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もしもの話:暖人と入れ替わったら(オスカー編)
しおりを挟む「え……、また入れ替わった……?」
「何が、…………何だと?」
目の前に自分の顔がある事で、暖人は瞬時に理解する。
寝起きのオスカーはぼんやりとした目で暖人……いや、自分の顔を見据えた。
「……夢か」
「すみません、オスカーさん、夢じゃないんです」
「………………入れ替わったのは、俺とお前の精神か」
ジッと見据え、わりと早々に理解した。
オスカーは体を起こし、己の手を見つめる。
「救世主なら、起こり得るだろうな」
(ウィルさんと同じこと言ってる……)
「その……救世主は関係なくて、月の女神様の悪戯だとノーマンさんが言ってました」
「そうか。白竜族が言うなら間違いはないな」
特にノーマンという、昔から人柄を知っている彼の言う事なら信用出来る。
「先月は涼佑と入れ替わったんですが、朝には戻りました」
「お前は二度目か。それなら今回も問題ないな」
「オスカーさんって、これでも驚かないんですね」
「伝説の救世主が目の前に存在してるくらいだ。何でもありだろ」
「俺ってそんなに不思議現象なんですね……」
目の前にいる自分の姿はただの人間だというのに、扱いがまるでUMAだ。
(……オスカーさんと、入れ替わった)
今更ながら実感する。
話す声が低い。腕を見ると、とても逞しい。
「あの、オスカーさん」
「何だ?」
「…………裸のまま鏡の前に立ってもいいですか」
「…………何故だ」
「え、だって、見たいです」
「普段から見てるだろ」
「そうですけど、この逞しい筋肉を持つ者の視点から見てみたいです」
「まあ、構わないが、それならこれでも見られるだろ」
布団を捲り、全身を光の元に晒す。
「っ、筋肉だ!」
暖人は高揚した声を上げた。
元々裸で寝ていた二人は、こうするだけで全てが晒される。
「すごい……筋肉、かっこいい……」
俺の顔でうっとりするのはやめてくれ、と言いたいが、中身の暖人が大層お喜びのようだから口を噤んだ。
「筋肉、俺が動かせます……腹筋すごい、触り放題……」
ペタペタと触りながら更にうっとりする。出来ればそれは入れ替わっていない時にして欲しい。
「お前は何度見ても細身だな」
「わっ! 見ないでくださいっ」
「昨夜も見たが?」
「うっ……そうですよね、今更ですよね」
「諦めが早いのも問題だな」
苦笑して、オスカーも腹に触れる。思ったよりも華奢に感じず、首を傾げた。
「ああ、お前の手が小さいのか」
「触って最初の感想がそれですか」
「嫌味じゃない。俺の手ではこの腹は、壊しそうで怖いくらいだと……触ってみろ」
「わっ、……本当ですね、押したら潰れそうです」
自分の腹ながら、怖くなってそっと手を離す。それなのにオスカーはきちんと恋人として抱いてくれる。その事に、嬉しさと愛しさと……。
「どうした?」
こうして覆い被さるのも潰しそうで怖いのに、抱いてくれているという事に感謝した。
「オスカーさん、次は俺が上に乗りますね」
「今からでも、……無理だったな」
暖人の顔で、眉間に皺を寄せた。
暖人が苦笑しながら上体を起こしたところで、涼佑の時と同様に身体が馴染んできた二人は、互いを見つめ目を瞬かせる。
「お前からは、俺はこう見えてるのか」
「かっこいいですよね」
「ああ、予想外だ」
暖人の目を通すと、頼り甲斐があり男らしく格好良い。見つめていると、胸の奥が熱いような、見つめていたいのに目を逸らしたいような感覚が湧き上がる。
暖人を見つめていると時々目を逸らされるのは、こういう気持ちからかと納得した。
オスカーの目を通し、暖人も自分を見つめる。
「……俺、小さいですね」
「可愛いだろ」
「不覚にもそう思いました。子供に見えます」
これは出逢ったばかりの頃に子供と間違えられたのも頷ける。
