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 ――――野生肉(ジビエ)――――

 狩りで捕らえた野生獣の食用肉であり、古くから山間部を中心に食されていた。
 現代でも田舎の方では猟師の間で食べられており、それを出す店も近年増えつつある。
 基本的に狩猟の成果であるため流通が安定しないが、個体に時期によってより味や風味が異なるのが魅力のひとつである。

「ぐぅうう~~」

 と、情けなく腹の音が鳴る。
 俺の名前はアカミネカナタ、ごく普通の高校生だ。
 趣味は食べ歩き、それなりの大食漢ではあるが別に太っているワケでもなく体型は普通。胃袋がブラックホールと繋がっているんじゃないか? とか失礼な事をよく言われる。
 中学を卒業した後、親元を離れて県外の高校に入学したのだが、その理由はこの辺りに美味いメシ屋が多いからだ。
 ちなみに送ってくる生活費の8割はそれで消えており、この辺りの店の全メニューは一ヶ月でコンプした。

 言っておくが毎日外食をしているワケではなく、ちゃんと自炊もしている。
 基本的にはスーパーとかで食材を買うのだが、住んでいるアパートの周りには田んぼや畑も多く、スズメやザリガニ、イナゴやセミ、ヨモギやツクシなども時々獲えて食卓に並べるのだ。
 ちゃんと調理をして塩や醤油、マヨネーズ等の調味料で味付けし、白いご飯と一緒に食べれば、何でも美味しく安く食べられるのである。
 スズメの焼き鳥やザリガニのから揚げなどは、少し癖はあるが絶品だ。
 ちなみに天性の胃袋の強さもあって、腹を壊したことは一度もない。

 とはいえ俺も育ちざかり。その程度では手間の割に腹は膨れない。どうしたものかと近所のジイサンに聞いたところ、この辺りには野生のウサギやキジ等、小型の獣が生息しているから捕らえてみるのもいいんじゃないかと冗談交じりに教えてくれた。

 ――――野生肉(ジビエ) 時々ネットで見る料理、いつか食べたいと思っていたがまだまだ日本ではなじみが薄く、それを出す店も少ない&高い。
 金がなければ獲ればいいじゃない、か。成程正論である。
 そういうわけで、取り敢えず難易度の低そうなウサギやキジ辺りをターゲットに定めて、俺は山に入ったのであった。
 しかし数時間経っても、目当ての獲物が見つかる気配はない。

「ん~流石に野生の獣を狩るのはハードル高いか……」

 スズメとかは餌を撒いておいて、上からカゴを落とすだけの簡単な作業なのだが、自分から狩りに行くとなるとやはりキツイ。
 もちろん銃などあるハズもなく、何か低コストで簡単に作れて使える武器を選ぶ必要があった。
 そこで選んだのは投石紐(スリング)。
 少し不細工だが、丈夫に編んだ布に包んだ石を回転させて標的にぶつけるという原始的な武器である。
 古代から使われてきた狩猟道具で、俺でも簡単に作れて使える武器だ。

 スリングの練習は毎日学校の放課後や休憩時間に行い、動かない的なら大体は当たるようになった。
 色々な本で調べ、野生動物の狩りの仕方も学んだ。通り道を待ち伏せたり、糞や足跡を追ったりだ。当然その為の練習もした。言っておくが別に俺はぼっちではない。

 それにしても肝心の獲物が見つからない。
 まぁ動物だって食われたくないし、特に野生の獣なんて人間が近づいてきたら逃げるし隠れるに決まっている。
 簡単に捕まるような動物が現代まで生き延びていられるハズがないのだ。

 しかし諦めの悪さと意地の汚さが俺の売りである。
 この程度で諦めるワケもなく、山を奥へ、奥へと進んでいった。

「にしてもそろそろ暗くなってきたな……」

 持っていたスマホを見ると時刻は17時25分、夕方だというのにもう結構暗い。
 頭上を覆う木々の枝葉によって、陽の光もろくに届かないようだ。
 しかもこれは迷ってしまったかもしれない。
 ずっと前から同じような風景、遠くから見ると普通の山だが、中に入るとこんなに深い森だったのか。
 どうも今日中には森を抜けられそうにないな。

「これは野宿かねぇ……」

 大きくため息をついて肩を落とす。
 幸い今日は土曜日だし、明日は学校は休みだ。
 既に歩きすぎてクタクタだし、夜通し歩いても森の外へ出られるかわからない。
 まだ少しでも明るいうちに夜を明かす準備をして、今日は野宿をして休息を取るべきだろう。

「寝袋くらいもってくればよかったな、どこか横になれそうな場所は……っと」

 考えながらどこか休める場所はないかと歩いていると、落雷によるものか倒れてしまった大木を見つけた。
 そこに腰を下ろして横になると、疲労が一気に身体の隅々まで行き渡っていく。

「うはぁ~気持ちいい~」

 大きく伸びをして深呼吸をすると、肺の中に森の空気が満ちていく。
 森と一体化したようなこの感じが俺は好きだ。
 静かな森だが耳を澄ませば色々な音が聞こえてくる。
 虫の羽音、木々のざわめき、獣の呼吸音……獣?

