その感情は炎となりえるか

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第七章 訓練兵の反乱?

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 我々が東境界砦へ着いたのは、日が頂点に向けて半分ほど昇り切った頃であった。
 砦の西門前へ着いたのと同時に、門が開放され、全訓練兵が大挙して押し寄せてきた。皆、次の命令がどうなるのか興味があったのか、我々の帰りを今や遅しと待っていたようだ。
 とりあえず、開門したままでいるのも不用心なので、各部隊長と話し合ってから発表する運びとなり、訓練兵らを解散させた。各部隊長への報告は一旦クリメルホに任せ、私はソリア訓練兵の元へ向かった。二つの大きな皮袋を担いで。
「ソリア訓練兵」
 声を掛けると、彼女は何かを察したように頷き、共に砦の中へ入った。人目を避けるように武器庫へと向かい、私は皮袋を彼女の前に降ろした。
「・・・連れてきてくれたのだな、ナディット隊長殿」
「ああ、うちの分隊を任せ切りだったからな・・・デーベラウの臭いが残っていたのか、獣には荒らされていなかったよ」
 ソリア訓練兵が片足を突き、皮袋を少し開く。そこには彼女の仲間が静かに横たわっていた。
「ありがとう・・・感謝する」
「感謝なら、我が儘を訊いてくれたクリメルホに頼む。さて、私は会議に顔を出してくる・・・後で、送り出してやろう」
「・・・ああ」
 ソリア訓練兵は、沈痛の面持ちで、仲間の顔の汚れを手で拭っていた。確か、彼女の相棒だった女性である。
 私は踵を返し、早々に武器庫を後にした。その直後、くぐもった泣き声が微かに聴こえてきた。
 仲間の死は、悲しく、悔しいものである。ソリア訓練兵には、さらに補助する立場としての罪悪感も加算されているはずだ。彼女自身、死に体になるまで戦い抜いたのだから、思い詰める必要も無いだろうが、仕方ないと割り切るのは簡単ではない。
 我が隊も、サルコ副官を失った。私もあのように悲しむべきなのだ。あれは運が無かった。その様に割り切ってしまえる自分は、人でなしなのだろう。
 我々は、軍人なのだ。死は常に傍らにおり、こじつけのような理由で死んでいく。列の何番目に居た、それだけの違いで、生死が分かれる世界に身を置いている。人の手で変えられることなど、ほんの僅かなものなのだ。
 私は中二階にある司令官室へと向かった。そこで、分隊長級の会議が行なわれている。私が入室した頃には報告が終わり、これからの予定を話し合っているところだった。
 今回からは、監督官承認の下、アタオが全体の指揮を執る。その点に関しては、私も大歓迎だ。西の戦場において、防衛指揮でアタオの右に出る者を、私は知らない。
 さて、本作戦は新たな駐留軍が派兵されてくるまで、砦を機能させておくというものである。つまり、この砦でカシューン奥地から流入する外獣を抑え、カシュンガルへの脅威を減らすことを求められているのだ。
 期間は一週間、アタオはすぐにローテーションを組み上げた。例えば、第一と第二分隊が、砦外で巡回と防衛の際の前衛を行っている日は、第四と第五分隊が城壁上での見張りと前衛の援護を、第六分隊は炊事などの裏方を担うというものである。これを一日ごとにずらしていくという案だ。ちなみに、第三分隊は、ソリア訓練兵のみなので、戦力単位上では、我が第四分隊と統合されている。
 非の打ち所の無い案なので、即座に採択され、本日からこの様に動くことになるだろう。さっさと解散してしまう前に、私はアタオに進言した。行動に移る前に、戦死者の弔いがしたいと。
