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*Day.3-2

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※R15




「……んっ」

 暖人はるとは背後を振り返り、オスカーの唇に触れるだけのキスをした。
 不意打ちしたら照れた顔を見られるかな、仕事の気分転換にもなればいいな、と思っての事だったが。

「え? うわっ!」

 くるりと視界が反転し、気付けばソファへと押し倒されていた。

「オスカーさんっ」
「暴れるな。書類が崩れる」

 暖人はぴたりと動きを止める。オスカーは照れるどころか、獲物を仕留めた肉食獣のような顔をしていた。
 しまった、と思った時にはもう遅い。顎を掴まれ噛み付くようにキスをされてしまう。


「んっ、ぅ……」

(俺、全く学習しないっ……)

 煽るなと言われて返り討ちにあった事が何度あったか。
 そしてこのキスに何度腰を抜かされてきた事か。

「ふぁ……ん、んんっ」

 普段騎士たちが訪れ、仕事をしている場所で、こんな事をして良い訳がない。一応救世主といっても、そもそも恋人を連れ込む事も良くないはず。

 そう分かっていても、押し返せない。
 書類が崩れるから、ではなく……。

「んっ、ふぁ……」

 どろどろに蕩けさせるようなキスが、あまりに気持ちが良くて。

(こんなとこで……、駄目なのに……)

 流されては駄目だと分かっている。こんな場所で、こんな事をしてはいけない。……いけない、という背徳感に、ぞくりと背筋が震えた。


 オスカーもこの状況に酔っているのか、熱の籠もった瞳で暖人を見据える。

 今まで淡々と仕事をするだけだった場所に、愛しい恋人がいる。この場所に暖人の存在を刻み付けたい。いつでも思い出せるように。
 首筋に噛み付くように痕を付け、服の裾から手のひらを滑り込ませた。

「っ、オスカーさん、ここじゃだめっ……」
「今更だろ」
「でも、これ以上は……」

 直に手のひらが触れ、びくりと跳ねる。さすがに駄目だとオスカーの手を掴んでも、知り尽くした弱い場所へと難なく進んでいく。

「ひゃぅっ、んっ、オスカーさんっ……、だめっ」

 いきなり強く尖りを摘まれ、いやいやと首を振った。それでもオスカーの手は止まらず、首筋にも幾つも痕が増えていく。

「だめですっ……ここじゃ、だめっ……」

 グッとオスカーの胸を押し返した、その時。


「失礼しますよ!」

 バンッ!! と勢い良く扉が開いた。

「仕事に手を付けていただく為に、ハルト殿をお呼びしたのですが?」
「すっ……すみませんっ!!」
「貴殿の非は半分以下でしょうが、素直でよろしい」
「ありがとうございますっ」

 メルヴィルはそう言って溜め息をついた。
 さすがのオスカーも舌打ちをしつつも体を起こし、暖人を隣に座らせる。
 今は脚の間は色々とまずい。暖人も、もぞ……と膝を擦り合わせた。

「しかしまさか、こんなにも予想通りの展開になっているとは」
「すみません……」

 居たたまれなさと羞恥で俯いていても、チクチクと感じる視線。暖人は素直に謝り深々と頭を下げた。

「顔を上げろ。お前は悪くない」
「オスカーさん……」
「俺も悪くないが。据え膳は当然喰うだろ」
「馬鹿な事を言わないでいただきたい。ハルト殿は据え膳ではなく、団長を走らせる為の人参です」

 眉間に皺を寄せ、指で眼鏡を押し上げる。
 その姿の様になっていること。タイミング良く顔を上げた暖人はつい見惚れてしまい、オスカーの不機嫌を増幅させた。

「人参扱いされて笑うな」
「でも俺がここに来た理由はそれですし、上手い表現だなと……」
「ハルト殿は大人でいらっしゃる。それに比べて」

 メルヴィルは冷たくオスカーを見下ろす。内心では「恋人とはいえ子供に論破されて情けないですね!」と盛大に高笑いをしていた。

「今は子供の気分だからな」
「プライドを何処に落として来られたのです?」
「何を言われても、今はコイツを腹一杯喰いたい気分だ」

 むしろそうしなければ、暖人は仕事が終わり次第さっさと逃げ帰ってしまいそうだ。


「団長は、この国とハルト殿、どちらが大事なのですか?」

(メルヴィルさん、彼女みたいだな……)

