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その6 罰が当たったんだよ
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その日の夜、お風呂につかりながら、結城さんの言葉を思い出していた。
「陸上部か……」
走るのは、大好きだ。
もう呼吸もできないってぐらい必死に手足を動かして、ひたすら前へと進む。余計な雑念が取っぱらわれて、『走る』ことだけに全力になれる瞬間は、苦しいけど爽快だ。
陸上部に興味がなかったといえば、ウソになる。
だけどわたしは、部活に入るのが怖い。
部活に入って、その場所が居心地よくなればなるほど、奏多とのひみつを抱えきれなくなりそうで恐ろしかった。
わたしが奏多と、中学で他人のフリをしたい本当の理由。
その事件は、小学生高学年のころから所属していた、バスケチーム内で起こったんだ。
この女子バスケチームは、放課後に集まって練習をするのが主な活動だった。
数か月に一度、他の小学校の子たちとの試合もあった。
練習はハードできつかったけど、チームメイトがみんな良い子たちで、すごく楽しかったんだ。
そのチームの中でも、一番仲良くしていたのが、リーダーの沙也だった。
沙也は、男の子になんて興味ないって感じのサバサバとした子で、みんなから慕われていて。もちろん、わたしも大好きだった。
毎日、チームのみんなと、バスケで汗を流して。
帰りにくだらない話をして笑いあう時間は最高だった。
でも、そんな幸せな日々は突然、終わりを告げたんだ。
あれは忘れもしない、小学校卒業直前の三月のこと。
他校との試合が終わって、わたしは沙也と二人で帰っていた。
春になったとはいえ、まだ少しだけ肌寒い夜のこと。
二人で帰路についていたら、沙也が、急に立ち止まった。
沙也は私のジャージのスソをつかんで、心もとなさそうに視線を下げた。
『あのね、莉子。……相談、したいことがあるの』
いつも単刀直入にモノを言う沙也が、歯切れ悪い調子でそう口にしたあのとき、なんだか嫌な予感がした。
『莉子。アタシ、ね……漣くんのことが、好きなの』
雷に撃たれたみたいに、衝撃的だった。
わたしは、心のどこかで、勝手に安心していたんだと思う。
男っ気のない沙也に限って、そんなことはありえないって。
沙也は、瞳をうるませながら、呆然とするわたしに告げた。
『莉子は、漣くんと幼馴染なんだよね。協力してくれない?』
当時のわたしは、奏多と婚約していることまでは、誰にも打ちあけていなかった。
学校の誰にも、信頼していた女バスのチームメイトにさえ、話す勇気をもてなくて。
奏多を好きだという気持ちも、誰にも打ち明けたことがなかった。
だから、わたしに協力してほしいと申し出た沙也に、悪気はなかったんだと思う。
でも、いくら大事な親友の頼みでも、それだけは応じられなかった。
『ごめん。わたしも……奏多のことが好きなの』
沙也は、驚いたように瞳をまるくして、わたしを見ていた。
『それに……わたしと奏多はただの幼馴染じゃない。将来、結婚する約束をした仲なの』
それが、奏多は私の婚約者なのだと、初めて他人に打ち明けた瞬間だった。
わたしは、心が擦りきれそうなほど願っていたんだ。
奏多との仲を、本当の意味で、誰かに認めてほしい。
全員にわかってもらうのは難しくても、せめて、親友にだけはわかってほしいって。
だけど、その願いは、粉々に打ちくだかれた。
『莉子は、ズルいよ……』
沙也の言葉は、冷たい矢となって、すっと心臓を冷やした。
わたしの告白を聞きおえた沙也は、静かに泣いていた。
『アタシが、どんなに想っても話すことさえ叶わないのに……莉子は、なんの努力もしてないのに、漣くんの隣にいられるんだね』
目頭が熱くなって、目の前の沙也が、こぼれてきた涙で揺らいだ。
ナイフのように鋭く痛いその言葉に、わたしは何にも言いかえせなかった。
だって、その通りだと思ってしまったんだ。
もしも、ママから生まれたのがわたしじゃなくて沙也だったら、奏多の隣にいたのは沙也だったんじゃないかって。遠くから奏多を眺めて、彼への叶わぬ想いに泣いていたのはわたしの方だったんじゃないかって。
『沙也……ごめん、ね』
泣きくずれる親友の背中をさすろうとしたら、『触らないで!』と手を跳ねのけられた。
沙也の瞳には、激しい炎が揺らめいていた。
その苛烈さに驚いて、身動きも取れなくなった。
沙也は唇を噛みしめると、眉根をよせて、わたしから逃げるように走っていったんだ。
