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大公領
しおりを挟む城から少し距離のある場所に下り、近くの街で馬を借りた。
「高官に顔見知りがいてな。国が関係してると思われたら色々面倒な事になるから」
エヴァンはそう言って、その街に滞在する事になった。
確かに、赤と青の騎士団長が揃って訪れただけでも何事かと騒ぎになる。
そこにエヴァンまで現れては、リグリッドも関わる程の、大公領の一大事かと誤解されてしまうだろう。
神官と補佐としてフードを被り顔を隠して行くにしても、体格の良い人物が多すぎると騎士だとすぐに分かり、やはり大事になりそうだ。
城に着き、先にウィリアムが門番に用件を告げると、慌てた様子で高官が現れた。
城内に案内されるウィリアムの後を、フードを被った三人が付いて行く。
リュエール王国の至宝、赤の騎士団長が、顔を隠した人物を伴い訪れた。それだけでも城内に緊張が走る。
エントランスホールには出迎えの使用人や騎士や高官まで頭を下げて並び、ウィリアムはわざとそこで、訪れた理由を告げた。
テオドールから渡された書状には、祝福を授ける旅の神官が王宮に立ち寄った為、弟にも祝福のお裾分けをしたいと書かれている。
赤の騎士団長が訪れたのは、特別な高位の神官とその補佐の警護の為だと分かると、皆一様に安堵した様子を見せた。
大公への謁見に向かうウィリアムの後を、暖人は神官として、涼佑とオスカーはその補佐としてついて行く。
涼佑かオスカーが神官役で、と頼んだのだが、聞き入れられなかった暖人はフードの下できゅっと唇を引き結ぶ。
(偉い人扱い、一番慣れてないのに……)
頑張って背筋を伸ばしているが、腹筋と背筋がつりそうだ。
それに周囲から、神官様、何とありがたい、あの凛としたお姿……と囁かれ、居たたまれない。丸まりそうになる背をピンと伸ばし、転ばないよう慎重に歩いた。
・
・
・
「そうですか。兄が」
書状に目を通した大公は、そう言って四人の訪問を快く受け入れた。
テオドールと同じ、月の光のような白金の髪と、氷河のような青の瞳。肩より長い髪を後ろで束ねた彼は、顔立ちこそ兄に似ているが、随分と柔らかな印象だ。
彼は書状だけでテオドールの意図を悟り、そっと眉を下げた。
「妻の為にお越しいただいたのでしょう。ですが、彼女は……」
「存じ上げております。その上で、謁見のご許可をいただけないでしょうか」
ウィリアムは静かに声を零す。
暖人にはまだフードを外す合図を出していない。出来れば救世主という事を知られずに事を終わらせたかった。
大公がそうとは限らないが、救世主は必ず奇跡を起こせる、救世主は死なない、そう思っている人間が一定数存在する。暖人は望まれれば、その期待に応えようとするだろう。
「……分かりました」
赤の騎士団長の頼みならばと、大公はそれ以上何も言う事なく頷いた。
案内された部屋は、大公の寝室の隣だった。
広い室内。大きな窓からは、レース越しに柔らかな光が注いでいる。部屋の奥、直接陽の当たらない場所に、広いベッドが置かれていた。
その側のテーブルには、華やかなピンクと白の花が飾られている。そよそよとそよぐ風が、花弁を優しく揺らした。
「レイラ、神官様と赤の騎士団長様がお見舞いに来てくださったよ」
大公は柔らかな声で語りかけ、そっと妃の髪を撫でる。
(綺麗な人……)
青み掛かった金糸の長い髪に白い肌、桜色の唇。長い睫毛が目元に影を落としている。ただ眠っているような、安らかな顔。
目覚めない理由が病や呪いなら、病的な顔色で、痩せ細っている筈だ。だが彼女の頬にはうっすらと血色さえ感じられる。