「お前の目から見ると、そこまで小さくはないな」
「ちょっ、どこ見てるんですかっ」
「この機会に弱いところでも探し」
「やめてくださいっ」
さわさわと脚や腹を触り始め、暖人は慌てた。
「それよりっ、これがオスカーさんのですよっ」
「……凶器か」
「ご理解いただけて何よりです」
「本当に痛くないのか? 少し突っ込んでみろ」
「え、自分を抱くのはちょっと」
「自分に突っ込まれる方が心の傷が深い」
「チャレンジャーですね。やりませんけど」
涼佑にも出来なかった事を軽々とやろうとする。そういえばオスカーは探求心が強い性格だった。
「この体はお前のものだったな。危うく怪我をさせるところだった。すまない」
「いえ、普通に入るので大丈夫ですけど……。オスカーさんが謝る時って、そんな顔してたんですね」
素直な表情筋が眉を下げ、しょんぼりしている。それがオスカーの感情からきていると思うと、愛しくてたまらなくなる。
そう思っているうちに、オスカーの体が自然と柔らかな黒髪を撫でていた。
「っ……なんですかこの手触りっ」
「触り心地がいいだろ?」
「はい……永遠に触ってられます」
絹糸のようにサラサラでなめらか。ただ撫でるつもりが、この髪の虜になってしまった。
(オスカーさん、手と指の感覚が繊細なのかな)
だからあんなにも撫で上手なのだと納得する。
撫で、と考えて、そっと頬に手を伸ばした。
「……なんですかこのもちもち」
「お前の頬だ」
「伸びますけど」
「お前の頬だからな」
「もちもち、永遠に揉んでいられます……」
もちもちもちもち。
むにむに、もちもち。
「赤ちゃん……」
「なるほど。お前が子供扱いされたくない理由が分かった」
「オスカーさんが子供扱いする理由が分かりました」
互いの感情が理解できて、二人は視線を合わせ笑い合った。
・
・
・
朝食後は暖人の頼みで、運動着を着て鍛錬用の庭に来た。
「すごい! どこまでも走れます!」
広大な庭十周でも軽いのでは。
「すごいな……、ここまでしか走れないのか……」
庭二周目で疲れてきた。
暖人は陸上競技は得意だが、主に短距離走と障害物走で、マラソンはそこまで得意ではなかった。
「あっ、すみません、俺の体がご迷惑を……」
「いや……迷惑じゃないが、転んで怪我をさせそうで……」
息まで上がる懐かしい感覚。オスカーも十代前半まではこの感覚を味わった事がある。
何よりオスカーの体で全力で走られて、暖人の体がついて行けるはずがない。自分の事ながら、あの体は相当鍛えているなと感動すらした。
「回復は早いな。若さか」
「オスカーさんも若いですよ」
「俺は体力はあるが、疲れは取れにくくなった。そのまま二十周してみれば分かる」
「二十周」
「ここはそこまで広くないからな。……いや、広いな」
暖人の目を通して見ると、広大だ。ここを二十周など人間離れしている。
「……脚の長さ、ですよね」
暖人が悔しげに呟く。オスカーの目から見れば、この庭は確かにそこまで広くない。何より一歩が大きくて、先程少し走っただけだが二十周も軽くいけるのではと思えた。
「好きなだけ走って来い。俺はそこで休んでいる」
「はい、じゃあ、お言葉に甘えて」
暖人の体のオスカーがベンチに座ったのを見届け、暖人は走り出す。
(あれ……? なんか、座るの見届けないと心配だったな……)
走りながら、思う。
きちんと座れるか、ベンチが壊れてはいないか、周囲に危ないものは落ちていないか、そこまで瞬時に確認してしまった。
走っている今も、暖人の体の方にチラチラと視線を向けてしまう。目を離したら心配。そんな気持ちがこの体に染み着いているのだ。
(過保護だなぁ……)
オスカーが子供扱いする理由も、過保護な理由も、……愛しいと思う気持ちも、ほんのりとだが全て感じられる。
きっと、オスカーにも暖人の気持ちが伝わっているのだろう。そう思うと、言葉で伝えるよりも恥ずかしいなと、走る速さを増した。
