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鍋
しおりを挟む「ハルト様、リョウスケ様がお帰りにっ」
二日後の昼前。ソファで本を読んでいると、マリアが慌てて駆け込んで来た。
涼佑が帰ってきた。早く会いたくて、普段は走らない廊下を小走りで玄関ホールへと向かう。たった一日。それでも。
「涼佑!」
「はるっ」
慌てて階段を下りる暖人に、涼佑も駆け寄る。手を広げると、暖人は躊躇いもせずに数段上から涼佑に飛びついた。
「おかえり、涼佑っ」
「ただいま、はる」
暖人を受けとめ、抱き締める。周りで大勢に見られていても構わない。ここにはそれを嫌悪する人はいない。それどころか、皆、微笑ましく二人を見守っていた。
だが、二人はただ抱き合うだけ。熱いキスも、頬へのキスすらない。
おや? と皆が首を傾げてしまったのは、文化の違いもありつつ、屋敷の主があまりにも暖人へのスキンシップが多いからだ。
暖人は涼佑の肩口に顔を埋め、涼佑は暖人の背や髪を撫でている。
お二人は奥ゆかしい文化の国から来られたから、と皆一様に思い出し、納得した。
長い抱擁の後、二人はそっと離れ、名残惜しそうに見つめ合う。その姿は熱いキスより互いへの愛情が伝わり、二人の生まれ育った国は、心で繋がる文化なのだろうと感嘆の溜め息を零した。
「あっ……」
そこで暖人は見られている事を思い出す。冷静になると少し恥ずかしくて、涼佑を見つめほんのりと頬を染めた。
可愛い、と柔らかな黒髪を優しく撫でる。ずっとこのまま触れていたい、けれど。
「今すぐはるを独り占めしたいけど、先にこれを運んじゃうね」
「箱、大きいね?」
涼佑の背後には、大人四人が抱えてやっとの大きな木箱がある。これを涼佑とエヴァン二人で……いや、竜の背に乗せてきたところを想像するとまるで、竜の宅配サービス。
(絶対需要あるやつだけど想像しちゃったのが申し訳ない……)
何を想像したか涼佑には分かり、白竜族なら国内で事業展開しそう、と思ってしまった。
厨房に着き、床に置いた箱の蓋を開く。
「はると前に約束してた、魔獣の肉だよ」
そこには、大きな肉の塊が二つ入っていた。その大きさに周囲がざわつく。
「っ……」
暖人も一瞬息を呑んだ。暖人にはこれは刺激が強いのでは、と皆が思った時。
「すごいっ、新鮮っ」
そう言って、目をキラキラとさせた。
「穫れ立てだからね」
「涼佑、ありがとうっ」
感激のあまり、ぎゅうっと抱きついた。
エヴァンと共に何百頭も狩っていたと聞いていた暖人は、危険な事をしてまで、とは言わなかった。
暖人のイメージでは少し大きなイノシシだ。涼佑とエヴァンの強さを知る今なら、彼らの敵ではない事は分かる。
だが実際は、暖人がイメージする両手を広げたサイズのイノシシの、三倍はあった。
「ハルト君、リョウを度々借りてごめんな。お詫びに、一番美味い赤身部分と、一番脂の乗ってる部分を厳選して捌いて参りました」
「厳選……、エヴァンさん、ありがとうございます」
ごくりと喉を鳴らす暖人に、色気より食い気、とエヴァンはくすりと笑った。
他の部位は、もう一頭分の肉と共にリグリッドの城の厨房に運び、内戦中に料理担当だった者に渡した。今頃仲間で懐かしみながら食べている頃だろう。
「魔獣……」
「食べるのですか……?」
涼佑は確かに魔獣と言った。さすがに屋敷の者たちも顔色を変える。
「これは僕と暖人の住んでいた国にもいて、一部地域の郷土料理に使用されていました」
