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その15 雲間から太陽

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「……月城さん。わたしに、なにか用?」

 声が震えそうになるのを必死におさえて、振り向くと。
 ふわりと、花のような香りがした。

「野崎さんってさ、奏多くんの幼馴染なんだってね」

 月城さんの耳打ちに、時が止まったかと思った。
 なんで……? どうして、月城さんがそのことを知ってるの。

「どう、して……」
「奏多くんから聞いた」

 ウソ。
 奏多、わたしたちの関係まで、月城さんに話したの?
 奏多の中で、月城さんは、そこまで特別な存在になっちゃったの?
 胸の中に、泥水のような黒い感情が、ねばつくように広がっていく。

「姫、野崎さんとちょっとお話したいな。いいよね?」

 間近で笑った月城さんは女神さまのように美しくて、拒否権なんてなかった。
 月城さんは、あまり人の寄りつかない体育館裏までやってくると、振り向いた。

「ねえ、野崎さん。姫、このあともお仕事だから、率直に聞くね」
「なに……?」

 精いっぱいの虚勢をはるわたしを、星のまたたくような瞳が射抜く。

「野崎さんは、姫が奏多くんに告白するって言ったら、どうする?」

 ナイフを、喉元に突きつけられた気分だ。
 やっぱり……月城さんは、奏多のことが好きなんだ。
 言われなくても、見ていればわかることだったけど。
 あらためて宣言されると、想像の何倍もキツい。
 王子さまの奏多の隣には、お姫さまの月城さんがふさわしいから。
 狂った運命が、元に、戻ろうとしているんだ。

「月城さんは……奏多と、お似合いだと思うよ」

 心が、悲鳴を上げてる。
 まぎれもない本心だからこそ、心が真っ二つに引きちぎられるようだった。
 どうして奏多は、王子さまなんかになってしまったんだろう。
 わたしはただ、彼に、わたしのそばで笑っていてほしかっただけなのに。
 月城さんは、今にも泣きだしそうなわたしを見つめて、フキゲンそうな顔をした。

「……そうやって逃げるばかりの野崎さんに、そんなこと言われたくないよ」

 ミルクティー色の髪をふわふわと揺らしながら、月城さんは険しい顔で去っていった。

 どうしよう。さっきから、ずっと涙が止まらない。
 泣きすぎて、身体中の水分が干上がりそうなくらいだ。
 校庭の水飲み場まで走って顔を洗ったけど、意味がないぐらいに、顔も心もぐちゃぐちゃだ。

「野崎さん……?」
「結城、さん」

 ジャージ姿の結城さんが、目を丸くして、わたしを見ていた。

「野崎さん。なにが、あったの?」
「……ち、違うの。なんでも、なくて」

 ああ。こんなにみっともなく泣きながら否定しても、全く意味がないのに。心はもう限界で、どうやっても、涙が止まってくれない。
 目の前の結城さんの顔も、涙でボヤけていく。
 結城さんは、そんなわたしの手を引いて、中庭のベンチまで連れていってくれた。

「野崎さん……。ムリには聞かないけど、話したくなったら、言って。野崎さんは、一人で頑張りすぎるところがあると思う」

 彼女のやさしさに、また、涙があふれてくる。
 そっと頭を撫でてくれる手のあたたかさに、トゲだらけになって傷ついた心が、少しだけ丸くなった。

「……結城さん。もし、大切な人が遠くにいきそうになったら、結城さんはどうする?」

 いつの間にか、一人で抱えるには重たくなりすぎたひみつが、口からこぼれていた。
 結城さんは、考えこむように唇を引き結んで、静かに答えた。

「素直な想いを、伝えたら良いと思うよ」
「それは、できないよ」
「どうして?」
「……わたしは、その人に、ふさわしくないから」

 結城さんは、わたしの涙をぬぐいながら、強い口調で反論した。

「野崎さんは、すごい人だよ」
「ウソ。全然、すごくなんてないっ」
「用具係の仕事」
「えっ……?」
「野崎さんが代わってくれたから、試合で勝つことができたんだって。陸上部の同期がうれしそうに教えてくれたんだ」

 言われて、用具係のお仕事を代わりに引き受けたことを思い出した。
 そっか。あの子、陸上部だったんだ。ちゃんと結果を出せたみたいで、良かったな。

「それだけじゃないよ。体育祭実行委員に、真っ先に立候補したのも野崎さんだった」
「……でもっ。それぐらい、普通のことで」
「普通じゃない。野崎さんは、当たり前のように人を助けられる、すごく素敵な女の子だよ。きっと、助けられた人は他にもたくさんいる」
「っ」

 また涙をあふれさせたわたしの頭を、結城さんはやさしく撫でた。

「野崎さんは、恋をしているのかな」

 わたしの無言を肯定と受け取ったのか、結城さんは、穏やかな表情で続けた。

「私には、恋する気持ちがわからない。このまま一生、わからないのかも。だから、一生懸命に恋をしてる野崎さんが、うらやましい」

 わたしのことが、うらやましい?
 思いもよらない言葉に、呆けて口を開いたら。
 結城さんは、そんなわたしを、あたたかい瞳で見つめていた。

「ねえ、野崎さん。野崎さんは、大切な人が野崎さんにふさわしくないからって理由で離れていこうとしたら、どうする?」

 奏多が、わたしにふさわしくないと言って、離れていこうとしたら……?
 想像するだけで、胸が締めつけられたように苦しくなった。

「そんなの、絶対に嫌だ! なんで勝手に一人で決めちゃうのって大泣きして、めちゃくちゃ怒るっ」

 叫んでから、ハッと我にかえった。
 結城さんは、取り乱したわたしにビックリしたあと、くすくすと笑った。

「やっと気がついた? 野崎さんの大切な人も、同じなんじゃないかな」

 そのとき。
 春のなまぬるい風が、中庭いっぱいに咲いているクローバーを揺らしていった。
 そういえば……。
 奏多と出会ったばかりのころ、夢中で四葉のクローバーを探したな。
 どうしてあんな大切な思い出を忘れていたんだろう。
 昔は、奏多に少しでも笑ってほしくて、あんなに必死だったのに。

「結城さん……っ。ありがとう」

 落ちこんで、泣いてばかりいるのは、もう今日で終わりにしたい。
 くよくよとへこんで涙を流すのは、全てが終わってからでも、遅くないよね。
 だってわたしはまだ、大切なことを何ひとつ、奏多に伝えられていない。

「野崎さん、良い顔してる。もう、大丈夫そうだね」

 雲間から、太陽が顔を出す。
 そのやわらかな日差しは、臆病で自信のないわたしを洗い流すように、辺りを照らしていった。
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