気にしながらも元気良く手を振る隼音を見送って、花楓は店内へと戻った。

「贔屓しちゃいけないのになあ」

 本当は、皆平等に接しなければならない。誰かを贔屓すれば不公平になる。
 ……いや、でも、子供たちの誕生日や誰かの記念日にはクッキーをおまけしている。店長も同じ事をするし、それは贔屓ではなく、大切な日にもうちょっとだけ喜びを添えたい気持ちと、大切な日にこの店を選んでくれた事へのお礼だ。
 いやいや、でも、全部プレゼントするのは……。

 悶々と悩み、ふう、と息を吐いた。隼音の嬉しそうな顔を思い出すと、やっぱりプレゼント出来て良かったなあと思うのだ。

 普段は一つか二つ、買って行ってくれる。“ケーキはその日のうちに食べるのが一番美味しいんですよね”と、初めて訪れた日に隼音はそう言って、悩みに悩んでショートケーキとモンブランを選んだ。“大切に食べます”と嬉しそうに言ってくれたあの時の笑顔を、今でも覚えている。それを隼音に言えばもう来なくなってしまうかもしれないから、これは秘密だ。
 あの大量のケーキたちもきっと大切に食べてくれる。そう思うと嬉しくて、頬が緩むのが分かった。去り際の笑顔を思い出すと、眩しくて。そっと、目を細めた。

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