 アタオは首が千切れんばかりに頷き、私の意見もアタオのローテーションと共に採択された。
 王国軍式の告別式は、独特である。まずは、最高指揮官が戦死者の名前を読み上げ、黙祷を行なう。それから、遺体を回収出来ていた場合は、代表者の炎魔法で焼葬をする。我々は、死ねば星に還ると信じている。魂は死と共に霧散するので、後は遺体を星に戻さねばならない。血肉は焚き上げて、残った骨は粉にして撒き、風に運んでもらうのだ。遺族には、遺品(主に認識票)共に報告が行くことになっている。
 今回は、アタオが戦死者の名前を読み上げ、ソリア訓練兵が遺体を焼いた。散骨は皆の手で行なわれた。倒れた後、皆の手で送ってもらえると知っているから、王国軍人は死を必要以上に恐れないでいられるのだ。
 告別式を終えた後、第六分隊炊飯の朝食を摂りながら、これからの行動について、各分隊内で伝達された。アシャ、シャンテ、ターヤ訓練兵らと会話するのは、何だかとても久しぶりな気がしてならない。
「以上が、これから一週間の流れだが・・・質問はあるか?」
『・・・』
 何だか、向かいに座る三人娘の視線が痛い。
「何だ、質問があるなら言ってみろ?」
 問い掛けると、アシャ訓練兵がスッと手を上げた。
「・・・昨日の夜の事で、分からないことがあるの」
「・・・昨晩の事は、ソリア訓練兵が説明しているはずだが?」
 隣でクースグェンの硬い鶏肉を咀嚼しているソリア訓練兵に目を向ける。彼女は、凛然とした雰囲気で咀嚼を続けたまま、親指をグッと立てた。ちゃんとした、と言いたいらしい。
「ええ、ソリアさんには説明してもらったわ。地下に駐留軍を壊滅させた輩が潜んでいた事、そいつがユマンを連れていた事、兵士は全員殺されたらしいことも・・・ああそれと、ナディット達がお目付け役の正規兵だってことも」
 私は弾かれた様にソリア訓練兵の方を向いた。
「・・・ソリア訓練兵?」
「あの、その・・・アシャは命の恩人だから、袖にするわけにも行かず・・・」
「それで、話したと?」
「わ、私だけではないぞ? 他の分隊でも情報を開示しろと騒ぎになってだな・・・皆吐かされた」
 恐るべし、訓練兵。我々が不在の間に反乱を起こしていたとは、何故言わなかったアタオよ。
「はぁ・・・全部聞き出したのなら、何が分からないんだ?」
「ナディットって・・・何者?」
「何者って・・・正規兵だが?」
「賊から一人で兵団を守れて、ユマンを倒せて、夜の森を二人で抜けられるのが、正規兵なの?」
「それは・・・」
 さりげなく、ソリア訓練兵に助けを求めると、彼女は微笑み返してきた。
「ああ、私も気になる」
 ソリア訓練兵、お前もか。私は思わず、天井を仰いだ。
「・・・後で話す」
 恐るべし、訓練兵。

      
 朝食の後、我々は西門の見張りに就いていた。城壁の上なら他に聞こえないので、全員で西の方を見ながら、少し私の身の上を話すとしよう。
「はぁ・・・私は西部方面軍から派遣された、だから強い。以上」
「はあ? それだけ? ・・・ねぇ、ソリアさん、西部方面軍って強いの?」
 アシャ訓練兵が、ソリア訓練兵の袖を引いた。
「ああ、私は南部方面軍出身だが、西部方面軍は別格だ。王国最強というのが通説なのだが・・・」
「だが?」
「最強と言われているのは、ある部隊のせいなのだそうだ。確か部隊名は・・・」 
「はぁ・・・イルメリサリオ(狂人)。そうだ、私はその一員だ、一応な」
「えぇ・・・狂人とか物騒じゃない?」
「そこか・・・我々は、唯一ユマンへ攻勢を仕掛ける部隊だからな、他からすればイカれているとしか思えないのだろう。不名誉なことだがな」
 本当の理由は違うのだが、教える必要も無いだろう。
「ふ~ん・・・でも、これで納得出来たわ。私がぼろ雑巾にされてたのは、私が弱いせいじゃ・・・」
