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偽物
しおりを挟む一方、エントランスホールでは――。
「リグリッドの紋章?」
血の海から見つけたのは、数名が団服の下に着ていた服。その胸元に、リグリット帝国の紋章が縫いつけられていた。
「先代皇帝派の残党か?」
「どうだろう。何人か残しておいたから、目を覚ましたら事情を聞いてみよう」
ウィリアムはそう言って、縫いつけられた紋章を服ごと破り取った。
「おわっ、すごい事になってるな……」
開け放たれた扉から入ってきたのは、エヴァンだった。
ホールの惨状に驚きつつも、それ以上特に反応せずに、中心にいる二人へ視線を戻す。
「あー……すみませんが、靴が汚れるのでこちらへ来ていただけませんか?」
「ああ、失礼しました」
ウィリアムは穏やかな笑みを浮かべ、水音を立てながらエヴァンの元へと歩み寄る。
リョウとどちらが恐ろしいか、と浮かんだ疑問は、不毛な事だとすぐに頭の外へと追いやった。
「街で、そちらの団服に似たものを着て悪さをしていた奴等を捕まえました。それで、こんなものを持っていまして」
「これは……」
「皇子の字ではありません」
エヴァンはそう言い切る。
彼の持つ紙には、リグリッド帝国の印章と皇子の名が記されていた。
「場所を変えましょう」
ウィリアムは笑みを消した。これは、ここで話せる内容ではない。
「……先にリョウに話を通しておきたいのですが」
そのままの姿で階段を上がろうとするウィリアムに声を掛ける。そこで漸く己の惨状に気付いたのか、赤く染まった手袋に視線を落とし、苦笑した。
「ハルト君、大丈夫なんでしょうか……、色々と」
「任務中に実戦が起こった後は、俺か赤の副団長が我に返らせてから屋敷に帰しています」
「そうですか。……大変ですね」
「ええ、まあ、いつもの事なので」
平然と答えるオスカーに、いつもの事なのかと苦笑する。涼佑がそれを知って傍にいる事を許しているのなら、驚く程の譲歩だ。
外へ血を洗い流しに行く二人を見送って、エヴァンは教えられた部屋へと向かった。
・
・
・
「なんですかこれ」
エヴァンから見せられたものに、涼佑は嫌悪感を隠さず吐き捨てた。
紙には皇子のサインが記されているが、涼佑の知る皇子の文字はもっと流れるように優美で、それでいて線がしっかりしている。内戦でのいざこざで意外と力が付いているのだ。
それに思い切りが良く、最後がこんなに短い場所で止まっている事は滅多にない。
「明らかに偽物じゃないですか」
「表舞台に出た事のない第三皇子の文字だからな。イメージで書いたんだろ」
確かに皇子の見た目ならこんな力のない文字を書きそうだ。
内戦後は書類に黙々とサインをしているが、それでも情報が漏れていないという事は、城内に裏切り者はいないという証拠でもある。それには安堵した。
ただ、誰も見た事がないなら、帝国の印章まで捺されていれば本物だと信じてしまうだろう。
「国璽は結局見つからないままですよね」
「ああ。瓦礫の中まで探したけどな」
皇帝の証である、剣と指輪と国璽。
剣は宝物庫に、指輪は皇帝の指にあった。だが、国璽だけはどこを探しても見つからなかった。
最終決戦の中でそれだけ持ち出したとなると、今の一連の事件も皇帝派の仕業か。
「……それを欲しがる国外の勢力に、皇帝派が売ったという可能性もあるんですよね」
「ああ。考えたくはないが」
国を売る行為も、他国を巻き込む選択も、リグリッドに濡れ衣を着せようとする国がある事も。
涼佑は深く息を吐き、紙に目を落とした。
「この内容なら、それなりに権力のある相手に宛てた物のようですけど」
大公の処理が済み次第連絡する。第一大公子を新たな大公に据え、その後ろ盾となるよう準備を進めろ。根回しは済んでいる。……といった内容が書かれていた。
「根回しが必要だとすると、最有力候補以外ですね。大公殿下。お心当たりは?」
