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皇子と熱

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 一方、リグリッドでは――。

「皇子が熱を?」

 涼佑りょうすけが訪れて、数日後の事だった。


 昼過ぎに発熱して解熱剤を飲んだが、数時間経った今もまだ下がっていないという。
 ストレスからくる発熱なら、一晩ゆっくり休めば治るだろう。涼佑の考えも、医師と同じだ。それでも心配した側近が、救世主の力で何とかならないかと訊いてきた。
 暖人はるとの力なら、熱も下がるのかもしれない。だが涼佑の力は戦う事と、敵の位置が分かる事、それから自分の身体強化だけだ。

「……ちょっと様子を見てきます」

 しばし考え、涼佑は書類を置いて立ち上がる。
 もし悪化するようなら、仕方ないが万能薬を使わせて貰おう。皇子は国にとって何にも代え難い存在だ。



 寝室に入ると、ベッドの側を仄かな暖色の灯りが照らしていた。
 物の少ない部屋では、大きなベッドが余計に大きく見えた。
 側のチェストの上には、写真立てが二つ。大判の写真かと見紛うほどの精巧な肖像画だ。

 母親と、二番目の兄だろうか。
 どちらも銀糸の髪に、緑の瞳をしている。
 母親は優しげに微笑み、幼い皇子を膝に乗せて描かれている。皇族というより、息子を愛する母としての柔らかな表情だ。

 兄はすらりとした体躯に、涼しげな眼差し。皇子の隣に座り、肩を抱いて微笑んでいる。

「……似てる、かも」

 ぽつりと呟いた。
 内戦中に髪を銀に染め第四皇子として貴族の元を回っていた時に、皆、どこか第二皇子に似ていると言っていた。
 第三皇子の雰囲気や癖を真似て、彼の兄弟と思わせようとしていたが……肖像画の中の、この体格、笑い方、雰囲気。確かに自分に似ている。
 顔立ちも少し離れて見れば似ているかもしれない。……世の中には同じ顔が三人いると言うが、別世界にいたという事か。


「う、ん……」

 魘される声に、涼佑はハッとして薄布のカーテンを開けた。
 涼佑の気配にも目を覚まさず、眉を寄せて魘されている。
 だが、熱で少し赤くなっているが、顔色は悪くない。唇も血色と艶がある。
 そっと手首に触れる。脈は少し速い。熱が一度上がると十多くなるから、二度近く高いといったところか。
 呼吸はしっかり出来ている。これはやはり、過労がたたっての発熱だろう。

 側に置かれた水の張られた桶に、タオルを浸して絞る。汗で額に張り付いた銀糸の髪を指先で払い、タオルをそっと乗せた。

 看病は暖人の時で慣れている。元の世界では時々熱を出す暖人を、付きっきりで看病した。
 あの時は暖人を失ってしまうのではと怯えていたが……相手が暖人ではないからか、万能薬があるからか、あの時のような恐怖はない。
 そもそも万能薬があれば、もし悪化しても生きてさえいれば回復出来る。その安心感は強い。

 別のタオルで汗を拭いながら、熱で暖まった額のタオルも交換する。
 今まで暖人以外を心配する事などなかった。だが。

 万能薬を、使うべきか……。

 涼佑は悩む。
 こうして寝込んでいると、普段よりももっと幼く儚く見える。熱で苦しんでいる姿は、可哀想だと……。
 きっと一晩寝ていれば熱も下がる。まだ安定しない国。万能薬は必要な時に備えて温存しておきたい。