「いや、貴様は弱いぞ?」
「食い気味に否定しないでよ!」
「アシャ訓練兵、貴様の実力は一般人にアホ毛が生えた程度なのだから、あまり調子に乗らないことを推奨する」
「やめて、本気の評価を与えないで・・・で、でも、魔法なら少しは使えるようになったじゃない? デーベラウと追い払ったし・・・」
「ああ、こけおどしとしては役に立ったな」
「こけ、おどし・・・」
 アシャ訓練兵が膝を屈したところで、次の挑戦者としてシャンテ訓練兵が名乗りを挙げてきた。
「おい、狂人!」
「何だ、変態?」
「ぐはぁッ!?」
 シャンテ訓練兵は早速、片膝を突く事態となった。一応、自覚はあるのだろうか。
「あたしは、不当な圧力になんかに、負けない・・・!」 
「妥当だろ?」
「うぐっ!?」
 シャンテ訓練兵は、膝どころか両手を突いてしまった。真面目に見張りをしていれば、こうはならなかったものを。
「し、質問、良いですか?」
 もはや虫の息であるシャンテ訓練兵が、正当な方法で質問してきた。
「何だ、シャンテ訓練兵?」
「・・・戦死者の中に、ユリエノの野郎の名前が無かったのですが、どゆことですか?」
「ああ・・・昨晩、生存が確認されたからだ」
「・・・ちっ、生きてやがったか」
「貴様という奴は、ついさっき戦死者を弔ったばかりだろうに・・・」
「裏切り者は、ユルサナイ、のです」
「はぁ・・・反省していたから、赦してやりなさい」
「・・・まさか、戻ってくるの?」
「いや、ユリエノ訓練兵は短期の方へ編入される」
「それなら・・・しばらくしたら、忘れてやるか」
「そうか・・・他に質問は?」
「いえ、ありません・・・」
「よし、逝け」
 力尽きたシャンテ訓練兵に続くのは、もちろんターヤ訓練兵である。
「はい、質問がありま~す」
「何だ、ターヤ訓練兵?」
「ナディットさんの正体が残念な形で露呈してしまいましたが、今後はどうするおつもりなんでしょうか?」
「さて・・・どうするかな」
「バレたわけですから、隠していた実力を発揮していく感じでしょうか?」
「あぁ・・・そうするかな」
「では、危険な敵には、ナディットさんが真っ先に向かっていくということで・・・」
「訓練をもっと酷しくするか」
「う~ん・・・今、なんて?」
「身分を偽る分、大目に見ていたところも多々あったからな。バレてしまった以上、より一層酷しくしても問題ないだろう」
「あの、厳しいのニュアンスが、おかしな事になっているような・・・?」
「訓練の厳格化を自ら進言してくるとは、見直したぞターヤ訓練兵。貴様にもこれからは、真面目に稽古をつけてやるからな」
「お、お構いなく~」
「安心しろ。私の斬撃は、痛みを感じる暇も無いらしいぞ?」
「こ、こんなはずでは・・・ナディットさんの弱味を握って、今後楽したかったのに」
 ふらふらと、城壁の縁にもたれ掛かるターヤ訓練兵。まだまだ詰めが甘いのだよ。
 三人娘の撃沈後、ソリア訓練兵が楽しそうに笑っていた。笑いのツボがよく分からないな。
「まったく、仲が良いな君たちは?」
「ん? 貴様も既に、この愉快な奴等の一員のはずだが?」
「・・・え?」
 ソリア訓練兵の笑いがピタリと収まり、ゆっくりと俯いていった。嬉しそうというか、照れ臭そうというか。私の意図とは異なるが(皮肉ったつもり)、沈黙してくれたので、良しとしよう。
「やっと静かになった・・・」
 麗らかな日差しの下、西門にはとても穏やかな時間が流れている。鳥の囀りと隊員らの啜り泣く声の共演に、私もついついぼんやりと呆けてしまう。
 以上、第四分隊隊員らによる反乱、鎮圧完了である。
「・・・平和だな」

      