「……絞り出せば、数名は。ただ、おかしな動きがあれば報告が入るはずです」
後ろ盾になれる程の者は皆、大公領の為に尽くしてくれている。
可能性を絞り出せば、遠縁に野心家の親族がいて困るとぼやいていた者と、娘の為に大公子に嫁がせたがっている者、事業に失敗して少額の借金を負った者……。
だがどれも、命掛けで大公を裏切るような理由はない。
その様子を今まで黙って見ていた暖人が、涼佑の手元を覗き込んだ。
「涼佑。誰かに宛てたものじゃない可能性もあるよね」
「うん、そうだね。良く気付いたね、はる。えらいえらい」
「わっ……」
ぎゅうと抱き締められ、くしゃくしゃと髪を撫で回される。呪いの中から帰って来てから、やたらと髪をくしゃくしゃにされて暖人は戸惑った。
「はるの考えてる通り、大公領の誰も悪くなくても、お互いに疑心暗鬼に陥らせる事が出来るよね」
「ハルト君は賢いな。街にいた奴らは、リュエールの騎士を騙ったリグリッドの奴等がこんな物まで持ってた! って触れ回る役だった可能性があるんだよな」
「そうですね。まぁ、本当にここの貴族と繋がってる可能性もあるわけですけど」
そこで、ウィリアムとオスカーが髪を濡らしたまま部屋に戻って来た。
察した暖人が「怪我はないですか?」と心配そうに眉を下げる。
割れた窓と、端に寄せられたソファ。ウィリアムはツカツカと暖人に歩み寄り、涼佑の腕から暖人を奪った。
「ちょっと」
「……」
「聞いてます?」
「……」
涼佑の言葉に返事も返さず、暖人を膝に乗せ、向かい合わせで抱き締めたままぐりぐりと額を擦り付ける。
“暖人が危険な目に遭った”
それがウィリアムの中で、大きな恐怖の引き金になってしまったのだ。
「…………話を続けます」
「いいのか?」
「良くはないですけど……」
珍しく涼佑が言い淀む。
あの赤の騎士団長が、人目も憚らずに不安と恐怖に揺れる姿を見せている。それが少し、哀れになってしまった。
暖人をウィリアムから取り返さず、手だけを繋ぐ。
「そちらは何か分かりましたか?」
涼佑の問いに、オスカーはホールで起こった一部始終を話した。
「なるほど。国王暗殺を企てた大公子のせいで大公妃が呪いにかかり、王は甥と実の弟を処刑してその妻を無理矢理奪った。でもそれは全てリグリッドの残党の仕業……に見せかけた皇子の策略で、それに怒った第一、第二大公子と、リュエール軍がリグリッドに攻め入る、という筋書きですか」
涼佑は肩を竦める。
「確認すればすぐに嘘だと分かりますけど、大公殿下か妃殿下どちらかを処分した後なら、何かしらの争いは起こるでしょうね」
本人を前に……と顔を引きつらせたエヴァンが代わりに頭を下げると、大公と大公妃は大丈夫というように微笑んだ。
さすがあのリュエール王の弟、と感心する。兄の後ろをついて回っていた気弱な少年が、こうも立派に成長するとは。
昔を知るエヴァンは一人感慨に耽る。
だがすぐに苦い顔をして、涼佑へと視線を向けた。
「皇子はあれでも、あの皇帝の実の息子だからな。黒幕だと信じる奴もいるだろうよ」
「まぁ、世界の大半が皇子の事を知らないですからね。皇子はあの男とは違うと言っても、信じる人がどれだけいるか」
国を取り返しても、完全な平和が訪れた訳ではないのだと実感する。
人の気持ちは情報だけで統制は出来ない。
彼らの計画通り、リュエール国王が死ねば、人々は大公領を憎み、大公が死ねば、殺したリュエールへ怒りを向ける。
大公妃が呪われた事を明るみにすれば、神々の怒りに触れたのだと噂されるだろう。呪いは神の怒りだと信じる者も世界には多い。
それが実は全てリグリッドのせいだったと噂されれば、矛先は全てそちらへ向く。
この時点での推測はそんなところだ。
その殆どを、暖人が未然に防いでいる。ウィリアムが恐れるのは、それが敵側に知られ、暖人の命が狙われる事も含まれているのだ。
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