「皇子……」

 細い手首。触れてみて気付いた、小さな額。華奢な彼が魘されていると、可哀想だと、心配だと思ってしまう。何とかしてあげたいと思ってしまう。

「……使う、かな」

 ぼそぼそと呟き、思案する。
 今までならそんな選択肢は存在しなかったのに……。


「兄、さま……?」

 皇子の目がうっすらと開き、涼佑を見つめる。

「にいさま……」

 焦点の合わない瞳。ゆるゆると腕を動かし、涼佑の手を探した。

「にぃさま……」

 薄暗い室内。朦朧とした意識。髪色が違っても、きっと気付けない。
 まだ兄がいた頃は、熱を出せば彼が看病していたのだろう。暖人の側に、涼佑がいたように。

「……ここにいるよ」

 力なく彷徨う手を掴み、もう片手で頬を撫でる。水で冷えた手に、心地よさそうに頬を擦り寄せた。

「にぃ、さま……」

 安堵したように笑い、皇子はまた目を閉じる。
 今度は魘されず、安らかな寝顔だ。


 皇子にはもう、家族はいない。
 母親は既に他界し、処刑された父親はあれだ。唯一仲の良かった第二皇子は殺され、残ったのは、存在を知らなかった第四皇子だけ。家族と思うにはまだ時間が足りないだろう。

 成人しているとはいえ、国を背負うには皇子はまだ若い。
 暴君の子だからと言われぬよう、付け入る隙を与えぬよう、ずっと気を張っていた。弱みを見せず、平然と公務もこなして。


 肖像画の中の、幼い皇子の姿。まだ何も知らず無邪気に笑う、愛らしい姿だ。
 あれからきっと数年しか経っていない。それなのに、国を背負う立場になった。頼れる者はいても、甘えられる者はいない。

 ……救世主という立場で皇子の隣に立てば、少しは負担を軽く出来るだろうか。国民には、良くなっていく国を側で見ていたくなったとでも言って。

「皇子と、結婚……」

 そうすれば、執政にも堂々と関われる。

 さらりと指の間を流れる銀糸の髪。白磁のように白く滑らかな肌。人形のような小さな唇。ほんのり血色を感じさせるそれは、見た目通りに艶やかで柔らかい。
 ここに触れたのは、内戦中のもはや事故と、酒の席での事。
 皇子の薄い唇は、仄かな暖かさで気持ちが良い。

 ……暖人の方が、体温が高い。
 暖人の方が、少しもちもちしている。
 暖人の方が、吸いつくような感触。
 どうあっても暖人を思い出してしまう。


 会話の流れで何度か求婚されたが、結婚は、やはり無理だ。
 人形のように整った顔の美少年。それが子供っぽさを見せる時は可愛いと思う事はあっても、恋愛感情は抱けない。

 それに、暖人と皇子を同時に好きになり、平等に愛せる自信がない。改めて考えると、三人を同時に愛せる暖人の愛情量は聖母以上ではないか。

 ……そもそもだ。結婚などすればこの国を離れられなくなる。それは絶対に無理だ。


 深く息を吐き、皇子の髪を撫でた。
 落ち着いて考えれば、恋愛対象というより弟だ。少し生意気だが可愛い弟。……兄弟とはきっと、こういう感覚なのだろう。

「竜の目……」

 ふと思い出す。ノアが言っていた。この目は竜の目だと。
 確かに、ノアやエヴァンのように中心に向かって色素が薄くなっている。だがこれは、西洋には良くある色だ。

 ……この世界では、竜の目。
 第二皇子に似た顔立ちと、雰囲気。
 竜族と、リグリッドの皇族の……。

「…………ない」

 さすがにそこまでラノベ展開はない。
 あるとすれば、帰ったら暖人にもう二人くらい恋人が増えていて、女性向け年齢指定ドロドロハードな溺愛展開に突入している事くらいだ。
 ……そうはさせないけれど。


 いい加減エヴァンが腹を括って皇子と結婚していれば、こんなに悩む事はなかった。
 いつまでも知らないふりをするから自分がこんなに悩んでいるのだ。

 怒りは全てエヴァンに向けて、すやすやと眠る皇子の頬を撫でる。
 せめて皇子が物分かりの悪い子供なら、エヴァンを押して押して頷かせる事が出来たかもしれないのに……。

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