 そんな平和も、長くは続かないのが常である。それがよりによって、我が分隊が巡回を務める日だというのが笑えない。
 問題が起きたのは、砦の東にある草原を巡回していた時である。
「・・・ん?」
 草原の南東にある森から、何かが出て来るのを、遠目ながら視認したのだ。その動体は上下に跳ねながら、こちらに接近して来ている。
「ソリア訓練兵、あれを見てくれ」
 殿を務めていたソリア訓練兵を呼び寄せ、動体を指差した。
「あれは・・・何か近付いて来ている?」
「ああ、私はヤブネツクっぽいと思うのだが?」
「確かに、ヤブネツクっぽいと思うぞ」
 ソリア訓練兵と動体の特定をしていると、アシャ訓練兵たちも何だ何だと集まってきた。
「ナディット、ヤブネツクッポイって、何?」
「っぽいを繋げるな。ヤブネツクというのは、奥地の獣の一種だ」
「ヤブネツク・・・それって、ヤバイ奴なの?」
「群れで来られると危険という話だが・・・私も報告書で特徴を見ただけだから、何とも言えないな」
「特徴って?」
「体高は成人男性くらい、跳ねながら移動する逆関節動物で、とにかく筋肉質らしい」
「何か、可愛くないわね・・・」
「まあな・・・一匹のようだから、追い払うだけで良いだろう。あいつの一撃は骨を砕くこともあるらしいが、誰がやる?」
 挑戦者を求めてみると、意外な人物が即座に手を挙げた。ターヤ訓練兵である。
「私・・・辞退します!」
「だろうな、他にいるか?」
「扱いが粗雑!?」
 骨を砕くと言ったのがまずかったのだろうか、いつもは好戦的なシャンテ訓練兵でさえ、私から目を背けている。アシャ訓練兵に至っては、私の背後に隠れて、視界にすら入ろうとしない。
「貴様ら、いい加減に・・・」
「私が行こう」
 私の怒りに火が点きそうだった瞬間、名乗りを挙げたのはソリア訓練兵であった。
「一応、私も正規兵から派遣された身、少しは役立ってみせるさ」
「・・・分かった、任せる。ヒヨッコ共に戦い方を見せてやってくれ!」
「心得た!」
 ソリア訓練兵は、長剣を抜き放ち、もたもたしているうちに50mほど先に来ていたヤブネツクに向かって、駆け出した。
 ヤブネツクは難敵という評価だったが、ソリア訓練兵も中々の剣技の持ち主である。そうそう遅れを取るはずはないだろう。
「・・・待てよ、剣技?」
 私の中で、何か引っ掛かりを覚えたその時、ソリア訓練兵はヤブネツクと接敵した。
「はあぁぁっ!!」
 横薙ぎに繰り出される、鋭い一撃。私にも見切れるか判らないほどの速さであり、これで討ち取れないならどうかしているのだが、ヤブネツクはどうかしていた。
 ヤブネツクは、斬撃を前回転しながらの跳躍で回避したのだ。しかも、それで終わらず、遠心力を乗せた太い尻尾でもって、ソリア訓練兵の頭を打ち据えたのである。そして、よろめいた彼女の鳩尾を強烈なアッパーカットが襲う。
 空中へと打ち上げられ、我々の元へ送り返されるソリア訓練兵。私はこの事態に困惑しながらも、落ちてくるソリア訓練兵を受け止めた。
「大丈夫か、ソリア訓練兵!」
「がはっ・・・すまない・・・油断、した・・・」
「謝罪すべきは私の方だ。ヤブネツクに武器を使って挑むと激怒するので危険だということを失念していた」
「そんな、馬鹿な・・・」
 そのまま失神してしまったソリア訓練兵を、私はターヤ訓練兵の元へ運んだ。
「ターヤ訓練兵、回復魔法を!」
「分かっています! ・・・って、わぁ、鋼鉄の胸甲が凹んでますよ!?」
「ああ、装甲が無ければ死んでいたな・・・」
 恐るべし、ヤブネツク。頭の先から尻尾まで筋肉で覆われているというのは、伊達ではないということか。
「・・・ユルセナイ」
 突然、シャンテ訓練兵が長剣などの装備を外し出した。
「おい、分隊長! 素手なら大丈夫なんだよね!!」