そんなことがあった次の日は、学校に行くのがとてつもなく怖かった。
『莉子、なにかあった……?』
登校中、浮かない顔になってしまっていたわたしに、奏多はすぐに気がついた。
しっかりしなきゃ。
沙也とのことを、彼に知られるわけにはいかない。
だって、もしも奏多がこのことを知ったら、やさしい彼はきっと自分を責める。
自分のせいでわたしが傷ついただなんて、奏多に思ってほしくない。
『ううん、なんでもない! 算数の宿題をやってなかった気がして、ちょっと不安になっちゃっただけ』
笑顔を作ったわたしに、奏多は『なんだ。それならオレのノートを見せてあげる』と安心したようにほほえんだ。
その顔から、わたしを心配してくれたことがありありと伝わってきて。奏多には笑っていてほしいから、昨日のことは隠し通そうって、あらためて胸に誓ったんだ。
当時は別のクラスだった奏多と別れて、ビクビクとしながら自分の教室に入ったら、すぐに沙也の鋭い視線が飛んできた。
クラスのみんなも、わたしたちの間に生まれた不穏な空気を察知した。
明るい沙也は、当時、クラス内で男女問わず慕われている中心的人物だったんだ。
みんなが、沙也の顔色をうかがっていた。
明らかに無視されるわけではないけど、あえてわたしに話しかけようともしない。
クラスだけでなく、放課後のバスケチームでも、同じ空気だった。
まるで、透明人間になったような気分。
ゆっくりと毒を流しこまれるように、じわじわと心が痛めつけられていった。
何度か沙也と話そうとしたけど、全身で拒絶されているのが伝わってきて、諦めた。
小学校卒業直前の数か月は、正直、苦痛でしかなかったな。
事情を知らない奏多が、変わらずわたしのそばにいてくれたことだけが救いだった。
結局わたしは、沙也と和解できないまま、桜峰中学に進学した。
今でも、小学校の体育館で汗を流しながら笑いあっていた日々を思いかえすと、胸がズキズキと痛む。もう二度と返ってこない、輝かしかった青春の日々。
だけど、あれはぜんぶ仕方のないことだったとも思うんだ。
だって、そうでしょ?
物語の中でも、王子さまは、お姫さまを迎えにいくものだって決まっている。
それなのに、平民のわたしのもとに、運命のいたずらで、王子さまがやってきてしまったりしたから。お前なんかには不相応な幸福だって、罰が当たったんだよ。
「陸上部か……」
走るのは、大好きだ。
もう呼吸もできないってぐらい必死に手足を動かして、ひたすら前へと進む。余計な雑念が取っぱらわれて、『走る』ことだけに全力になれる瞬間は、苦しいけど爽快だ。
陸上部に興味がなかったといえば、ウソになる。
だけどわたしは、部活に入るのが怖い。
部活に入って、その場所が居心地よくなればなるほど、奏多とのひみつを抱えきれなくなりそうで恐ろしかった。
わたしが奏多と、中学で他人のフリをしたい本当の理由。
その事件は、小学生高学年のころから所属していた、バスケチーム内で起こったんだ。
この女子バスケチームは、放課後に集まって練習をするのが主な活動だった。
数か月に一度、他の小学校の子たちとの試合もあった。
練習はハードできつかったけど、チームメイトがみんな良い子たちで、すごく楽しかったんだ。
そのチームの中でも、一番仲良くしていたのが、リーダーの沙也だった。
沙也は、男の子になんて興味ないって感じのサバサバとした子で、みんなから慕われていて。もちろん、わたしも大好きだった。
毎日、チームのみんなと、バスケで汗を流して。
帰りにくだらない話をして笑いあう時間は最高だった。
でも、そんな幸せな日々は突然、終わりを告げたんだ。
あれは忘れもしない、小学校卒業直前の三月のこと。
他校との試合が終わって、わたしは沙也と二人で帰っていた。
春になったとはいえ、まだ少しだけ肌寒い夜のこと。
二人で帰路についていたら、沙也が、急に立ち止まった。
沙也は私のジャージのスソをつかんで、心もとなさそうに視線を下げた。
『あのね、莉子。……相談、したいことがあるの』
いつも単刀直入にモノを言う沙也が、歯切れ悪い調子でそう口にしたあのとき、なんだか嫌な予感がした。
『莉子。アタシ、ね……漣くんのことが、好きなの』
雷に撃たれたみたいに、衝撃的だった。
わたしは、心のどこかで、勝手に安心していたんだと思う。
男っ気のない沙也に限って、そんなことはありえないって。
沙也は、瞳をうるませながら、呆然とするわたしに告げた。
『莉子は、漣くんと幼馴染なんだよね。協力してくれない?』
