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ありえない
しおりを挟むその頃、リグリッドへと向かった涼佑は――。
「ありえないですよ」
皇子の執務室のソファに座り、盛大に愚痴っていた。
「帰ったばかりでこれからって時に……。確かに僕も暖人も、するより触れるだけのキスでお互いをじっくり感じたり、顔を見ながら話したりしていたかったけど……、西門入って右の壁沿い、四件目の建物に敵が三人入りました」
涼佑は顔を上げ、皇子の側近に声を掛ける。彼は外の兵にそれを伝え、パタリと扉を閉めた。
「まだ昼間ですけど、屋敷に帰ったら翌朝までじっくり時間を掛けながらとろとろのでろでろにして僕の事しか考えられなくするつもりだったのにっ……」
ぎゅううっとクッションを抱き締め……いや、絞め上げる涼佑を、皇子はにこにこと笑顔で見つめていた。
その隣で書類を整理していた側近は、無表情だ。無にしていないと吹き出してしまう。そろそろ顔の筋肉が痛い。
内戦時に幹部だった彼は、涼佑を軍師として敬っていた。この城へ移ってからは涼佑が丸くなった事もあり、わりと話しをする間柄だ。城での晩酌にも参加している。
普段は物静かで涼佑と気が合うのだが、皇子の側近ともあって癖の強いところがある男だった。
涼佑のこんな話は、晩酌の時に何度聞いたことか。
リグリッドの高潔な救世主の布の中身は、今やこんな面白い事になっている。いや、恋人に会えない事は可哀想な事この上ないのだが。
城へ来る度に崩壊していく最強の救世主で憧れの軍師に、幻滅するどころか親しみが湧き、笑い出したくてたまらなかった。
「笑いたいなら笑ってください」
「いえ、そんな。……ふふっ」
「リョウは戻る度に人間らしくなるな」
「人をロボットか冷血漢みたいに……」
涼佑は溜め息をつき、ソファの背に全身を預けた。
城の主の執務室で、こんなにも堂々と寛いでいる。以前よりももっと。それは、皇子と側近はそんな態度の方を好むと知っているからだ。
出逢った頃のように、どうでも良い人物相手の態度ではない。どこまでなら許されるかをきちんと見極めている。
「二人は学生だったと聞いたが、優秀な生徒だったのだろうな」
皇子の言葉に、涼佑は懐かしむようにそっと目を閉じた。
「そうですね。僕も暖人も授業をしっかり受けるタイプだったので、試験勉強で特別な事をしなくても点数が良かったです。それ以外は、普通の生徒でしたよ」
この世界のように戦闘で力を見せる事もなく、他人の事はどうでも良かった為、考えの裏を読む必要もなかった。目に見える優秀さと言えば、成績くらいだ。
一度思い出すと、次々に懐かしい光景が浮かぶ。
「購買のパンはいつも暖人と半分にしてました。あれもこれも食べたい、って暖人が目移りするので。でもジャムパンだけは甘すぎて、暖人と同じものを共有出来ないのが少し寂しかったです」
美味しそうに食べる暖人と、同じ味覚ならいいのにと思っていた時期だった。あの頃は暖人と何でも同じが良かった。それでもお揃いなんて持つ事も出来ずに、疑われないよう購買で同じ消しゴムとペンを買った。
卒業間際にはもうクラスメイトとは会わないと思い、お揃いのキーホルダーを付けて登校していたが。
「お揃いのキーホルダーを付けて一緒に登校した時、はるは僕のもの、ってみんなに見せびらかしてるみたいで気分が良かったな……」
この国では落としてしまうかもしれないと、今も暖人の鞄に一緒に入れて貰っている。
特にあのぬいぐるみストラップは絶対に失くしたくない物だったのに、この世界へ引きずり込まれた時に、鞄ごと崖の下に落としてしまった。
暖人がそれを持ってきてくれた時は、嬉しさのあまり泣きそうになった。波に呑まれなかったのは、二人の思い出が守ってくれたからだと柄にもなく思っている。
「……ああ、そうだ。学校の帰り道で、購買で買った炭酸を飲んでたんですけど、はるは一口飲むのに毎回立ち止まらないと飲めなくて、それがもう可愛くて……。可愛くて……しゅわってして美味しいね、って笑うはるを炭酸のCMに起用しないのはおかしいと思ったんですよ」
「そうか。リョウがそういうなら、そうなんだろうな」