「大丈夫というか、興奮状態にしないだけで、今さら素手で挑んでも・・・」
「もう、あたしも興奮状態だから!」
 話も聴かずに、飛び出していくシャンテ訓練兵。ヤブネツクばりの前回転跳躍をやってみせ、そのまま跳び蹴りをヤブネツクの顔面に叩き込んだ。そういえば、シャンテ訓練兵は、もの凄い身体能力の持ち主だったな。
「どうだ! ・・・あれ?」
 結果を言えば、シャンテ訓練兵の蹴りは、対して効いていなかった。着地した彼女に、ヤブネツクからの返礼が待っていた。尻尾で身体を支えての、両足蹴りである。
 これを腹部に食らったシャンテ訓練兵も、面白いように吹き飛ばされて帰ってきた。
「言わんこっちゃない・・・」
「っ・・・くそ~」
「ターヤ訓練兵に治してもらってこい」
「あんなの反則だ~」
 弱っているくせに煩いシャンテ訓練兵をターヤ訓練兵の元へ向かわせていると、アシャ訓練兵が袖を引いてきた。
「もしかして・・・私の番、なの?」
「あぁ・・・行ってみるか?」
「嫌・・・何故か、あいつを見ていると鳥肌が立つの。何でだろう、初めて見る相手なのに・・・」
「ああ、ヤブネツクはヤブーの親戚みたいなものだからな。そのせいじゃないか?」
「え、ヤブー? イヤーー鳥肌の理由がわかったぁ!!」
 アシャ訓練兵はしゃがみ込み、頭を抱えたまま動かなくなってしまった。
「行け、アシャ訓練兵。奴を追い払ってこい」
「無理無理無理!?」
「・・・いつまで甘えているつもりだ、アシャ訓練兵。もし、あいつが貴様の守りたいものを破壊するとしても、縮こまっているつもりか?」
 ヤブネツクは、その場に留まり、毛繕いをしている。相手の群れを全て蹴散らすまで帰らない習性というもあった気がする。
「で、でも・・・」
「王国軍兵たるもの、あの様な獣畜生に怯んでいてどうする? デーベラウと相対した時を思い出せ! あの時の貴様はもっと勇ましかったはずだぞ!!」
「わ、私は・・・」
 アシャ訓練兵は震えながらも何とか立ち上がり、毛繕いをするヤブネツクへと駆け出していった。
「強くなって、ナディットを泥だらけにしてやるんだからぁ!!」
 おう、そんなこと目標にされていたのか。
 拳を振り上げて、ヤブネツクへと肉薄するアシャ訓練兵。その拳が奴の顔面を捉えようとしたその時で、あった。ヤブネツクが、アシャ訓練兵の頬をひっ叩いたのである。
「へぶっ!?」
 殴る蹴るが得意になるよう進化していったはずのヤブネツクがビンタを選択するとは、よく分かっているじゃないか。
「・・・なんでよ!?」
 もはやヤケクソで殴り掛かるアシャ訓練兵であったが、もう片方の頬を打たれた挙げ句、泣きながら歩いて帰ってきた。
「うぅ・・・何で、何で私だけビンタなの? どうして?」
「・・・はいはい、よく頑張ったよ」
 ビンタしたくなる顔なんじゃ、という言葉をなんとか呑み込んで、キャパオーバーのターヤ訓練兵に代わり、回復魔法を掛けてやる。
「それにしても・・・貴様らは何故、魔法を使わないんだ?」
『・・・え?』
 私の発言に、皆が首を傾げている。
「炎をぶつければ逃げるぞ、あいつ獣だし?」
「・・・おい、分隊長。素手じゃないと駄目なんじゃ?」
「シャンテ訓練兵・・・だから話を聴けと言っただろう? 武器の使用は避けろとは言ったが、素手で挑めとは言っていない」
 やっちまった、みたいな空気が我々の間に流れていく。まあ、挑んだ奴ら、全員打たれ損なのだから仕方ない。
「・・・分かった、素手で追い払って来るから、情けない顔で私を見るな」
 私は致し方なく、挑戦待ちのヤブネツクの元へ歩み寄った。報告書には何と書いてあったか、それを思い返しながら、奴と相対する。
