ある日、人気俳優の弟になりました。

雪 いつき

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橘直柾という人

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 最後の一日は昼からゆったり話をしたり、ゲームをしたり、うたた寝したり、また話したりしながら結局リビングで朝を迎えた。
 特に何をしたわけでもないが、充実した三日間だった。やたらと頭を撫でられたりドキドキさせられたものの、またすぐにでも泊まりに来て欲しい。そう思ってしまう。

 昼食後に隆晴りゅうせいが帰り、また一人になった部屋はとても広く感じた。


 隆晴が泊まっていた、直柾なおまさがゲストルームと呼んだ部屋のドアをそっと開けてみる。あまり入る事のなかった部屋だ。隆晴の言った通り、クイーンサイズのベッドが置かれていた。

 直柾はこちらに越して来る気は全くないようだった。
 そういえば、直柾は母と正輝まさきが帰宅する前にはいつも帰ってしまう。特に正輝と仲が悪いとは聞かないが、二人にしか分からない何かがあるのだろうか。

 パタリとドアを閉め、リビングの扉を開ける。温かい緑茶を淹れてソファに座ると、抹茶入り緑茶の香りとまろやかな味に癒され、ふうと息を吐いた。

 大きな窓からは晴れ渡る青空と街が見渡せる。
 以前なら夕飯は何にしようかと考え出す時間帯だったが、こちらへ越してからは家政婦が作りに来てくれる。
 室内の掃除も週に何度かマンションの専任スタッフが来て、出掛けている間に済ませてくれている。洗濯物はほぼクリーニングで、優斗ゆうとは下着や部屋着を洗うだけで良かった。
 家事と言えば、自室の掃除くらい。

 今まで苦労をした優斗に、今までの分も自分の為の時間を持って欲しいという正輝と母の優しさだった。

 ――……暇、って、贅沢だな……。

 そんな優斗の視界に、ふとテレビのそばに置かれた本棚が入る。そこには、正輝が集めた直柾の作品の数々が並んでいた。
 ドラマや映画のBlu-ray、バラエティ番組の録画、雑誌。自由に見ていいからね、と正輝からは言われていた。

 その中から一冊の雑誌を手に取った。つい最近発売された、正輝イチオシの雑誌だ。
 表紙には直柾の写真が掲載され『橘 直柾の軌跡』と特集を知らせる文字が書かれている。
 この雑誌には、直柾が俳優になるまでの経緯が綴られていた。



 橘 直柾たちばな なおまさ(24)
 日本人の祖父とスウェーデン人の祖母を持つ。橘氏のブルーグリーンの瞳は祖母譲りだそうだ。
 母は橘氏が十六歳の頃に他界。ショックから引きこもるようになった彼を心配した父が、モデル事務所のオーディオを薦める。夢中になれるものがあれば、との父の想いに応え、初めて受けたオーディションで合格。モデルデビューを果たした。

 十七歳から二十歳まで、国内外のショーで活躍するスーパーモデルだった。だが突然俳優への転身を決めるも、演技経験のなかった彼は苦戦していた。
 演技自体は悪くはなく、監督としても撮り直す程ではないと判断した。モデル時代の表現力が俳優業でも生かされたのだ。
 だが彼自身は納得出来ず、一時芸能界から姿を消した。そののち、単身、海外で演技修行をしていた事を明かし、二十三歳で本格的に日本で俳優デビュー。
 大企業の御曹司であるとも噂されるが、真偽は不明。真実だとしても、納得の一言である。



 パタリと雑誌を閉じる。優斗も一度読んだ記事だった。
 表舞台から姿を消した辺りが、直柾が行き倒れていた時期なのだろう。撮り直す程ではない、という事は、撮り直しても良いという事。その演技でなければ絶対に駄目だというわけではない。

 もう一冊の雑誌を手に取る。そこには直柾の演技に対する姿勢が書かれていた。


『まず自分が納得出来る演技でなくては、誰もが認めるような演技は出来ないと思うんです。その上で批判されるなら、まだ実力が足りないということ』

『……と言いつつ、その時は全力を出し切ったと思えても、後から見るとまだこう出来た、あれも出来た、と反省ばかりですね』

『応援してくださる皆さんのためにも、その時の僕の持てる全力で挑んで、最高の演技をお見せしたいと思っています』


 一度は挫折して、それでも努力をして、独りで海外に渡り実力を身に付けて帰ってきた。理想も高く、自分自身に妥協を許さない。……急に彼が遠い人に思えた。

 直柾は、本当に優斗に会う為だけに来てくれた。わずかな時間でも、と。
 彼に溺愛される価値が、自分にあるとは思えない。直柾のように目指すものも命懸けで頑張れるものもない。

 本当は、高校を出たら就職するつもりだった。高校にまで行かせてくれたのだから、大学に進もうとは考えていなかった。
 だが、進路を決める頃に正輝が大学進学を強く薦めてくれて、隆晴のサポートもあり今の大学に入った。隆晴と同じ学部に進んだものの、自分が何をしたいかも未だに分からないままだ。

 今までは、早く働いて母に楽をさせてあげたい、その一心だった。だが、その目標は正輝によって叶えられてしまった。
 それは嬉しい事。母が幸せならこんなに嬉しい事はない。

 あの日からずっと、嬉しい気持ちと、目標を失くした空虚感が時々こうして襲って来る。
 周りが有能な人ばかりで、ますます落ち込んでしまうのだ。


 あの冬の日も、たまたま先に声を掛けたのが自分だっただけで、他の人が声を掛けていたらきっとその人に恩を感じていた筈で。
 きっと、弟になるのも自分じゃなくても良かった。

「たまたま俺だっただけ、だし……」

 言葉にするとチクリと胸が痛む。
 自分じゃなくても良かった。自分に、そんなに人を惹き付ける力はない。きっと、別の誰かだったなら直柾はその人を同じように溺愛していた筈。

 そう気付くと、今の状況がいかに幸運かを思い知る。
 優しくて格好良くて王子様のような人が、何の取り柄もない自分を溺愛してくれる。忙しい中で時間を作って会いに来てくれる。
 戸惑ったり困ったなと思う事はあっても、本当は、嬉しかったのだ。


 色々と世話を焼いてくれる隆晴にも言える事だが、隆晴は付き合いが長い分、まだ分かるのだ。
 だが、直柾はたった一度会ったきりの思い出だけで優斗の事を大切にしてくれる。それこそ、命を捧げようとする程に。

 自分は何の取り柄もなく、特別優しいわけでもない。直柾はただ、それに気付いていないだけ。夢から覚めれば離れて行くかもしれない。

 ――……それでも同じように可愛がってくれるって、……そんな自信、ない……。

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