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協議の結果

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「大事な人……」

 暖人はるとがぽつりと呟く。
 その人のいない世界では生きていられない。生きている意味がない。その気持ちは、良く分かる。
 足手まといになるくらいなら離れた方が良いのだと、理解出来ても納得は出来ないその気持ちも。

 歩夢あゆむはまだ頭を上げないまま。
 一緒にいたい。離れたくない。それでも、邪魔になりたくない。

 ノアも手離したい訳ではなく、歩夢の為に、安全な場所へと返したいだけ。
 他の種族よりも、同じ救世主の、同じ世界の人間の傍が歩夢にとって最も良い場所だと考えて。

 互いを想い合うからこそ、離れる事が最善だと……。

(……俺は、そうは思わない)

 暖人は歩夢の両腕を掴んだ。
 彼らの間の障害は、人間が弱い生き物だという事だけ。


「歩夢君が怪我や病気をしたら、これを使ってください」

 歩夢を無理矢理抱き起こし、暖人はノアにある物を差し出した。

「これは?」
「王都のとある薬局で売ってる、すごい薬です。どんな怪我も病気もすぐに治るんですよ」
「王都の……」

 救世主の作った傷薬と万能薬だとは言えない。万が一何かあれば、秋則あきのりに危険が及ぶかもしれないからだ。
 だから王都の薬だ、と暖人らしくなく、しれっと嘘をついた。
 その隣で涼佑りょうすけがまたしれっとした顔をして。

「良く効くので一般には売られてないんですよ」

 暖人の考えが分かり、オスカーに鞄から薬を出して貰ったのは涼佑だ。
 涼佑としては、暖人に子守りを押し付けられても困るという理由と……やはり、想い合っているなら命を懸けても傍にいるべきだと思うからだ。暖人と同じく、その方が幸せだと考えている。

「必要になったら、そうだな……赤の騎士団長の屋敷を訪ねたらいいです。竜の姿になるくらいは、その黒い力を使わなくても出来ますよね?」
「ああ……」

 やけに威圧感のある子供だ、とノアは涼佑を見上げる。人間だと言うが、本当に竜族ではないのだろうか。
 それに、貴重な薬を分け与えてくれるなど。


「リュエールへ渡る事は許可出来ない」
「っ、オスカーさん」
「ごめんね、ハルト」
「ウィルさん……」

 暖人は言わんとする事に気付いた。涼佑も状況を察し、暖人を連れて壁際へと離れる。
 ウィリアムとオスカー、エヴァンは、ノアと歩夢の前に立ち二人を見下ろした。

「リュエール王国及びリグリッド帝国、両国の代表として我々は協議し、二人の処分を決定した」

 オスカーが淡々と告げる。
 実際にリュエール国王とリグリッドの皇子から、この件に関する全ての決定権を与えられている。オスカーたちの決定が、国としての決定だ。

 暖人は止める事も出来ず、息を呑み見つめる。震える歩夢を、ノアが守るように腕の中に閉じ込めた。
 ウィリアムは、静かに見上げるアメジストの瞳を真っ直ぐに見下ろし……。


「本来ならば、極刑に値する罪を犯した。だが、リュエール王国の救世主の恩恵により、死罪とはしない」
「っ……」

 二人は目を見開き、暖人は一瞬理解出来ずにウィリアムを凝視した。

「黒竜族ノアは、その命が尽きるまで他大陸へ脚を踏み入れる事を禁ずる」

 ウィリアムは冷たい表情のまま、淡々と刑を告げる。

「そして別世界よりの子、アユムは、黒竜族ノアの監視の元、他国への訪問を禁ずる。以上だ」

 簡略化したものだが、刑を言い渡したウィリアムは口を閉ざした。

 ノアは目の前に立つ三人を見上げ、信じられないものを見るように唇を震わせる。
 折角救われた命だが、極刑に処されるものだと諦めていた。せめて歩夢だけでも助けてくれと請うつもりで。

「…………良い、のか……?」

 自分への決定もだが、歩夢は期限が決められていない上、“訪問”だけを禁じている。それは、移住は認められるという事ではないか。

「リュエールの救世主に感謝することだな」

 まだ表情を崩さないままのウィリアムに、いいのか、とまた視線だけで問い掛けた。

 スフィーリス国は、他国と国交がない。
 つまり、リュエールやリグリッドの法で裁く事は出来ない。それは、法的拘束力のない、ただの一方的な口約束のようなものだ。
 勿論、他国へ入れば他国側は法に則り、問答無用で排除する事は出来るが。


「ノア……」

 安堵からぼろぼろと涙を零す歩夢を、きつく抱き締める。
 そんな二人を見つめ、暖人はようやく理解した。
 リュエールの救世主の恩恵という免罪符で二人が極刑を免れたこと。だが、リュエールに救世主がいる事は知られていない。つまり、ここだけの話という事だ。

