ある日、人気俳優の弟になりました。

雪 いつき

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一石+

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 早く帰って、お気に入りのお茶とクッキーで気分転換をしよう。
 ……と思ったのに。

橘 優斗たちばな ゆうと君、ですよね?」

 また呼び止められた。マンションまで後少しのところで。今日はなんて日だ。
 だが、今度は見覚えのない人物だった。

橘 直柾たちばな なおまさ君のマネージャーをしている、櫻井さくらいと申します」
「は、はい……?」

 マネージャーさん? 優斗は首を傾げる。
 グレーのスーツに眼鏡に、綺麗に整えられたモカブラウンの髪。いかにも“橘直柾のマネージャー”というような品格のある佇まいだ。
 差し出された名刺を受け取り、直柾と一緒に写っている画像も見せられて、ひとまずは信じる事にした。

 この落ち着いた様子、緊急性のある要件ではなさそうで。

「あっ、直柾さ、……兄にあまり迷惑をかけては困るというお話ですよね。すみません、気をつけます」

 思い当たる事と言えばそれしかない。すると櫻井は驚いた顔をした後で、優しく笑って首を横に振った。

「いえ、その逆ですよ」
「逆、ですか?」
「はい。いつも直柾君を励ましていただいてありがとうございます。直柾君が話していた通り、可愛らしくて素直で優しいお方ですね」
「えっ……あの、……兄は、そんな話を……?」

 いくらマネージャー相手とはいえ、そんな恥ずかしい話を。赤くなる優斗に櫻井は微笑ましく笑い、優斗の事を知るのは自分だけだと教えてくれた。
 そして、優斗にお願いがあると言った。

「直柾君に、メールをして欲しいのです。週に何度かで構いませんので」
「メール、ですか?」
「はい。出来れば夜に」

 夜? 優斗はふと思い当たった顔をした。

「もしかして、直柾君から聞いていますか?」
「あ……その、……役が抜けないから、でしょうか」

 もう先程の話と微笑ましそうな顔で本物のマネージャーだと信じた優斗がそう言うと、そうです、と彼は複雑そうな顔をした。
 確かにマネージャーとしては、帰宅後も直柾の様子を見てくれる人がいれば安心出来るだろう。

 直柾の連絡先は知っている。だが、邪魔になるといけないと思い、連絡は最小限にしていた。
 直柾からの連絡も同じで、雑談をするならメールではなく直接会ってからだった。
 今更メールで、となると内容に悩んでしまうが、まあ、そんなお願いなら。

「分かりました。俺としても、兄と連絡を取れるのは嬉しいので」

 そう言って笑ってみせると、本当に良い子ですね、と子供を褒める教師のような顔をした。

「優斗君に会えないと直柾君はとても寂しそうにするので、本当に助かります」
「えっ」
「それに、優斗君が兄弟になってから、笑顔がますます優しくなったと評判なんですよ? 以前にも増してお仕事にも力が入っていますし、演技の幅も広がりました。きっと、君に格好良い姿を見て欲しいからですね」

 そっと目を細める櫻井に、優斗は顔を赤くした。あまりにも兄バカが駄々漏れている。溺愛されているのがバレている……。

「直君がこんなにも誰かに夢中になるのは初めてで、もうこのまま優斗君と結婚して欲しいくらいです」
「けっ……」

 優斗は言葉を失くし口をパクパクさせた。

「ああ、すみません。そろそろ行きますね。お時間をいただきありがとうございました」
「は……はい……」
「直柾君には、優斗君に雑談程度のメール連絡は大丈夫だとお伝えした、と話しておきますね。突然そんなメールが来たら逆に心配してしまうと思いますので」

 こちらからお願いしておいて申し訳ありません、と頭を下げる櫻井に、優斗は慌てて大丈夫ですと返した。優斗としても連絡を取れるのは嬉しいのだから。
 櫻井は、礼儀正しく礼をして去って行った。



 優斗はマンションへと入り、今日はリビングではなく自室へと直行してベッドにダイブした。

「……一体、何が起こったの」

 恋人になって欲しいだとか、結婚して欲しいだとか。
 俺は男なのに、と思うが、叶多かなたにはちゃんと言った。気にもしていなかった。
 多分櫻井も笑って相手にもしないだろう。そんな気がする。

 それより、溺愛されているのが各所にバレている。それに、いつの間にか自分はそんな重要ポジションぽい扱いにもなっている。なんで。

「なんで……」

 優斗は布団に額をグリグリ擦り付けて悶えた。恥ずかしいやら困惑やら何やら。
 二人とも優斗の事を利用するにしても清々しくて、仕方ない、利用されてやるか、と思ってはいる。だがそれと結婚や恋人になるのは話が別だ。


 ここ最近、隆晴りゅうせいとは特に変わりない日々を過ごしている。時々スキンシップが多いがそれも多少慣れてしまった。

 直柾とは、兄と呼ぶようになっても大きな変化があるわけでもなく。
 相変わらず優斗をぬいぐるみのように抱き締めるし、優斗はと言えば、そのまま一緒に映画を観るくらいには動揺しなくなった。

 少し距離感がおかしい気はしているが、それと恋人、結婚、は別の話だ。


 昔は独りでいる事が日常だったのに、誰かといる事が日常になってしまえば、それに慣れてしまうものなのだろうか。
 今では直柾や隆晴が世話を焼いてくれて、同じ学部の友人とは月に何度か遊びに行って、独りの時間の方が少なくなっていた。
 本当に、幸せだと思う。

 それこそ、こんな時間は“結婚”という節目を迎えればもう無くなってしまうかもしれない。
 もう隆晴も直柾も、今までのように構ってくれなくなるかもしれない。
 二人に愛する人が、出来れば。

「っ……?」

 ズキンと痛んだ胸に手を当てる。当たり前の事を想像しただけなのに。

 ――俺って、こんな寂しがりじゃなかったはずなのに……。

 出来ればこのままずっと、二人と一緒にいられたら。
 ずっと、一生そばにいて、仲良くいられたら。

 そんな事を思ってしまい、それは無理だろう、と枕に顔を埋めた。

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