後追いした先の異世界で、溺愛されているのですが。2

雪 いつき

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 泣きじゃくる歩夢あゆむと、宥めるように背を撫でる暖人はると
 元の世界は自分に冷たく怖いところだったと話した歩夢が、警戒する事なく縋り付いている。それは相手が彼だからか、それともやはり、元の世界が恋しかったのか……。

 彼がリュエールに現れた救世主なら、闇が見えなかったのはそのせいだろうか。

 大公妃の夢に彼が入り込んだのは、この力がまた予期せぬ事態を引き起こしたからだと思っていた。だがそれも意図したものだったのだろう。
 彼女を通じて覗けなくなったのも、彼が目覚めさせたから。
 そんな力を持つ者が、ここにいるという事は……。

「……全て、失敗したのだな」

 それに取り返しの付かない事態になっていたなら、今もこちらを睨み付けているあの人間が、ただ痛みを与えるだけで済ます筈がない。

「そうか……」

 静かに見つめる彼らの視線。そして穏やかな顔で歩夢を抱き締める暖人を見つめ、ノアは小さく笑った。
 残りの命を懸けた最後の抵抗だったが、ここまで完敗ならもう笑うしかない。

「リュエールの救世主よ。アユムを返して貰うぞ」

 竜の腕の中からすんなりと歩夢を引っ張り出せたのも、救世主の力だろうか。まるで消えるようにするりと擦り抜けてしまった。

 叩いてごめんなさい、と眉を下げる暖人へと小さく首を振る。危害を加えるつもりがない事は分かっていた。
 背後から包み込むように歩夢を抱き締め、赤くなった頬を撫でる。その手に擦り寄る歩夢に、そっと目を細めた。


「……一つ訊きたい。何故、実際に黒い服を着なかった?」

 ウィリアムは、気になっていた事を尋ねた。目撃者全ての記憶を操作して黒にするくらいなら、最初から黒を着ていれば良かったものを。

 その問いにノアは一瞬惑い、視線を伏せる。

「……黒は嫌いだ」

 答えは、そんなものだった。

 皇子の側に黒い服を着た者、という事に意味はなかったのか。ウィリアムは呆気に取られてノアを見つめる。

「私が白竜族ならば、この子が苦しむ事もなかった」

 ただの好みではない。ノアにとって、黒は忌むべきもの。

「この子の髪が黒でなければ、この世界に呼ばれる事もなかった。恐ろしいものを見る事も、こんな場所で孤独に暮らす事もなかった」
「ノア、僕は」
「記憶を黒に変えたのは、その色を世界と共に葬りたかったからだ」

 歩夢の言葉を遮り、胸元へと抱き込む。
 元の世界がどんなものだとしても、この世界に、黒竜族の救世主として呼ばれるよりは、幸せになれたはずだ。


 それきり口を閉ざしたノアの前に、ふと影が落ちた。

「黒髪じゃなくても、呼ばれてましたよ。僕も別世界から来ましたから」
「っ、だが、お前は……」
「別世界にいるのは黒髪だけじゃありません」

 まだ二人の側にいる暖人の腕を引き、立ち上がらせる。もう良いだろうと壁際へと連れて行く涼佑りょうすけに向けられる視線。

「お前も、別世界の者だと……?」
「そうですけど」
「だがお前は……竜族では、ないのか?」
「……僕は人間です」
「だが、その目は」
「人間です。元の世界にはこんな目の人もたくさんいました」

 きっぱりと言い切る。

「僕は物心つく前からずっと彼と一緒でした。ずっと一緒に生きてきたんです」

 元の世界ではこんな力はなかった。この世界でも、竜の姿にはなれない。エヴァンからもそんな事は聞いた事がない。自分が竜の子など、あり得ないのだ。

 ……そうでなければ、暖人はこの世界で本当に独りに……いや、秋則あきのりと歩夢だけが、同じ世界に生まれた、同じ世界の人間になってしまう。
 ずっと一緒にいたのに、自分だけが暖人と違うものに……。

「……そうか」

 ノアはそっと視線を伏せた。

 竜族の瞳は一部が特徴的な黄緑色をしている。ノアも虹彩の中央部はその色だ。
 だが彼が人間だと言うならば、そうなのだろう。ノアにも彼が竜族かどうかはっきりと分かる訳ではない。それに別世界の人間の事は、歩夢以外何も知らないのだ。

 例え体に何の血が流れていようとも、大切な者と同じ存在でいたいと言うならば、それが正しいと思えた。

「思い違いだった。すまない」
「……いえ」


 涼佑が言った、思ったのと違った、という言葉。
 ウィリアムやオスカーにとってもそうだった。
 その事で、問題が起きてしまった。

「……オスカー」
「ああ。だが、ハルトが許さないだろ」
「そうだとしても」
「まあ、俺も同意見だ」

 事情は聞いた。同情もする。だが、犯した罪が消えた訳ではない。
 そしてその力に少しでも驚異があるならば、国の為、世界の為、ここで摘み取ってしまわなければ。

 だが、黒竜族の救世主はどうするか。今まで罪を犯した救世主の伝説などなかった。罰すれば何が起こるかも分からない。
 どうする事が正しいのか、リュエール国王にこの件を一任された立場として、二人は頭を悩ませる。


