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リグリッドの救世主

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 一方、リグリッド帝国へと向かった涼佑りょうすけは――。


 今から二週間前。
 涼佑は、エヴァンと共に新しい城の門をくぐった。
 帝都内の元の城から少し離れた場所に位置するそこは、皇子の居城らしく華美なものではなかった。だが、洗練された美しさがある。緑も多く、草花も伸び伸びと育っていた。
 月明かりに照らされた光景は絵画のように美しく、この城を見ただけでも、皇子の治世は安心して暮らせると誰もが感じられるだろう。


 圧制を敷き、民を苦しめ国を荒廃させた前皇帝は、歴史上最悪の暴君として名を残した。
 第三皇子率いる革命勢力は英雄になり、内戦はリグリッド革命と呼ばれるようになっていた。
 皇子と共に国を救った救世主は颯爽と去り、高潔な人物として伝説になっている。

『貴方ならば二度と私が必要とならない治世になるでしょう』

 最後にそう、皇子に宛てて言葉を残したらしい。



「言ってないですけど」

 涼佑は、不機嫌に言い放った。
 何を隠そう、彼こそがその“救世主”だ。
 リグリッドを立つ前、最後に言った言葉は確か「戻ってくるかもしれませんが暖人はると次第です」だった。
 それに、去ったのも前皇帝討伐後に皇帝派だった者の“仕分け”をして、出来る事は片付けてからなので、颯爽と去ってはいない。

「伝説ってのは多少脚色されて、格好良く綺麗な物語になるもんだろ?」
「多少どころか全く別の話ですけど」

 皇子の執務室のソファに我が物顔で座っている涼佑は、エヴァンの言葉に呆れた顔をした。
 テーブルを埋め尽くす程の新聞の号外のようなものは、どれも救世主と英雄を祭り上げるものばかり。その一つとして、合っているものはない。

「まあ、僕の外見も性格も、あなたたちが口外していない証拠でもありますよね。少し見直しました」

 涼佑が革命勢力に力を貸す条件の一つは、外見や特徴を決して口外しない事だった。それが守られている事は、素直に嬉しい。
 自分はもう救世主ではない。これからは暖人と、静かに暮らしていきたいのだから。


「それで、僕を呼び戻した理由は何ですか?」

 こんなにも早く戻る事になるとは思わなかったが、それなりの理由があるのだろう。涼佑としてもやり残した事は幾つかあり、元から一度戻るつもりではあった。

「リョウなら察してると思うが、この前、暗殺者が入り込んでな。全て処理出来たとは思うが、念の為ってやつだ」
「狙われたのは皇子両方ですか?」
「ああ。やっぱ、黒幕は皇帝の親族だよな」
「そうですね。まだ残ってたんですか」

 狡賢い皇帝派の残党がどこかに隠れていたのだろう。
 前皇帝に迎合していた者は、何かしらの処罰を受けている。皇帝の親族はほぼ全員がその対象だった。
 第三皇子も、物静かで優しいだけの少年ではない。国の為にはどこまでも冷徹になれる。それを討伐後に目の当たりにし、涼佑は安堵した。彼はきちんとこの国を動かせる人間なのだと。

「僕の役目は皇子の護衛と、城内のですね」
「ああ、すまんが頼んでいいか?」
「いいですよ。僕としても綺麗さっぱり一掃してすっきりしたいですし」

 念を入れた表現に、エヴァンは苦笑した。すっきりして心おきなく暖人と過ごしたい気持ちが良く表れている。

「今回は僕は、リュエールの貴族で皇子の友人という設定でお願いします」
「お? 顔を晒すのか?」
「布を被ったままだと、救世主が戻ってきたとかで余計面倒な事になりますし」
「それもそうだな」

 二度と私が必要とならない治世になるでしょう、と書かれた記事を一瞥しテーブルの上へ放った。


 そこで、勢い良く扉が開く。

「リョウ!」

 そう言って、涼佑に飛びついたのは。

「皇子?」
「本当に帰ってきたのだな。数年は会えないと覚悟していたが」

 ソファに座ったままの涼佑の腰に腕を回し、ぎゅうっと抱きつく。涼佑は一瞬迷ったものの、ポンと皇子の背を撫でた。

「皇子、そんな性格でした?」
「リョウが戻ってきたというのに、おとなしくしていられるか?」
「大歓迎ですね。ありがとうございます」
「心が籠もっていないな」
「思ってますよ。本当に」
「本当に?」
「はい。子供みたいで少し驚いてはいますけど」
「リョウの前では子供でも構わないだろう?」

 そう言ってクスクスと笑う。

「まあ、そうですね。僕にとっては時々生意気を言う弟みたいなものです」
「生意気を言うのはリョウも同じだな」

 皇子はまた楽しげに笑った。
 こうして年相応に甘えられるのは涼佑にだけだ。もうすぐ正式に皇帝となる皇子は、リグリッドの者の前ではそれに相応しい振る舞いをしようと気を張っているのだろう。
 エヴァンだけは、と思うが、彼も皇子に君主として振る舞う事を望んでいる。それが皇子の為になると。

 まだなのか、と涼佑は内心で溜め息をついた。さっさとくっつけば良いのに。
 そう出来ない幾つかの理由を理解してはいるのだが、元の世界と違い、この世界では男同士でも跡継ぎの心配はない。やはりさっさとくっつけと思ってしまう。

 変に拗れても困るから、思うだけに留めた。ただ少し嫉妬でもしろと、皇子の頭を撫でる。
 暖人と同じようにサラサラでも、少し固めの手触り。ふわふわではなく、ツルツルした絹のような質感だ。

 そっと伺うとエヴァンは微笑ましそうな顔をしているだけで、涼佑は諦めて皇子から手を離した。


「皇子。僕はリュエールの伯爵家の末っ子で、子供の頃に父と共にリグリッドに旅行に来た際に城下街で皇子に会い、意気投合。滞在中ふた月ほど一緒に遊んでいた友人、という設定でお願いします」
「ああ、分かった。国を閉ざす前の、十二年前で良いだろうか」
「はい。僕は八歳ですね」
「私は、四歳だな」

 友人というより子守りだな、と思った事は言わなかったが、皇子には伝わったらしい。にっこりと威圧感のある笑顔を向けてきた。

「だが、リョウは伯爵家というより、公爵家の跡取りの方が説得力があるな」
「偉そうだと言いたいんですね」
「威厳があるという意味だ。今なら最も貢献した英雄として、公爵の称号を与えられるが」
「辞退します。爵位なんて暖人と暮らすのに邪魔ですから」
「だろうな。リョウならそう言うと思った」

 何をするにも暖人が最優先。公爵位すら邪魔だと言い切る、そんな清々しいところが好きだった。

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