・
・
・
三周ほど走って、暖人はオスカーの元へと戻る。
「もういいのか?」
「はい。オスカーさんの体が、俺から離れたくないって言ってます」
「お前の体はそうは言ってないようだが?」
「えっ」
「走る俺に見惚れていた」
「みっ、……全部知られちゃうんですよね」
違うと言ったところで誤魔化せない。
拗ねた顔をしたつもりが、オスカーの顔では眉間に皺が寄るだけ。だがそれも暖人の目からはきちんと照れているように見えた。
子供は泣き出し、大人も怯えるこの顔を、暖人は嘘偽りなく格好良いと、愛しい人だと思ってくれている。
「お前が否定しようと、俺は三番手だと思っていたが……。二人でいる時は、俺しか見えてないんだな」
視線がオスカーを追い、世界一格好良く愛しい人だと心が訴える。
「誰が一番だと順位を付ける事すら出来ない。本当に言葉通りだったのか」
ふっと笑みを零し、暖人を見つめた。
「俺には、みんなが一番です。オスカーさんが俺を想ってくれてるのと同じですよ」
オスカーの気持ちも伝わり、嬉しそうに笑う。
「……ただ、オスカーさんは……俺以外に、本当に興味ないんですね」
屋敷の近くを歩くメイドや使用人を見ても、何も感じない。可愛い、優しそう、綺麗な髪色、と暖人が常に感じている気持ちが一切なかった。
「お前は全ての者に好意を持ち過ぎだ」
「そうなんでしょうか……」
「ああ。だがこれだけの好意があっても、俺以外に恋心を抱く可能性すらないのは、気分がいいな」
ふっと満足そうに笑みを浮かべる。素直な暖人の顔は、心から嬉しそうな笑みを作った。
・
・
・
しばらくベンチで寄り添い、また一緒に軽く走ってから、屋敷へと戻る。そろそろ昼食の時間だ。
それぞれの部屋でシャワーを浴びてから、暖人の部屋で食事をとる事にした。
「ハルト様、お食事をお持ちしました」
ノックの音の後に食事が運ばれてくる。普段のオスカーなら何も言わないところだが。
「……ありがとうございます」
オスカーは暖人のふりをして、笑顔を作って礼を言った。
「あの……お嫌いなものでもございましたか?」
普段ならすぐに下がるメイドが、眉を下げて話しかける。
「お体の具合がすぐれないのでは……」
もう一人のメイドがそう言って、同じように心配そうな顔をした。
「お熱はありませんか?」
「消化に良いものの方が良いかしら……」
何だこれは。
額に手を当てられ、お熱はないわ、でもお元気がないわよ、と二人で話し合う。
主人に忠実で、無駄話はせず、淡々と仕事をこなす優秀なメイドたちのこんな姿は見た事がない。
唖然としているとまた心配された。
「オスカ、……ハルト、どうした?」
そこで暖人が部屋に入ってくる。メイドたちに囲まれた自分の姿には、覚えがあった。
(俺、なんか心配されてる……)
最初はよそよそしかったメイドたちも、最近ではウィリアム邸の皆のように接してくれるようになった。オスカーがいる時には淡々と仕事をこなしているため、知らなかったのだろう。
真顔で動揺しているオスカーは、暖人を見るなり立ち上がった。
「オスカーさんがいなくて、寂しかったんです」
「っ……」
暖人の体が訴えるままに駆け寄り、ぎゅっと抱きつく。
「オスカーさんっ……」
「何も言うな」
小声で囁き合い、オスカーは目の前の逞しい胸筋に顔を埋めた。
「そうでしたか」
「差し出がましい真似を致しました」
メイドたちは安堵の表情を浮かべ、二人の邪魔をするまいと一礼して部屋を出て行った。
シンと静まり返る室内。
先に口を開いたのは暖人だった。
「……俺に甘えられるの、こんなに嬉しいんですね」
「……人前で甘えるのは、ここまで羞恥が酷いのか」
互いの気持ちが分かり、暖人はぎゅっとオスカーを抱きしめる。
オスカーは自分の体に抱きしめられ、安堵しつつも複雑な気分だ。