魔獣といってもこれはサイズが大きいだけのただの獣。自分たちの国の、猪という生き物と同じ見た目と肉質で……という説明が面倒で、簡潔に終わらせた。
「あの……、安全な肉ですよ。そうじゃなければ、涼佑が俺に持ってくるはずないです」
「そうですよね!」
皆、一気に納得した。
「すごいね。僕のはるへの想いはここでも浸透してるんだ」
「うん。そっちでもそうなの?」
「そうだよ。はるの事しか話してないし」
「えっ」
「聞いてくれるからずっと話してる」
「そうなんだ……」
仲の良さに嫉妬、というより、何を話されているのだろうと心配になる。実際に会った時にがっかりされないようにしなくては。
話しているうちに、これが魔獣の肉、と箱の周囲に人が集まる。
「はる。これ、脂身もさっぱりしててヘルシーだよ」
「本当にイノシシみたい。一度食べてみたかったんだ」
魔獣を? 元の世界の肉を? 皆また静かにざわつく。
そんな中で暖人は肉の大きさを見て、あれこれと考えた。
「すぐ料理しますので、エヴァンさんも食べて行ってくださいね」
「では、お言葉に甘えて」
暖人の嬉しそうな笑顔に、エヴァンは遠慮する事なくそう答える。だが。
「ん? ハルト君が作るのか?」
「はい」
にこにこと笑う暖人。エヴァンは涼佑を見た。
「暖人は包丁の扱いには慣れてますし、暖人が言うならあなたも食べて行っていいですよ」
「そうか。ありがとな、リョウ」
「お礼は僕じゃなく暖人に。暖人の作る和食は絶品ですよ」
「ワショク?」
「僕たちの国の料理の総称です。それに使う調味料と殆ど同じものが、モッル王国の一部地域で作られていたそうで」
涼佑はそこで言葉を切り、料理の邪魔にならないよう厨房の端に避けた。
「……はるのエプロン姿、可愛い」
シンプルで機能的な黒のエプロン。厨房の者たちと同じものを着ても、涼佑には暖人だけが輝いて見える。
「僕の妻です」
「あー、知ってた知ってた」
真顔で言う涼佑に、ハルト君不足だな、とエヴァンは申し訳ない気持ちになった。
「こっちはステーキにして、こっちはぼたん鍋に……。あの、味噌と、昆布か鰹節は」
「全て買い足しておりますよ」
「ありがとうございます」
暖人は笑顔で礼を言い、肉を大きな塊から小さな塊に分け、それぞれの料理用にスライスしていく。
野菜も材料分を揃え、暖人に肉と野菜の切り方を教わった厨房の皆で手分けして切り分けた。
その間に暖人は出汁作りをして、米を炊く。
涼佑と一緒に住むようになったら色々作ろうと思い、本とネットで様々な料理を覚えた。ぼたん鍋のレシピも何となくだが頭の中にある。
てきぱきと動きながら、暖人は箱を覗き込んだ。
大きな塊だ。半分は明日出勤の人たちの為に、と小さな塊に分けて冷蔵箱に入れた。それでも余れば生姜焼きやハンバーグにするのも良いかもしれない。
「はるが水浴び出来るサイズの鍋」
壁際で見つめていた涼佑が、ぽつりと呟く。
「リョウ、まさか……」
「暖人で出汁を取ったら美味しいだろうな、とか考えてないですよ」
「そうか?」
「僕が食べたいのは違う意味なので」
「そっか~」
そこまで暖人不足が深刻を極めていなくて良かった。エヴァンは胸を撫で下ろした。
「あんな大鍋で出汁を取ったら、僕一人じゃ食べきれないですし」
「絶対誰にも渡さないんだな」
「当然です」
ウィリアムとオスカーはもう仕方ないとして、他の人間が暖人を食べるなど許さない。
くるくると動く暖人を見つめながら、暖人の出汁ならミルクの味がしそうだな、とふと思ってしまった。
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