ある日、人気俳優の弟になりました。

雪 いつき

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直柾とマネージャー

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「すみません、お待たせしました」

 地下駐車場へと降りた直柾なおまさは、そう言って停められた車の後部座席へと乗り込んだ。

「こんな遅くに無理を言ってすみません」

 眉を下げると、運転席の男性は大丈夫だよと笑い車を発進させた。
 マネージャーである彼は、穏やかで物静かな見た目をしている。外見に反してキッパリとした物言いや素早い判断力があるのだが、直柾と二人の時は見た目通りの雰囲気だった。
 今年三十歳になる為、直柾を弟のように思っているところもある。

「僕は大丈夫だけど、直君はまだやることがあるでしょう?」

 彼の言う通り、これから雑誌取材用の事前アンケートを書いてドラマの台本を見直し、ファンレターを読むという作業がある。
 どんなに忙しい時でも、届いたファンレターは毎日一通一通丁寧に読んでいる。その時間が、そこに込められた気持ちが、俳優としての橘 直柾を作るのだ。

 あの家に引っ越さない理由は、不規則な生活の為に深夜早朝に物音で迷惑をかける事が一番の理由ではあるが、俳優としての切り替えが上手くいかなくなりそうだからでもある。
 あの家の中は暖かくて優しくて、現実に戻れなくなりそうで……自分には、相応しくないとさえ。

「弟君が出来てから、直君楽しそうだよね」

 その声に直柾は目を瞬かせた。あの家の外では顔に出していないつもりだったが、彼にはバレてしまったようだ。

「そう、ですね。弟は、優しくて素直で可愛くていい子なんですよ。毎日でも会いたいくらいです」
「直君がそこまで言うなんて、僕も一度会ってみたいな」
「ぜひ、……と言いたいところですけど、独り占めしておきたい気持ちもあります」
「あはは。本当にお気に入りだね。でも、さすがに明日からはしばらく無理だからね?」
「分かってます」

 直柾は苦笑した。
 優斗ゆうとにも言われた。ちゃんと寝てください、と。

 今日は全部終わらせても三時間は寝られるが、明後日からは早朝ロケや深夜ロケが入ってくる。同じ事をすれば連日徹夜確実だろう。
 撮影のない日ならともかく、撮影がある日は肌を荒したり目の下にクマを作って行くわけにもいかない。


 この命は優斗のものと言いながら、優斗のそばにいられない。
 直柾はぼんやりと窓の外を眺める。

 俳優は、直柾のやりたい事だ。モデルから転身する時に人生をかけると決めた。
 それでも時々、全てを投げ出してしまいたくなる。ずっと優斗のそばにいたくて、ずっとあの笑顔を見ていたくて。

 だがそんな事をしても、彼が喜ばない事は分かっている。辞めれば自分の所為だと責めるだろう事も。
 彼の為だけに生きたいのに、生きられない。


 今も優斗のそばにいる隆晴りゅうせいの事を思い出し、無意識に眉間に皺を寄せた。

 自分の中にこんなどす黒い感情がある事を知らなかった。
 彼の存在を知るまでは、会うまでは、自分があんなに虚量な態度を取るとは思いもしなかった。

「これからの演技に生かせそうでは……あるけど……」

 今のところそんな役は回って来ない。恋愛映画やドラマではいつも想われる側で、翻弄する側で、それか一途に想いを寄せて綺麗な愛情を注ぐ、そんな役ばかり。
 嫉妬などしない。みっともない姿など見せない。

 だから、だ。実際にそんな場面に直面しても、正解が分からない。感情のままに行動したらああなってしまった。

 優くんには見せられないな……。

 そっと目を閉じると、そこで意識は途切れてしまった。

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