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お兄様

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「……というわけだ」

 昨日の出来事を話し終えたウィリアムは、深く息を吐いた。

 約束通り、暖人はるとは今日からオスカーの屋敷に滞在する。
 暖人にと用意された部屋まで送り届けたウィリアムは、暖人の隣に座りしっかりと手を繋いでいた。

 昨日、一緒に湯船に浸かった暖人はボロボロと泣き出してしまった。
 引き離されなくて良かった。
 まだ一緒にいられて良かった。
 そう言って泣きながら笑う暖人に、胸が酷く締め付けられ、暖人を抱き締めたウィリアムもそっと涙を零したのだ。


「君のところなら大丈夫だとは思うが、もし母上が訪ねて来たらハルトを守って欲しい」
「ああ、言われずともそうする」

 暖人の向かいに座るオスカーは、真剣な顔で答える。

「お前の母親ならいつかは、とは思っていたが……」
「災難だったな~」
「えっ?」

 誰? 暖人は目を瞬かせた。
 すると扉が開き、じわじわと男性が顔を出す。

「堂々と立ち聞きしないでください」
「細かい事は気にするなって」
「何の用ですか、兄上」
「兄上っ?」

 オスカーに兄と呼ばれた彼は、するりと猫のように滑り込んできた。そしてオスカーの隣に座り肩を組むが、勢い良く叩き落とされていた。

 髪を茶色に染めてきて良かった、と暖人は安堵する。青ではまた隠し子かと疑われるところだった。
 それに兄とはいえ、別世界の人間だと知られて良いかまだ分からない。

(お兄さん……)

 オスカーと同じ濃紺の髪は、少し長め。前髪を片側だけ上げ、良く見える瞳は、澄んだ緑色だ。
 身長はウィリアムと同じくらいだろうか。オスカー程ではないものの、騎士と言っても通用する程の体格。顔も、オスカーの兄らしく男前。

(違うタイプのイケメンきた……)

 口元は薄く笑みを浮かべている。
 この顔とこの表情。例えるなら、女性向け溺愛系小説の大企業CEO……もしくは若頭だ。
 並ぶとあまりにもイケメン兄弟で目が離せなくなる。


「君が弟の婚約者殿か」
「っ……初めまして、ハルト・ニイナと申します」
「ハルト君、ね」

 オスカーの兄弟らしい、鋭い眼光。真っ直ぐに見据えられ、姿勢を正した。
 何を言われるのだろう。思わず身構えた、が。

「容姿だけでなく名前まで美しいな。弟じゃなく、俺と結婚しない?」

 兄はニッと笑い、暖人にウインクをした。

「………………オスカーさん。オスカーさんのお兄さん、ですよね……?」
「ああ」
「ウィルさんやラスさんじゃなく……」
「ああ」
「ウィルさんのお兄さんが、オスカーさんのお兄さんみたいでした」
「だろうな。誰もが一度は間違える」

 一番上の兄はもっと間違えられるのだが、ひとまず割愛した。
 ウィリアムの母親の時のように上から下まで見つめられ、暖人はまた姿勢を正す。あの時と同じ事を言われると覚悟して。


「君は、平民だと聞いたが」
「……はい」
「そっかそっか。貴族って面倒だし、オスカーの嫁になると大変な事ばかりだろうけど、弟の事見捨てないでやってね?」
「っ……」

 その言葉に、暖人は何も返せずにただ彼を見つめた。

「あれ? 結婚までは考えてなかった?」
「あ……いえ、あの……俺、庶民……平民、なんですけど……」
「うちはそういうの気にしないからさ。それなら余計に、大変な事があったら助けてあげたいと思ってるよ」

 優しく注がれる視線。柔らかく紡がれる、低く心地好い声。

「君に会うのは初めてでも、弟がご執心の相手なら、絶対いい子に決まってるしね」
「っ……」

 彼を映した瞳から、ぼろ、と涙が零れる。
 一粒零れたそれは、次から次へとぽろぽろと零れ落ちた。

「えっ、わわ、泣かせるつもりなかったんだけどっ」

 ごめん、と謝りハンカチを取り出す前に、ウィリアムが暖人の頬を拭う。
 オスカーも立ち上がり、暖人の隣へ座って宥めるように髪を撫でた。

 兄は目を見開く。ウィリアムはともかく、あのオスカーが自然にそんな事を。今見ているものは現実か、と。

「っ……、すみませんっ、俺、嬉しくて……」

 ウィリアムの母の事もあり、オスカーの兄にも同じように拒絶され叱責されるのではと思っていた。
 絶対に離れない覚悟はあっても、その事で拒絶される事が、引き離されるかもしれない事が、……本当は、怖かったのだ。

「ハルト」
「オスカーさん……」
「俺以外の奴の言葉で泣くな」
「っ、はい……」

 胸元に頭を抱き込まれ、すり……と頬を擦り寄せる。
 ここは絶対に安全な場所。心がそう訴える。きっと、死者の森で守ってくれた日からずっと、そうだった。


「うへぇ……」
「……何か」
「いやいや、驚いたというか、驚愕というか、幻を見たのかと」
「全て同じ意味ですが」
「そうだな。そうだよな、……オスカー、お前、本気なのか?」
「本気とは?」
「本気でその子と添い遂げるつもりはあるのか?」
「そのつもりで、先に騎士の誓いを捧げましたが」
「はあっ!?」

 大声が響き、暖人はびくりと震える。

「あ、すまない、……いや、騎士の……そうか……」

 あのオスカーが、国以外に騎士の誓いを捧げた。
 あまりの事に指先が震える。こんなに震えたのは、資産の半分を失うかどうかの商談の時以来だ。

 ちらりと暖人を見る。
 オスカーにもようやく想い人が、と驚きと共に喜んだものだが、国と同等、もしくはそれ以上に愛する相手だったとは。

 そんなに……と見つめても、素直で優しげで少し泣き虫な、綺麗な容姿をした少年としか今のところ分からない。
 オスカーははっきり物を言わない相手は嫌いだったから、二人になればハキハキ話すのだろうか。それとも、落ちてみたら恋は理想と違ったのか。


「いや、うん……ハルト君、心配しないでいいよ。本気ならキスしてみせろ~と、からかうつもりだったんだ……」
「えっ」
「ハルトを泣かせておいて不謹慎にも程がありますが?」
「そうだよなぁ、ハルト君、申し訳ない」

 深々と頭を下げられ、暖人は慌てて「俺は大丈夫ですっ」と返した。

 怒っても良いのに逆に申し訳なさそうに眉を下げる暖人に、こんなところに惚れたのかな? と顔を上げながら思う。何にしろ、素直で悪い事を少しも考えなさそうな子で良かった。

「君たちの反対をする気なんて全くないからね。ウィル君のとこはちょっとお堅くて厳しいけど、うちはオスカー以外はみんな俺みたいに緩いから安心して?」
「オスカーさん以外、ですか?」
「父上も母上もわりと過保護で、俺も含め、構われ過ぎるから嫌になってこの屋敷に移ったんだよな?」
「ああ。ここは静かでいい」

 迷いなく言うオスカーに、構われ過ぎて兄にこんなにツンツンするようになったのかと思うと何だかほっこりする。
 だが、出逢った頃の威圧感や不審な者への嫌疑や拒絶は、戦場での経験からだろう。オスカーの体に残る傷を思い出すとズキリと胸が痛んだ。

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