 そして私は、大きく腕を広げ、殴ってこいとヤブネツクを挑発した。すると、ヤブネツクは鼻を鳴らし、私に対して猛然と殴り掛かってきた。
 一撃で人を吹き飛ばすようなパンチを、私は両腕を盾にして受け続けた。もちろん、耐久力強化と回復魔法を並列で掛けながらである。
 雨霰のようなパンチを耐え抜くと、今度はヤブネツクの方が両腕を広げて見せた。今度は貴様が打ってこいと示しているのだ。
 御言葉に甘えて、回復魔法を筋力強化に転換し、ゆっくりと拳を突き出した。拳が確かにヤブネツクに触れた瞬間、私はヤブネツクの横を抜けるかのように踏み込み、ヤブネツクを殴り倒した。単純に言えば、もの凄い力で押したということである。
 ヤブネツクの身体は凄まじい勢いで地面に叩き付けられ、跳ね上がる。全身が衝撃吸収材で覆われているようなヤブネツクでなければ、首がへし折れていただろう。
 実力差を思い知ったのか、ヤブネツクは急いで起き上がるなり、一目散に森へと逃げ帰っていった。
 私は隊員らの元へ戻り、親指をピッと立ててみせた。
「ああすれば、素手でも勝てるぞ」
 その後、何らかのリアクションがあって然るべきなのだが、隊員らは凍り付いたかのように動かない。しかも、視線は私を通り越している。
 振り返ってみて、私も凍り付いてしまった。南東の森から何百というヤブネツクの群れが溢れ出していたからである。群れは示し合わせたかのように、我々の方へ猛進してきている。
「あぁ、各員、装備を確認後、撤退を開始せよ・・・砦まで走って逃げろ!!」
 我々は、濁流のように迫り来るヤブネツクの群れから、どうにかこうにか、逃げ切ることが出来た。その後、東境界砦は、ヤブネツクに半包囲されてしまうが、恐慌状態から立ち直ったアシャ訓練兵を始め、全訓練兵参加の炎の玉投げ作戦により、南東の森へ追い返す事には成功した。
 ただ、今回の一件で、アシャ訓練兵のトラウマに新たな一頁が生まれたことは、語るまでもないだろう。

      
 砦に篭ること、五日目。今日の第四分隊の使命は、炊事洗濯である。
 この任務は、想像以上にキツかった。デーベラウを狩るよりキツかった。
 まずは、30人分の朝食の準備からである。専用の大規模竈に30個の鉄鍋を掛け、30人分の食材を投下、全てが同じ仕上がりになるように調整しながら、作り上げるのだが、困ったことに調理を出来るのが私しかいないというのだから、笑えない。女性が揃いも揃って具材すら切り揃えられないのだから、笑えない。三人娘は想像が付くとして、ソリア訓練兵まで出来ないのは意外だった。あれほど剣技に長けていたのに、ナイフで指を切ると言うのだから、笑えない。
 ということで、私は夜明け前から食材を仕込み、火を点ける前から食材を鍋に投下しておく戦法で、この難局を乗り切ることが出来た。調理が出来なくとも、配膳は出来ると手伝いに来てくれたソリア訓練兵はともかく、平然と食堂の席に着いていた三馬鹿娘共は、斬り棄てるわけにもいかないので、後で懲罰を与えることにする(料理に罪は無いので朝食抜きは勘弁しておいた)。
 朝食の後は、食器洗いに、洗濯物の回収と洗濯、そして兵舎の掃除である。
 三馬鹿娘には、食器洗いと洗濯という苦行を与え、私とソリア訓練兵で兵舎を掃除しながら洗濯物を回収していく。私が男共の部屋を、ソリア訓練兵が女性の部屋を担当するわけだ。基本男共の方が女性の二倍居るので、ソリア訓練兵は終わり次第、三馬鹿の援護に回ることになっている。短所をカバーしようとする姿勢には、単純に好感が持てるというものだ。
 さて、毎日掃除の手が入っているのに、小汚くなる野郎共の部屋を効率良くクリアリングしていき、これまた小汚い洗濯物の山を担いで、洗濯班の元へ持っていく。