メイドに心配され、どうしようと思っていたところに自分が現れた。顔を見るなり安堵と共に言葉は零れ、体が勝手に駆け寄っていた。
暖人がそうしたいと思ってくれた事は嬉しい。だが、その行動をした中身のオスカーは居たたまれなさで眉間に皺を寄せた。
「だが、まあ、入れ替われて良かったとは思う」
冷静さを取り戻してそっと息を吐き、暖人の手を取りソファへと座る。
「この屋敷でお前がどう扱われてるか、知る事が出来た。あそこまでとは予想してなかったが」
「とても大事にしていただいてます」
暖人はくすりと笑い、みなさん優しいです、と目の前のサラサラの黒髪に触れた。
「お前が俺をどれほど想ってるかも」
「伝わって良かったです」
「俺の手が危険だと言う理由も、な」
「それは、分かっていただけて本当に何よりです」
ぜひもっと体感してほしい。
自分を撫でるのは不思議な感覚だが、中身がオスカーだと思うと愛しくてついつい頬や顎の下まで撫でてしまう。
「っ……、それ以上は……」
「あっ、すみません、俺の体でした」
中身がオスカーでも、体は自分。擽ったさがすぐに快楽に繋がるのだと失念していた。
「オスカーさん、いつも本当にただ普通に撫でてただけなんですね」
「他意がなくてもこれか」
「そうなんです」
オスカーの手は危険で、暖人の身体は感じやすい。
「それと、俺がオスカーさんに撫でられるのが好きな理由はこれです」
「……納得した」
髪を梳き、頭を撫でると、ふわふわとした心地よさに包まれる。初めての感覚。このまま眠ってしまいそうだ。
「このままだとすぐ寝ちゃうので、先にご飯にしましょう」
「そうか。ここまで残念がってたんだな」
「うぁっ、そこまで伝わりました?」
残念というより、もはや喪失感。
隙あらば頭を差し出す暖人の気持ちがよく分かった。
「出来ればこれからは、もう少し撫でて貰えると……」
「ああ、撫でてやる。その代わりお前は甘えてくれ」
「戻ったらいっぱい甘えますね」
こんなに嬉しいと思ってくれるなら、人前でも甘えたい。酷い羞恥心くらい、オスカーが喜んでくれるなら耐えてみせる。
「今のは、ハルトの声で聞きたかった」
「オスカーさんが絶対言わない言葉連呼してますね、俺」
眉間に皺を寄せるオスカーに、暖人はくすくすと笑う。
言葉もだが、この笑う声も、敬語で話す声も、オスカーの声で聞くのは貴重だ。
「俺も、俺の声じゃなくて、オスカーさんの声で……俺の名前を呼んでほしいです」
あまり名前で呼ばないオスカーだから、穏やかな響きで名を呼ばれると心が震える。呼ばれるだけで幸せになれる。
「ああ。聞き飽きるくらい呼んでやる」
「っ……俺、そんな意地悪な顔も出来たんですね」
「俺のその顔は驚いてるのか?」
「オスカーさん、ポーカーフェイスですから」
かっこいいです、と愛しげに瞳を細めるその顔に、暖人の心臓がどくりと跳ねた。
自分はいつもこんな顔で、暖人を見ているのか。
暖人はいつもこんな想いで自分を見ているのか。
「ハルト」
「はい、オスカーさん」
「……お前の声で、俺の名を聞きたい」
「戻ったら、いっぱい呼びますね。……あ、でも、オスカーさんに名前を呼んで貰えるのは特別な感じがするので、やっぱり俺はあまり呼ばないままでいてほしいな、とも……」
たくさん呼んでほしい。でも、と暖人は唸る。
自分の姿に暖人が透けて見えるようで、オスカーは小さく笑い、ぽふっと濃紺の髪を撫でた。
貴重な経験をして、得るものも多かった。
それでもやはり、自分の体で想いを伝えて、自分の体で想いを受け取りたい。
その気持ちは二人同じ。まだ高く昇る太陽へ、同時に視線を向けてしまった。
入れ替わりから戻ってしばらくは、暖人の体力を体感したオスカーによって庭や廊下を抱き上げて運ばれ、「逆に体力なくなりそうです」と暖人は苦笑してしまうのだった。
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