ただ、彼女の時間だけが止まってしまったような。
(……病気、じゃない)
ふと、分かってしまった。
(普通の呪いでもない……)
このままでは、この呪いは浄化出来ない。
何故だろうか。そう、はっきりと分かってしまった。
この力で、出来るのは……。
「涼佑」
「はる?」
隣にいる涼佑の手を取り、ぎゅっと繋ぐ。
「ウィルさん、オスカーさん」
二人の名も呼び、そっと見上げた。
「……俺が眠ったら、手を繋いで、名前を呼んで欲しいです」
浄化の力。この力で出来るのは……、彼女の夢の中に、入る事だけ。
その言葉に、ウィリアムは弾かれたように暖人の肩を掴む。
「ハルトっ……、駄目だ、約束しただろうっ?」
「すみません。約束を破ったお仕置きは、帰ってからいくらでも受けます」
「っ……駄目だ、ハルトっ」
肩を掴む手にグッと力を込める。こうして止めたところで、浄化の光を放つ事は止められない。それならば、今すぐ部屋の外へ……。
暖人を連れ出そうとするウィリアムの腕を、オスカーが掴んだ。
「待て。コイツの事だ。無理矢理連れ出したところで、また戻ってくるだろ」
「だがっ」
「やらせるとは言ってない。連れ出したいのは、俺も同じだ」
オスカーはそう言って静かに怒気を漂わせる。暖人にではなく、呪いという、暖人の慈悲に訴えかけるような厄介極まりない物を掛けた相手に対してだ。
「ハルト。目覚めるという確証はあるのか」
「大丈夫です」
「こういう時のお前のそれは、かなりの無茶をするという意味だな?」
「……です、よね……」
前科がある。暖人は肩を落とした。
そこでグッと手を強く握られ、涼佑の方へと視線を向ける。
「っ、涼佑……」
そこには、怒りではなく……悲しみをたたえた瞳があった。
縛って連れ帰ると言った涼佑だが、暖人の様子が今までとは違った。自分の知らない暖人が、……“救世主”としての暖人が、その役目を果たそうとしている。
自分がリグリッドへ戻ったように、暖人にはこれがそうなのだと、何故暖人が、そんな役目を……。
叫び出したい気持ちを抑え、そっと息を吐く。
「暖人。説明して」
次に紡いだのは、短い言葉だった。
暖人は頷き、口を開く。
大公妃に掛けられたのは、夢を見続ける呪い。そこに介入すれば、彼女の夢の中へ入れる。
浄化の力では、外から呪いを解く事は出来ない。あくまで肉体を浄化するものだからだ。
だが夢に入れば、そこが現実になる。
夢の中心にあるのは、彼女の魂の一部。
そこで直接浄化が出来れば、魂に掛けられた呪いは解ける。
それが、暖人が分かった事だった。
確信を持ち言葉を紡ぐ暖人に、皆口を噤む。最初に口を開いたのは、涼佑だった。
「それなら、僕も一緒に」
一緒に行く、と言い掛けた涼佑が、突然視線を伏せる。
「っ……、ああ、これか……」
手のひらで顔を覆い、忌々しい、と低く吐き捨てた。
「涼佑?」
「……僕は、夢の中にすら入れない。ただ呪いを受けるだけだ。どうしてだろうね。今、はっきりと分かったよ」
良くある話のように、頭の中に声が響いた訳でもない。ただ、そうだと分かってしまった。
「どうして僕じゃないんだ……」
「涼佑……」
「どうして、はるが……」
絞り出すような声に、暖人は涼佑をぎゅっと抱き締めた。
(ごめんね、涼佑……。俺で、良かった……)
内戦の中で戦う役目を負った涼佑を、これ以上危険な目に遭わせたくない。だから、自分で良かったと心から安堵した。
これが救世主としての役目なら、大公妃が眠り続ければこの国に、世界に重大な影響が出る筈だ。行かないという選択肢など、なかった。
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