 腕を組み見下ろすメルヴィルに、そんな事を思ってしまった。

「どっちもに決まってるだろ」
「どちらか、と尋ねたのですが?」
「どちらも、だと言った」

 圧を掛けるメルヴィルに、オスカーはそう言い切った。
 どちらかなど選べる筈がない。どちらも生きる意味であり、世界そのものだ。

 迷うつもりもないオスカーに、メルヴィルは口の端を上げた。
 少しでもどちらかを選ぶ素振りをしたなら、どちらをも得る自信がないなど情けない男だと、幻滅するところだった。


「では、残りの書類が終われば、ハルト殿と共に三十分の休憩を与えましょう」
「……一時間だ」
「……ここは執務室ですが?」
「一時間だ」

 最後までするつもりか、とメルヴィルは眉をしかめる。
 今も、さすがに挿れるまではしないだろうと思っていた。赤の騎士たちならまだしも、青の騎士の頂点に立つ者が、こんな場所で本格的に睦み合うなど。

「オスカーさん、それは帰ってからで……」
「……仕方ない。口だけにするか」
「残念そうに言われても、それもさすがにここでは……」
「今日は帰れない。数日は無理だな」
「え……」

 暖人は口を閉ざす。
 ウィリアムも昨夜遅くに帰って来て、朝早くに出ていた。オスカーもそうなら、今ここで拒絶するのは良くないのではと思えてしまう。

(でも、王宮にある執務室でなんて……)

 理性が戻った今、やはり良くない事だと思う。他の騎士たちに知られればオスカーの立場も悪くなるのでは、と不安になった。


「卑怯な言い方をしたな、すまない」
「いえ……」
「お前を前にすると、今までの俺でいられない」
「オスカーさん……」

 眉を下げる暖人の頬を、指の背でそっと撫でる。

「俺自身……昔の自分よりも今の方が、人間味があって好感が持てるが、な」

 ニッと笑うオスカーを、暖人はぽかんとして見上げた。まさかこんな冗談を、と。
 メルヴィルはクッと笑ってしまい、咳払いをする。

「部下達とのコミュニケーションも円滑になりましたね」
「ああ。前は怒ると数日は死にそうな顔をしてた奴らが、ケロッとしてやがる」
「そんなエラそうな顔しても年下の恋人にはデレデレのくせに、と思うと優越感が生まれますので」
「まあ、否定はしないな」

 暖人の肩を抱き寄せ、ニヤリと笑う。

「オスカーさんの威厳がなくなっちゃってますけど、大丈夫なんでしょうか……」
「気にするな。甘く見る奴らにはそれなりの対応をするからな」
「えっ」
「今のところ、いないが」
「良かった……」

 心底安堵する暖人に、権力を笠に着るような人間ではないのだなとメルヴィルは見極める。
 良くいるのだ。権力者の寵愛を受けたからといって自分が偉いように振る舞い、他人を卑下して優越感を得る人間が。

 暖人はそれには当てはまらず、職務の邪魔になる事もない。
 今日の事も邪魔ではなく充分プラスになっている。出来ればもう少し強くオスカーの手綱を握ってくれれば良いのだが、今後の成長に期待だ。


 眼鏡の奥で暖人を見据えるメルヴィルに、オスカーは溜め息をついた。

「三十分後に取りに来い。その後は三十分、誰も入らせるな」
「承知しました」

 メルヴィルはにっこりと笑い、一礼して部屋を出て行った。

「三十分……」
「サインをする時間が五分はいるからな」
「二十五分でこれを……」

 暖人はサッとオスカーの膝の間に座り、書類を手に取る。それを見やすい位置に持ち上げる暖人に、つい小さく笑ってしまった。

「笑ってないで、早くしてください」
「分かった分かった」

 そう言って書類に目を通しながらも、口元が緩んで仕方ない。あんな事があってもまたここに座るとは、律儀というか、何というか。

 せっせと書類を捌く暖人の髪にキスをすると、そんな暇ないですよ、と叱られてしまった。

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