 二人から離れた壁際で、暖人はノアをジッと見つめていた。

「あの黒いのは、俺の力で治せるかな……」
「どうだろうね。彼ごと消えるかも」
「……でも、まだあの竜たちみたいにはなってないし」
「失礼ながら。黒竜族は夜闇から力を得る者。太陽の光を力とする白竜族の治癒力も、毒でしかありません。おそらくハルト様のお力も、薬も、あの者には毒にしかならないかと」

 救世主の力をこの世界の尺度で分類出来るか定かではないが、死者を空へと帰す浄化の光は、太陽に属するもの。歩夢が使う眠りの力は、夜に属するものと思われる。
 だとすれば涼佑の言うように体ごと全て消えてしまうか、大怪我を負うかだ。

「ですが、腐敗の原因が己の力ならば、その身に巣喰う力のみ浄化出来れば或いは……」
「……力は、全身に広がっているんじゃないでしょうか」
「おそらくは。体には、血の流れる血管と、気の流れる管がございます。竜族の力は、気の流れる管の方を通ります」
「それなら、管自体には触れないように浄化すれば……」

 細く流す。それさえ出来れば。
 だが管一本ずつを浄化していくには時間が掛かる。

「……どこかに力の核があるんでしょうか」
「竜の力は心で使うもの。思考する脳ではなく、心臓に巣喰っている可能性が高いかと」
「心臓……」

 竜族自体の核も心臓だった。そこに力の核があるなら、一か八かで力を使える場所ではない。


「お前は、浄化の力を持つのか?」

 驚くノアに、暖人はそっと頷く。するとノアは暖人に向かい深く頭を下げた。

「ものを頼める立場ではないと重々承知している。だが……どうか、その力を使っては貰えないだろうか」
「ノア!」
「アユム、私はもう長くない。救世主の力で消えるならば、それが運命というものだろう」

 元から直前まで耐えて、その時が来たら自ら心臓を抉り自害するつもりだった。再び蘇らないよう、火山の溶岩流の中に投げ込んで。
 歩夢の事は、妖精族の村に置いてくるつもりだった。妖精族ならば人間の子供も大切に育ててくれる。強い力に当てられ体調を崩す事もない。
 心残りがあるとすれば、歩夢の事だけだった。

「そんなのっ……、じゃあ僕は何だったの!? 僕がノアに会えたのは運命じゃなかったの!?」

 涙ぐむ歩夢に、ノアは困ったように笑う。運命だと言えば、彼はここを離れようとはしないだろう。

「僕がノアに力を使ったのは、死ぬ前の安らぎのためじゃないっ……ノアに幸せな夢を見せて、一緒に生きるためのものなんだっ……」

 眠った後はしばらく痛みがないと言っていた。出逢った時は怖かったノアも、眠れるようになってからはずっと優しかった。
 この力があれば、ずっと一緒に生きていける。世界なんてどうでも良いと思ってからは、ノアと一緒に生きる事だけを考えようと思っていたのに。


「一つ訊かせてください」

 歩夢の啜り泣く声に、涼佑の静かな声が重なった。

「大公領の宰相が使った毒と、リグリッドの皇帝が使った毒。それを渡したのも、あなたですか?」
「毒? 私ではない。あれは宰相が何処からか手に入れて来たのだ。それにリグリッドの皇帝には会った事もない」
「本当ですか?」
「ああ。この命を懸けても良い」
「彼の命を懸けてもですか?」
「……ああ」
「そうですか」

 あれだけ殴られて、彼の命まで懸けてそう言うのなら本当なのだろう。
 涼佑は顎に手を当て思案する。どうやらリグリッドの内戦にも関係はないようだ。

「僕としては、ウィリアムさんたちと同じ考えではあるけど」
「ウィルさんたち?」
「でも知らないふりをしたら、黒竜族の救世主が闇堕ちしてラスボスになるのかな」

 困った、とばかりに溜め息をつく。


 結果的に、他国へ逃げた皇帝派の残党を見つける手間も省けた。そこから芋蔓式に他の残党も処分出来た。
 リュエール国王も、大公も大公妃も、大公子も生きている。
 宰相は今回の事がなくともいずれ事件を起こしていただろう。それも早めに処理する事が出来たと言えなくもない。

 だがそれは、未然に防いだ結果だ。一つでも防げなければ、今頃どうなっていたか。
 彼らがした事は、直接手を下していないとしても許される事ではない。
 それに、皇子を陥れようとした事は変わらず極刑に値する。それ以上に、暖人を危険に晒し傷付けた罪は極刑以上のものだ。

 出来る事ならこの手でと願っても、それを暖人が望まない事も分かっている。
 処刑自体を望まない事は、暖人が優しいだけでなく、彼らがこれ以上何も出来ないといるからだ。

 普通に考えれば、極刑は免れない。だが。

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