 洗濯は井戸の近くで行なわれており、四人が顔突き合わせて洗濯板に擦り付けていた。一応、真面目にやっているようだ。
「よし貴様ら、本隊の到着だ。阿鼻叫喚をもって迎え撃て~」
 彼女達の前に洗濯物の山を置くと、シャンテ、ターヤ両訓練兵は露骨に嫌そうな顔をした。
「え~男畜生の洗濯物なんて洗いたくないよ、ばっちい!」
「そうですよ、ナディットさん! 嫁入り前の乙女に何を洗わせるつもりですか! 嫁入り先が無くなったら、どうするつもりですか!!」
 ターヤ訓練兵が本気で抗議しているのには驚いたが、懲罰に口答えする不届き者に容赦するつもりは無い。
「黙れ、阿呆共。貴様らは乙女等では無い、誉れ高き王国軍人である。嫁入り願望などデーベラウにでも喰わせて、任務を実行しろ」
『人でなし~!!』
「そもそも、調理だけでなく、洗濯すら出来ない奴らに嫁入りなど二千年早いわ! 神暦からやり直して来い!!」
『なんですと~!?』
 二人と言い争っているうちに、野郎共の洗濯物に手を伸ばす者がいた。アシャ訓練兵である。
 多少は抵抗感があるようだが、文句一つ言わず、果敢に挑戦している。
「意外だな・・・」
 意外過ぎて、そのまま言葉にしてしまった。
「・・・洗濯には慣れてるの、男女問わずにね」
「ほう・・・貴様には嫁入り先が有りそうだな?」
「・・・うるさい」
 背中を向けられたので、表情は窺えなかったが、言葉が過ぎただろうか。代わりとばかりに、シャンテ、ターヤ両訓練兵が濁った目でこちらを見つめてきた。
『セクハラ~』
「そうか、昼食のラスグェン二つキャンセルか。いや、助かるな」
『洗濯させてください!』
 ようやく二人が洗濯に着手したので、後事をソリア訓練兵に任せ、私は昼食の準備をすべく調理場へと戻った。
 調理場では、洗い物のチェックから始めたが、使い始める前よりも綺麗になっているように感じられた。後で聴いたところによると、ここでもアシャ訓練兵が指揮を取り、活躍したらしい。彼女の洗浄スキルはどこで身に付けたものなのだろうか。
 夜明け前から仕込みは済ませていたので、今回も煮る事足りる。少し手透きだったので、激甘口ワインビネガーと野摘みのベリーを煮込んで簡易的なジャムを作り、薄焼きのパンと共に出すことにした。これがまた好評だったので、報われた気分だ。
 昼食が終われば、やっと小休止である。皆食堂に集まり、ぐったりとしている。
『しんどい~』
 三馬鹿娘は、今日も平常運転のようだ。
「お疲れ~」
 私は夕食の為に、ソルダナ作りである。玄麦粉を混ぜながら、何となく会話に参加中だ。
「慣れない洗濯で、手が酷いことになってるよ。手の豆とか向けて、悶絶してたわ」
「はい・・・水仕事は実家でも避けていました」
「ふぅ、洗濯なんて久しぶり・・・どうしてるかなぁ」
「皆、回復魔法を使えば、手荒れを防げるのは知っているか?」
「おおっ、それは盲点だったよ、ソリアさん! ということで、ターヤちゃん掛けて~」
「はいはい、アシャちゃんも手を・・・それ☆」
「ほぇ~手がツルツルだ! ありがとう、ターヤちゃん。そして、流石ですソリア先輩、まさに大人の女!!」
「はは、ありがとう。こういうのは、先輩から代々伝わっていくものなんだ。王国軍兵として化粧が出来ない代わりに、女としては肌の維持管理を怠らないようにしないと。毎晩寝る前に回復魔法を忘れずに、ね」
「そっか・・・訓練で魔力切れの毎日だったからな~。これからは余力を残しておくかな?」
「うぅ・・・私、回復魔法使えない」
「アシャちゃんの分も、私が掛けるから安心して?」
「ターヤ・・・ありがとう」
「ええ、ズルい、ズルい! ターヤちゃん、私も!!」
「シャンテちゃんは、出来る子でしょう?」
