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遠い空の下

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「お礼に伺った筈が、こんなにいただいてしまって……」

 ウィリアムは恐縮した様子で秋則あきのりに礼を述べた。
 以前の倍以上ある万能薬と傷薬。それから、栄養剤。
 軽量強化硝子に入った栄養剤は、大袋に詰めて馬の両側に積んだ。

「薬の方は、使う場面はないに越した事はないのだがね。騎士なら、訪れてしまう事もあるだろうから……。どうか仲間を守る為にも、惜しみなく使ってくれ」

 秋則はそう言って眉を下げて笑う。仲間を失いたくない気持ちは、良く分かっていた。

「それに毎月たくさん材料を届けて貰っているから、そのお礼だよ」
「ですがそれははやり病を収めた報償で……」
「じゃあ、そうだね。これは、新名にいな君とお付き合いを始めたお祝いという事で」
「…………では、ありがたく頂戴致します」

 暫し悩み、これ以上は逆に失礼に当たるだろうとウィリアムは深々と頭を下げた。暖人はるとと秋則の育った世界の文化に倣って。
 そんなウィリアムにそっと目を細め、ありがとう、とウィリアムの手を握った。

「オスカー君と涼佑りょうすけ君にも、よろしく伝えて貰えるかい?」
「はい。次は、二人も連れて伺います」
「楽しみにしているよ」

 そう返し、ウィリアムと暖人へ優しい笑みを向けた。





 前回は涼佑を探し街を回って来た為、十日以上掛かった。だが今回は一直線に秋則のいる南部の森へと向かった為、数日で到着していた。
 それに、暖人の馬酔いもなく、少し速めに走らせる事も出来た。
 つまり、二人きりの旅はもうすぐ終わってしまう。

「ハルト。今日は野宿でも大丈夫かい?」
「はい。……あれ? 来た時は近くに街がありましたよね?」
「良く覚えているね。ハルトは記憶力も良いのか」

 前に座る暖人の髪にキスを落とす。それだけでは足りずに目の端にもキスをした。

「これは俺の我が儘だよ。ハルトと星を見ながら眠りたいのだが、駄目かい?」
「駄目じゃないです。外で寝るのって気持ちがいいですよね」

 暖人はあっさりと了承した。馬を走らせて疲れている筈のウィリアムが街のベッドでなくて良いなら、断る理由はなかった。

 この辺りの盗賊は、アジトごと青の騎士団が一掃している。その後の警備も他の王宮騎士団が引き継いでいる。だからこそウィリアムは野宿を提案したのだ。


 林の中の開けた場所に、ウィリアムは馬を繋ぐ。近くには小川もあった。
 そこで食事をとり、陽が落ちると星を眺める。元の世界で涼佑と一緒に覚えた星座は一つも見当たらず、ここは異世界なのだと今更ながらひしひしと感じた。


(涼佑……)

 星空を見上げると、涼佑を思い出す。
 施設にいた頃、眠れない日には一緒に窓から星を眺めていた。夜中にこっそり抜け出して、側の森の中で寝転がって見上げた事もある。

 ずっと側にいた。離れる事はないと信じていた。

「ハルト?」
「……すみません。涼佑のことを、考えてました」
「謝る事はないよ。どんな事を考えていたのか、聞かせて貰っても?」

 優しく髪を撫で、柔らかな声で紡ぐ。強制でもなく、ただただ、優しい響きで。
 その暖かさに甘え、そっと空を見上げた。

「元の世界にいた頃を思い出してたんです。涼佑と二人で、よくこうして星を見上げてました。キラキラして綺麗で、見ていると世界に二人きりでいられる気がして」

 星座の話をしてると言えば、寄り添っていてもおかしく思われなかった。
 遅くまで二人きりで玄関先にいても、あれは何座、あっちは、と話せば大人たちは安堵した様子を見せてくれた。

「あの頃は……、……ずっと離れないと信じていながら、いつか離れる日が来るかもしれないことに、ずっと怯えてました。幸せなことと悲しいことがいつも一緒にあったな……って、思い出してしまって」

 空を見上げる暖人の髪を、ウィリアムの手が優しく撫でる。また離れる事になって怖くはないかと、労わるように。
 その暖かさに、暖人はそっと目を細めた。

「今は別の国にいて、声も聞けないほど遠くに離れてるのに、あの頃みたいに怖くないんです。会いたいし寂しいですけど、あの頃より、涼佑がそばにいてくれる気がして」

 この世界では、引き離そうとする人もいない。会いたいと、寂しいと言葉にしても、おかしいと言われる事もない。

 唯一の恐怖は、涼佑が戦いに参加していた事。今も内戦後の国にいる事。
 危ない事はしていないとエヴァンは言っていた。必ず守るとも言ってくれた。
 ……だが、自分にも戦える力があればと願ってしまう。そうすれば足手まといにならず、涼佑の弱点にもならずに、一緒について行けたのに……。


 背後から抱き締めているウィリアムへと、視線を向ける。

「それに、今は涼佑とのことを優しい顔で聞いてくれる人がいるので、とても幸せです」
「ハルトが嬉しそうにしていると、俺も嬉しいからね。ただ少し、嫉妬はしているけれど」

 ぎゅうっと抱き締め頬擦りされて、くすぐったいです、とくすりと笑う。
 ウィリアムに時々こうして甘えられるようになり、それが可愛く思えた。

(……涼佑以外を好きになるなんて、想像もしてなかったな……)

 空を見上げ、そっと息を吐く。
 涼佑は、二人を好きでいて良いと言ってくれた。その言葉に甘えて、今もこうしている。その事に罪悪感がない訳ではない。
 それでも、二人を捨てて涼佑と暮らす事は……もう、出来ない。もしそれを選んだとしても、涼佑が心から喜ぶ事はないと、知っていた。


 遠い空の下――。

「はる……」

 ベランダに出て空を見上げた涼佑も、同じ罪悪感を抱いていた。
 関係性の違いで善し悪しを測る価値観は、涼佑にはない。お互い以外に心を許した時点で同じなのだ。
 涼佑の泊まる客室に酒を持って押し掛け、今はソファや床に転がっているエヴァンたちを見遣る。

 今日は内戦で一緒だった他の幹部も参加していた。飲み始める前は、皆真面目に国政の話をしていた。……今はただの酔っ払いだが。
 これでも戦場で生き残った戦士だ。酔い潰れてはいても、不審な気配を感じれば目を覚ますだろう。
 皇子だけはさすがにベッドに寝かせ、こんなところを城の者に見られたら大変だと溜め息をついた。

「まさかこんな事になるなんて……」

 暖人以外に親しい人が出来るなんて、思ってもみなかった。
 だがその暖かさを知ってしまったから、暖人を彼らから引き離せなかった。


 暖人は、人並みの感性と罪悪感を持っている。だから、ウィリアムと二人で秋則の元へ行くと報告された際に。

『僕も仲間と楽しんでるから、はるも楽しんできて』

 そう言った。

『帰ったら暖人はずっと僕のものなので、せいぜい今のうちにはるの可愛さを堪能してくださいよ』

 ウィリアムにはそう言った。エヴァンづてにだが、気持ちは伝わっている筈。

 これが、あの世界から離れて自由になった自分たちの生き方。新しい人生だと……。

「……帰ったら決闘だな」

 やはり、あの二人の事を全面的に認めた訳ではないが。
 だが、今のこの闘争心と穏やかな時間は、想像していたより、悪くはなかった。

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