 唖然として見つめる先で、ウィリアムがツカツカと暖人へと歩み寄る。そして。

「ハルト、怖がらせてすまない。国の代表として刑を言い渡すには、あまり緩い顔ではいけなくてね」

 暖人の前へ片膝を付き、頬を撫でた。

「ウィルさん……。いいんですか……?」
「ああ、今言った通りだよ。神の啓示を受けて救世主が救おうとするなら、彼らは処刑してはいけない者なのだろう?」

 だから極刑にはしなかった。そう言ってウィリアムはそっと目を細める。

「ウィルさん……」

 テオドールにもそう報告するつもりなのだろう。救世主の決定は、国王のそれより強い。
 本当は、国の為に危険因子は排除しておきたいはずなのに。

 ウィリアムを見つめる暖人を、涼佑が背後から抱き締めた。

「そうですね。そうしてたらその子が暴走してましたし、救世主を処罰しても何かしら起こってたでしょうし。まぁ、本当に人を殺めていたら、もどうだったか分かりませんけど」

 それはさすがの神も庇いはしなかっただろう。
 そう言いながら暖人をウィリアムから引き離す。だがウィリアムはまた近付き、暖人の頬を両手で撫でた。

「俺もリョウスケと同じ気持ちだが、決定は決定だからね」

 気持ち以外でも、こんな甘い刑にするほど情状酌量の余地はない。これは先ほど言った通りの理由での特例の措置だった。


 気の抜けた暖人は、ウィリアムの横から顔を出し、笑顔でノアと歩夢に声をかける。

「お二人が来られないなら、俺が定期的に様子を見に……」
「はる、何言ってるの?」
「……だよね」

 暖人にもさすがに分かった。減刑が認められたとはいえ、罪は罪だ。
 だが。

「……でも」
「駄目」
「歩夢君を放っておくことは」
「分かるけど、はるは駄目」
「でもそれじゃ、何かあったら……」

 ノアの事も、歩夢の事も放っておけない。特に歩夢は人間だ。薬が切れたらと思うと……。


「黒竜よ。鱗を一欠」

 ノーマンの言葉に一瞬息を呑んだノアは、すぐに服の中に手を入れる。腕の辺りで、パキッと音がした。

(鱗……? 人の姿なのに……?)

 暖人が首を傾げていると、ノーマンの前に艶やかな紫紺の欠片が差し出される。それをノーマンは受け取り、懐へとしまった。

「何かあれば連絡を」
「…………すまない」

 言葉は少なかったが、それで全て通じたようだった。
 それを見た暖人も胸を撫で下ろす。ウィリアムの屋敷に仕えるノーマンと連絡が取れるなら、もし何かあってもすぐに対応出来る。
 自分が行く事は止められても、何かしら手伝いは出来るはずだ。


「あの……はると、さん」

 安堵した暖人へと、歩夢がノアの腕の中から、おず……と声を掛ける。

「僕、元の世界では両親に殴られてばかりで、暴力が怖かったんですけど……」
「っ……」
「あ、違うんです。痛いのに嬉しいのは初めてだった、って伝えたくて」

 まだジンジンと痛む頬を撫で、歩夢は嬉しそうに笑った。

「僕のために叱ってくれたの、すごく、すごく、嬉しかったです。……はるとさんがお母さんだったら良かったのに」

(お、お母さん……)

 光栄な事を言われているのに、お母さんなんだ、と複雑な気分になる。お父さんやお兄さんではなく。

 それだと僕がお父さんになるけど、と言い掛けた涼佑は口を噤んだ。
 ウィリアムは、自分と暖人の子はこんな感じだろうかと歩夢を見つめ、オスカーは三人の考えている事が手に取るように分かり静かに溜め息をついた。

(お母さん、は複雑だけど……でも)

「俺の気持ちを分かってくれて、ありがとう、歩夢君」

 この気持ちがきちんと伝わった事が、出会ったばかりなのにそんなにも親しみを持ってくれた事が、嬉しかった。

「それじゃあ、もう少しだけ話をしてもいいかな? 君に伝えておきたいことがあるんだ」
「はいっ」

 歩夢は良い子の返事を返し、暖人の言葉に真剣に耳を傾ける。


 救世主としてのあれこれを、優しく分かりやすい言葉で伝える暖人。小学校の先生かな、と涼佑はさすがにそっと溜め息をついた。

 歩夢は元の世界で栄養不足だったのか、随分と小柄で幼く見える。だが年齢としてはそんなに子供ではない。と、涼佑は推測している。

 この話が終われば早々に帰ろう。そうしなければ、実はかなりの世話焼きで可愛いもの好きの暖人が、歩夢から離れたくなくなってしまう。


「……本当に、思ったのと違ったな」

 誰が死ぬ事もなく、平和的に丸く収まった。心の内では割り切れないものが数人に残ったとしても、これで一件落着だ。

 忌々しい声の通りにもした。暖人が望むように彼らに薬も渡した。そうすると決めたのは自分だ。
 暖人は嬉しそうで、それならやはりこれで終わりなのだと、涼佑は自分に言い聞かせた。

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