 獣! 肉! 探し求めていたジビエちゃんが、ついに俺の前に……! 
 静かに起き上がり、スリングを構える。
 ポケットに入れていた石をセットし、投げ飛ばす為に回転させだしたところで森の奥に大きなシルエットが見えた。
 シルエットは暗闇で目をギラリと光らせ、その位置の高さが獣の大きさを伺わせる。

「ゴルルルル……」

 聞こえてくるのは地響きのような呻き声。しかもこちらに近づいてきているようだ。
 獣が一歩、一歩を踏み出すたびに地が鳴り、その荒い息が近づいてくる。

 ――――ずしん、木の根を踏み砕きながらあらわれたのは、巨大な熊であった。
 ひゅんひゅんと回していたスリング、それを持つ手が動揺で滑り、石は明後日の方向へ飛んで行ってしまった。

(――――無理だ!)

 黒い毛に覆われた四足歩行の巨体、鋭い牙の生えた口を大きく広げ、涎をぼたぼたと垂らしている。
 一度北海道に行ったときに熊に出会ったことがあるが、その時の熊の倍近い大きさがある。

 熊は本来臆病な性格で、山で出会ってもこちらからゆっくり離れれば追って来る事は少ない。
 だが奴は、明らかに俺の事を獲物として認識していた。
 じり、と一歩後ろに下がるが、熊はゆっくりと俺に狙いをつける様にゆっくり近づいてくる。
 恐怖のあまり、腰が砕け尻もちをついてしまった。

 眼前の熊は、俺の醜態を見下ろしてニヤリと嗤い、更にこちらへと近づいてきた。鼻息がかかりそうなほどに近く、ぽたぽたと熊の口から涎が俺の額へと垂れる。
 そして人間の頭など一撃で潰せそうな剛腕を、俺目がけて振り下ろし――――

 ――――咄嗟に目を瞑る、が痛みはない。
 首も、身体もどこも怪我はしていないようだ。
 痛みのあまり痛覚が消えてしまったのかと一瞬思ったが、どうやら俺の五体は満足なようである。

「ア……ガ……」

 真上から聞こえる熊の呻き声。見上げると俺を殺そうとした熊の動きが止まっていた。
 ぴくぴくと痙攣している熊の口の中からは真っ赤に染まった棒が突き出ており、そこから血のシャワーを噴出している。
 どう見ても致命傷である。力尽きたのか熊の巨体がぐらりと傾いた。

「うわわっ!?」

 慌てて飛びのくと、俺のいた場所に熊が崩れ落ちるように倒れる。
 熊の後頭部を貫いているのは――――矢?
 直径2センチ、長さ2メートル程はあるだろうか、槍かと見違えそうになるようなごっつい矢が熊の頭を貫いたようだ。
 その矢の飛んできたであろう方を見ると、小さな人影がこちらに近づいてくるのが見える。
 人影はどうも少女のようで、大きな帽子に長い黒髪をさらりと流し、長弓を携えているようだ。

「怪我はなかったか? 少年」

 少女の歳は俺より少し上くらいだろうか、涼しげな目つきだがどこか優しげで、顔立ちからしてどうやら日本人ではないようだ。
 帽子を深めに被り、動きやすそうな短めのジャケット、その下にはぴっちりとしたスーツのような服と、革のブーツを履いている。
 森でも動きやすそうな服と弓矢、今時珍しい狩人ってやつなのだろうか。

「あ、ありがとうございます」
「敬語も礼も必要ない、今日の晩飯を探して狩りをしていたんだが、キミが注意を引きつけてくれたから、こちらとしても助かったよ。私はアリッサというものだ。キミは?」
「俺はアカミネカナタ……だ」
「うん、よろしくな。カナタ」

 そう言って笑い、握手を求め手を差し出すアリッサに俺は応じる。
 アリッサはその様子を、品定めするように眺めていた。

「変わった服装しているな。カナタは迷い人なのか?」
「えと……俺も獲物を狩りに森に入ったんだけど、迷っちゃってさ……逆に狩られるところだった」
「あはは、おもしろいなキミは! そうか同業者だったか」

 楽しそうに笑うアリッサ。同業者と言えば同業者かもしれないが、残念ながらレベルが違いすぎるっす。

「よかったら近くにあるウチに泊まりに来ないか? もう夜も遅いし、歩いていると獣に襲われるかもしれない」
「いいの? アリッサさん」
「あぁ、構わない。それと私の事は呼び捨てでな」
「ん……アリッサ」

 その名を呼ぶと、アリッサはうんと頷いて笑う。
 香水をつけているわけではないようだが、ふわりと揺れた彼女の髪からは、花のようないい香りがした。
 彼女は倒れた熊のすぐ横に座り込み、

「よいしょ」

 と、可愛らしい掛け声と共に、先程仕留めた熊の片足を担ぎ上げ、そのままずるずると引きずり始めた。
 華奢な少女が自分の身長の何倍もの大きさの熊を軽々と引きずる。
 その光景を呆気にとられて見ていると、彼女が不思議そうに俺の方を見てきた。

「……何をしている? 来ないのか?」
「い、今行くよ!」

 しかも早い、気づくと彼女は既に結構な距離を移動していた。
 もしかしてあの熊、意外と軽いのだろうか。

「手伝わせてくれ、アリッサ」
「悪いね」

 小走りで追い付いて熊の毛皮を持ち上げるが、びくともしない。

「んが……ぎぎぎ……」
「……カナタ、無理はしなくていいぞ」
「いやっ……大丈夫……っ!」

 涼しげな顔で熊を引きずる彼女は、俺の方を見て心配そうな目をしている。
 うぅ情けない。それでもせめて心意気だけは……。
 何の手助けにもならないであろう無力な俺の行動を見て、それがおかしかったのかアリッサはクスクスと柔らかい笑みを見せたのだった。
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