パチッと目を開けて皇子を見る涼佑に、何か返答待ちだなと皇子は笑顔で答えた。
言っている事の半分は分からなかったが。
「彼の話をしているリョウは、一段と人間らしいな」
「……僕も、元の世界ではこんなじゃなかったです。人の目がある場所では暖人に可愛いとも綺麗だとも言えなくて、触れる事も、手を繋ぐ事も、見つめ続ける事すら出来なくて……」
「そうか……」
「全部胸にしまっておくしかなくて、それを今、異世界の特権だと思って口に出してます」
そう言って一つ伸びをした。
「……暖人があの二人と恋人にならなければ、ここでこんな風に話したりしてなかったんですよね。それはちょっと、今では考えられないです」
「リョウ……」
「あなた方にここまで気を許すつもりはなかったんですけど、……きっとはるも、こんな気持ちだったのかな」
会いたい気持ちは変わらないのに、ここにいるのが心地好い。胸の内を話せる人がいる事を、受け入れてくれる人がいる事を、嬉しいと思う。
涼佑は一つ息を吐き、またソファに沈んだ。
「今更ですけど、仕事の邪魔をしてすみません」
謝る涼佑に、皇子たちは顔を見合わせくすくすと笑う。そんな事を気にして謝るくらい、涼佑は丸くなったものだと。
「気分転換になってむしろ進んでいるぞ。……私の護衛がなければリョウも街に出られたのだが、すまない」
「いえ、別に。用事もないですし」
涼佑はあっさりとそう言った。
エヴァンが一日二日城を開けようとも、皇子を護れるだけの精鋭は揃っている。だがここ数日皇子を狙う者が増え、精鋭の半分が西部と南部の敵のアジトを一気に叩きに行っているのだ。
エヴァンが皇子の護衛に当たる予定だったが、緊急事態で涼佑に助けを求めに来た。それを聞き、ますます仕方ないなと思いここにいる。
「元皇帝派はもう残ってないはずですけど、次々に湧いてきて困りますね」
「そうだな。……早くハルトをこの国に迎えられるよう、頑張らなければな」
「そうですね。僕にも何か手伝える事があれば、……」
サッと側近が書類の束を差し出す。その言葉を待っていたとばかりに。
「リョウ殿の世界の視点から、気になる点があればお聞かせ願えればと」
「……復興案ですか」
ざっと書類に目を通し、涼佑は顎に手を当てた。
荒れた農業地の再生方法、職を失った者が多い地域と年齢層、教会を通しての支援の限界と問題点、その他諸々。
未だに皇子を狙う者が現れるのは、元皇帝派の残党……ではなく、武器商人が生活に困った民を金で雇っているからだ。捕らえた者の殆どはそうだった。
被害の少なかった帝都はほぼ復興したと言って良いが、これが地方の現状。根本を正さなければ、いつまでも皇子を狙う者は現れ、いつまでも暖人とずっと一緒にはいられない。
「僕も元はただの学生だったので、提案ぐらいしか出来ませんけど……少し考えてみます」
そう言うと、サッと白紙の束とペンが置かれる。そして紙の一枚を固い板に乗せ、ソファに座りながら書き物が出来る環境を整えた。……いや、整えたというより、こうなる事を見越して既に準備していたのだ。
「皇子。宰相はもうこの人でいいんじゃないですか?」
「私もそう思うのだが、フられてばかりだ」
「申し訳ありません。そうなると、皇子のお側を離れる時間が長くなりますので」
「ああ、皇子の熱狂的なファンでしたね」
それも皇子の幸せを一番に考えるファン。そうでなければ、皇子に気安く話しかける涼佑はこの部屋に入れて貰えていない。
「ファンではありません。常にお側を離れず皇子を護り、見守り続ける、皇子の影です」
僕の世界ではそれはストーカーと言って、と言い掛けた涼佑は口を噤む。確かに皇子の側を常に離れない者がいるのはありがたかった。
戦闘能力もなかなかで、切れ者で統率力と外交力もあるのだが、皇子に関しては二週間前の朝食や服の色まで即時に答えられる、少し残念なところのある男だった。
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※前作はこちら。→ 『後追いした先の異世界で、溺愛されているのですが。』
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