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過去:ある冬の日
しおりを挟むそんな突飛な台詞に、母も正輝も目を丸くしていた。
正直、この顔がなければ、優斗も直柾を危険人物だと思っただろう。白馬の王子様も顔ありき……なんてロマンのない事を思ってしまった。
訝しげにする優斗に、直柾は寂しげな笑みを浮かべる。
「覚えてない……、かな。俺は、君に助けられたんだ」
「俺に、ですか?」
「四年前になるかな。君の家のそばで、行き倒れていた俺を助けてくれたよね」
「行き倒れて……」
四年前。アパートのそば。行き倒れ。を、助けた?
そんな、先日助けていただいた鶴です、みたいな事あっただろうか。懸命に記憶を辿る。
絶対に間違う筈がない、君だ、と直柾の瞳は訴えていた。
四年前……。
行き倒れ……。
「…………あっ」
視線を床に落とした途端、記憶が蘇ってきた。
・
・
・
あれは、とても寒い冬の日だった。見上げれば今にも降り出しそうな鈍色の空。夜には雪になるかもしれない。
学校からの帰り道、そんな事を思いながら歩を速めると、立ち並ぶアパートの傍で何かが動いた。猫かな? と何となく気になり、建物同士の隙間を覗く、と。
「……人?」
そこにいたのは、一人の男性だった。
「あの、大丈夫ですか?」
声を掛けても返答はない。酒の匂いはしない。酔っ払いでないなら、具合が悪くなったのだろうか。
踞っている彼の着ている服はパッと見にもブランド物のようで、お金がなくて空腹で行き倒れ、というわけでもなさそう。
――っ……もしかして……、死んで……?
「あ、あの……」
「放っておいて」
屈んで声を掛けると、突き放すような声が返った。良かった、生きてる。ホッと胸を撫で下ろす。
――でも、放っておくも何も……。
スキニージーンズにブーツに、キャメルのチェスターコート。いつからいるのだろう。この格好では、この寒空の下で長時間は耐えられないのでは、と膝を抱えて蹲っている彼を見つめる。
「でも、こんなところにいたら凍えちゃいますよ?」
「いいんだよ」
「良くないです。ご自宅、どちらですか? 送って行きますから」
「いいって言ってるだろ。……俺なんて、生きる価値もないんだ」
彼の震える声に、このままでは本当に凍えて死んでしまう、と怖くなった。
おそるおそる手を伸ばし、ひとまず立ち上がらせようと肩に触れる。振り払われるかと思ったら、戸惑ったようにそっと押し退けられた。
乱暴な事も、怒鳴り散らしたりもしない。きっと、優しい人なのだ。
踞っている時には見えなかったが、中にはシャツとベスト、ストールと、薄手の服しか着ていない。
ポタリと空から雫が落ちる。降って来た。優斗は空を見上げ、……決めた。
何より、髪の隙間から覗く捨て犬のような目を見てしまったから……放っておくなんて、出来なくなってしまった。
「どうせ捨てる命なら、俺に下さい」
「え……?」
「一時間だけでもいいです。俺に下さい」
唖然とする男性を引きずるように部屋へと連れて行き、こたつに入れて、ご飯と味噌汁を作った。ご飯はちょうど炊き立て。味噌汁は急拵えで豆腐だけの簡素なものだったが、温かいご飯を食べれば少しは元気が出るのでは、と思ったのだ。
「……美味しい」
「お口に合って良かったです」
綺麗な箸使いで勢い良く食べる彼に、思わず頬が緩んだ。
美味しいと言って食べて貰えるのが嬉しくて、おかわりは少し多めにして目玉焼きとベーコンとウインナーも焼いた。それをペロリと平らげ、ごちそうさまでしたと手を合わせた。
「落ち着きました?」
「うん。……ありがとう」
それはきっと、彼を見捨てなかった事へのお礼だろう。死ななくて良かったと、そう思い直してくれたのなら良かった。
「でも、こんなに怪しい男を部屋に入れて、危ないよ?」
「あはは、そうですね。でも、うちには金目の物なんてありませんから」
母子家庭で、お金なんてなかった。成長期だから食べる物だけは充分に、と母はそう言って食費以外はギリギリまで切り詰めているから、部屋は殺風景なものだった。
ハッとした様子の男性に、優斗は明るく笑う。
「食べ物はたくさんありますから、大丈夫ですよ」
「でも……」
「あ、じゃあ、食べた分で元気に生きようって思って貰えたら嬉しいです」
それがお代です。そう言うと、彼は何度か目を瞬かせてから、そっと目を細めて笑った。
「ありがとう。……君に助けられた命で、もう一度頑張ってみるよ」
長い前髪の隙間から覗く光を取り戻したその瞳は、煌めくエメラルドのように綺麗だった。
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※続編はこちら。→ある日、人気俳優の弟になりました。2
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