当時のわたしは、奏多と婚約していることまでは、誰にも打ちあけていなかった。
学校の誰にも、信頼していた女バスのチームメイトにさえ、話す勇気をもてなくて。
奏多を好きだという気持ちも、誰にも打ち明けたことがなかった。
だから、わたしに協力してほしいと申し出た沙也に、悪気はなかったんだと思う。
でも、いくら大事な親友の頼みでも、それだけは応じられなかった。
『ごめん。わたしも……奏多のことが好きなの』
沙也は、驚いたように瞳をまるくして、わたしを見ていた。
『それに……わたしと奏多はただの幼馴染じゃない。将来、結婚する約束をした仲なの』
それが、奏多は私の婚約者なのだと、初めて他人に打ち明けた瞬間だった。
わたしは、心が擦りきれそうなほど願っていたんだ。
奏多との仲を、本当の意味で、誰かに認めてほしい。
全員にわかってもらうのは難しくても、せめて、親友にだけはわかってほしいって。
だけど、その願いは、粉々に打ちくだかれた。
『莉子は、ズルいよ……』
沙也の言葉は、冷たい矢となって、すっと心臓を冷やした。
わたしの告白を聞きおえた沙也は、静かに泣いていた。
『アタシが、どんなに想っても話すことさえ叶わないのに……莉子は、なんの努力もしてないのに、漣くんの隣にいられるんだね』
目頭が熱くなって、目の前の沙也が、こぼれてきた涙で揺らいだ。
ナイフのように鋭く痛いその言葉に、わたしは何にも言いかえせなかった。
だって、その通りだと思ってしまったんだ。
もしも、ママから生まれたのがわたしじゃなくて沙也だったら、奏多の隣にいたのは沙也だったんじゃないかって。遠くから奏多を眺めて、彼への叶わぬ想いに泣いていたのはわたしの方だったんじゃないかって。
『沙也……ごめん、ね』
泣きくずれる親友の背中をさすろうとしたら、『触らないで!』と手を跳ねのけられた。
沙也の瞳には、激しい炎が揺らめいていた。
その苛烈さに驚いて、身動きも取れなくなった。
沙也は唇を噛みしめると、眉根をよせて、わたしから逃げるように走っていったんだ。
そんなことがあった次の日は、学校に行くのがとてつもなく怖かった。
『莉子、なにかあった……?』
登校中、浮かない顔になってしまっていたわたしに、奏多はすぐに気がついた。
しっかりしなきゃ。
沙也とのことを、彼に知られるわけにはいかない。
だって、もしも奏多がこのことを知ったら、やさしい彼はきっと自分を責める。
自分のせいでわたしが傷ついただなんて、奏多に思ってほしくない。
『ううん、なんでもない! 算数の宿題をやってなかった気がして、ちょっと不安になっちゃっただけ』
笑顔を作ったわたしに、奏多は『なんだ。それならオレのノートを見せてあげる』と安心したようにほほえんだ。
その顔から、わたしを心配してくれたことがありありと伝わってきて。奏多には笑っていてほしいから、昨日のことは隠し通そうって、あらためて胸に誓ったんだ。
当時は別のクラスだった奏多と別れて、ビクビクとしながら自分の教室に入ったら、すぐに沙也の鋭い視線が飛んできた。
クラスのみんなも、わたしたちの間に生まれた不穏な空気を察知した。
明るい沙也は、当時、クラス内で男女問わず慕われている中心的人物だったんだ。
みんなが、沙也の顔色をうかがっていた。
明らかに無視されるわけではないけど、あえてわたしに話しかけようともしない。
クラスだけでなく、放課後のバスケチームでも、同じ空気だった。
まるで、透明人間になったような気分。
ゆっくりと毒を流しこまれるように、じわじわと心が痛めつけられていった。
何度か沙也と話そうとしたけど、全身で拒絶されているのが伝わってきて、諦めた。
小学校卒業直前の数か月は、正直、苦痛でしかなかったな。
事情を知らない奏多が、変わらずわたしのそばにいてくれたことだけが救いだった。
結局わたしは、沙也と和解できないまま、桜峰中学に進学した。
今でも、小学校の体育館で汗を流しながら笑いあっていた日々を思いかえすと、胸がズキズキと痛む。もう二度と返ってこない、輝かしかった青春の日々。
だけど、あれはぜんぶ仕方のないことだったとも思うんだ。
だって、そうでしょ?
物語の中でも、王子さまは、お姫さまを迎えにいくものだって決まっている。
それなのに、平民のわたしのもとに、運命のいたずらで、王子さまがやってきてしまったりしたから。お前なんかには不相応な幸福だって、罰が当たったんだよ。
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