「そうきたか!」
「うふふ・・・それにしても今回は、女将さんに頼り切りだったのが裏目に出ましたね」
「はぁ・・・寮母さんの料理は美味しいから仕方ないよ、ターヤちゃん。ああ、早く帰りたい」
「私は・・・帰ったら、寮母さんに料理、習おうかな」
『アシャちゃんが料理に目覚めた!?』
「目覚めたというか・・・ナディットに好き勝手言われるのが悔しいというか」
『そこだ!!』
「えっと・・・何が?」
「そこだよ、アシャちゃん! ナディットが料理得意なのが気に入らないよ!!」
「全くです。隙の無い男性はモテませんよ、ナディットさん?」
 おっと、こちらに矛先が向いてきたか。
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「若く見えて、実は老人とか?」
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「はぁ・・・馬鹿話は程ほどにしておけ。馬鹿が露呈するぞ?」
「誰が馬鹿だよ!? というか、さっきから何をこねてるのさ!!」
「夕食用のソルダナ」
「くっ・・・憎き料理男子め」
「私はそれほど料理は得意というわけではないのだがな・・・そんなに料理が出来るようになりたいなら、貴様ら手伝ったらどうだ? 一人頭四つと計算して、全員分で120個仕上げねばならない」
『楽しみにしてます!』
「貴様ら、揃いも揃って・・・アシャ訓練兵、料理を習うのではなかったのか?」
「・・・帰ってから本気出すから、お構い無く」
「・・・話にならないな。そっちの二人は?」
「パス」
「パスします」
「貴様ら、ソルダナ減俸な?」
『横暴だ!?』
「妥当だろ?」
「だ、大体、料理したい気持ちが判らないよ。食べる方が断然良いよ」
「はぁ・・・私は好きで料理しているわけではないぞ? 待っていても、美味しい料理は出てこないから、作っているに過ぎない。自分で美味いものが作れるなら、いつでも美味いものが食べられるだろう?」
『それだ!!』
 何が三人娘の琴線に触れたのか、本気で料理を習おうという話で盛り上がり始めた。
「それなら、今すぐ手伝えよ・・・」
「わ、私が手伝おう。どうすれば良い?」
 せっかくなので、水を溜めた桶で手を洗ってから、ソリア訓練兵にもソルダナ作りを手伝ってもらった。
「手に打ち粉をしてから、適当な大きさに・・・そうだ、筋が良いな」
「ほ、本当か? 私もまだ捨てたものではないのか・・・?」
「諦めが早すぎるだろう・・・ソリア訓練兵なら、すぐにコツを掴むさ」
「そうだと助かるな・・・剣術に励む毎日で、こういう事はなおざりだったから」
「武人としては一人前だが、軍人としては半人前みたいだな」
「あはは、手厳しいな。これからは、どちらも励ませてもらおうかな」
「ああ、そうしてもらえると助かる・・・それにしても、習い事か、私も始めてみるか」
「ん? それは興味があるぞ。隊長殿は何を習うつもりなんだ?」
「部下の躾方」
「し、躾・・・? ち、ちなみに、誰に習うつもりなんだ?」
「監督官」
「それは・・・洒落にならないと思うぞ、私は」
 その後、ソリア訓練兵と協力し、どうにかソルダナの仕込みを終わらせることが出来た。
 夕食が終われば、再び食器洗いをし、明日の係りへ滞りなく引き継げるようにしておく。そして、最後の仕事が大浴場の準備である。日乾し煉瓦の基礎に炭化させた木板を葺いた浴槽を軽く洗い、湯を沸かす石を焼いておけば準備完了だ。
 寝る前に、火の始末を確認し、長かった五日目の任務も終了となる。
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