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第十二章 日本旅行編

第249話 鬱憤

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 モーズの昔馴染みフランチェスコはかつて、パラチオンと顔を合わせていた。しかも培養槽の中に居たというパラチオンに話しかける形で知り合っていた。
 《ウロボロス》の研究員として。

「フランチェスコは《ウロボロス》に、所属していた……? しかし少なくとも、パラチオンのいた研究所で過ごしていた事に……。いつから、いつまで、どこで、何を目的に……」

 テトラミックスに引き続き思わぬ方向からの目撃情報に、モーズの頭の中は混乱を極めていた。
 モーズと同じく医者を目指し、珊瑚症撲滅を掲げていたフランチェスコ。彼は【不老不死】といった、未だ非現実的の域から出ていない概念に関心を抱いている節などなかった。そんな彼が既に解体されている組織の残党とどう知り合い、どう流れ着いたのかさっぱりわからない。

「トルコ」

 その時、アトロピンが不意に言葉を紡ぐ。

「パラチオンが造られた研究所は、トルコにありました。ただし3年前に壊滅。それと同時にパラチオンは回収され、以降は【檻】で過ごしております」
「3年前……?」
「如何致しました?」
「いや、以前テトラミックスにトルコの大規模菌床に行った話を聞いた事があってな。その際、彼もフランチェスコと会ったのだと」
「テトラミックス……」

 するとアトロピンは紫色の瞳を見開き、モーズに向け深々と頭を下げてきた。

「モーズ殿、大事な事を伝え忘れておりました。申し訳ございません。――テトラミックスの前では、《ウロボロス》の話を極力しないで頂きたい」
「俺様には話したのにか?」
「貴方は組織名を知らぬほど疎かったので」

 眉をひそめるパラチオンに対し、アトロピンは顔を上げ淡々と答える。

「テトラミックスに限らず、ウミヘビ達は《ウロボロス》によい感情を抱いていない者が多い。悪戯に刺激しないようお願いいたします。中でもテトラミックスは、その名を聞くだけで心が乱れてしまう」
「……わかった。留意する」
「テトラミックスには内密にしていますが、3年前トルコに伺った目的も本当は菌床処分ではございません。パラチオンを製造した研究所を解体する為に向かったのです」
「な……っ!?」

『そそ。結構、大規模な菌床があったもんだから、クスシと一緒に大人数で行ったんだ。まーそんな現場でも俺は留守番だけどー』

 パラス国からの帰路で、フランチェスコと会ったというテトラミックスはそう話してくれた。しかしその情報には誤りがあったようだ。テトラミックス本人にとってはその情報こそが真なので、責める事など決してできないが。
 しかし改めて考えてみれば、大人数で向かっておいて、戦力として心強い筈のテトラミックスが留守番だったのも納得がいく。それでもいつも通り車番をさせたのは、気取られない為、あえてそうしたのかもしれない。

「実はラボに匿名での密告があったのですよ。《ウロボロス》には内通者がいたようですね」
「内通者……」

 《ウロボロス》は元の組織が大きいだけあり、一枚岩ではないという事だろう。しかし既に解体された組織について考えても仕方がない。
 モーズが今一番知りたいのはフランチェスコの事だ。

「パラチオン。研究所ではフランチェスコとはどのような話をしたのだろうか? 健康そうだったか? 何をしていた? 彼は確かに《ウロボロス》の一員だったのか?」
「一度に多くの事を訊くな。あと俺様は奴と会話という会話はしていない。目を開けたといっても寝惚けていたからな」
「そう、か……」

 期待していた答えが得られず、肩を落としあからさまに気落ちするモーズ。
 頭上に暗雲が浮かんでいるのを幻視するレベルで暗くなっているモーズを見兼ねてか、パラチオンは居心地が悪そうに身動ぐと、僅かに残る研究所時代の記憶を引っ張り出してくれた。

「その、だな。フランチェスコという男は口を開いたかと思えば、昆虫観察の話を、していたな……」

 その言葉から蘇るのは、教会のハーブ畑や街の公園で昆虫を観察していたフランチェスコの幼い姿だ。
 蟻の行列を延々と観察する事もあれば、カマキリの卵を持ち帰って騒動を起こす事もあれば、虫取り網片手に朝から蝶を追いかけ元気に笑っていた事もあった。
 好奇心旺盛の、虫が大好きな、活発な少年。
 非人道的な組織に属して何をしていたのかわからないが、根っこは何も変わっていない。
 それを知れたモーズは肩の力が一気に抜け、次いで「ふふふ」と思わず笑い声を漏らしてしまう。フランチェスコの行方を知れる情報ではないのに、何だか酷く安心してしまった。

「ありがとう。その言葉を聞けただけでも、大きな収穫だ」

 モーズはパラチオンに礼を告げると、再び屋内を見回す。しかし有益そうな物はない。
 アトロピンにとってよくない記憶が残る場所でもあるのだ、めぼしい物が見当たらない以上、長居する理由はない。

「では、そろそろ戻るとしよう」

 なのでモーズは、青洲達の待つ川辺へ戻る事とした。

 ◇

 ふよふよ
 球体型自動人形オートマタが雑木林の隙間に隠れるように浮遊し、川辺の様子を撮影する。
 撮影された映像は受信用の自動人形オートマタによってリアルタイムで視聴する事ができる。例え路肩に停めた車の中だろうと。
 車内で投影された映像に映っているのは、水切りに興じるウミヘビ達。
 視聴しているのはペガサスのエンブレムがあしらわれた黒服に身を包んだ、ペガサス教団の信徒達であった。

「これがウミヘビか」
「見た目は普通の人間に見えるぞ。本当に生物兵器なのか?」
「鶏血のホラかもしれないな。私達を脅して遠去け、手柄を独り占めしたいとか」
「あり得る」

 信徒達はつい先日、教団本部から伝道師として日本にやってきた鶏血の口により、初めてウミヘビの存在を知った。
 有毒人種であり『珊瑚』の天敵。人間離れした身体能力を持つ人外。見目麗しい外見だがその皮の下は毒そのもの。と言った特徴を教わったはいいものの、実際にウミヘビが菌床処分をする姿を見た訳でもない信徒達にとっては、俄かに信じ難い情報である。

「鶏血は人前で堂々と悪態を吐くような、傲慢で愚かな方だからな。翻訳機を使うまでもなく、態度で侮辱しているかどうかなどわかるというのに」
「立場が下の者には態度が大きいが、上の者には媚へつらうばかりの太鼓持ち。きっと洗礼もそれで受けたに違いない」
「そもそもあの横暴さも、『ユワ』がいるからこそだろうに。一人では何もできない臆病者」

 信徒達は車内ここに鶏血がいないのをいい事に、日頃の不満を口にする。
 鶏血は以前から教団本部含む世界規模の電子オンライン集会で、度々信徒達の前に姿を現していた。故に信徒達が実際に会ったのは先日が初めてではあるが、「不特定多数と目を合わせるのが怖い」という理由で仮面を付けている怯弱っぷりや、それでいて性悪とも言える人柄は把握済み。バーチャル越しではないリアルでも変わらない奸悪に、呆れたぐらいだ。
 それでも信徒達が鶏血に従っているのは、彼は教祖から洗礼を受け伝道師を任されているという事実があるのと、彼に心酔し側使いとして付き従う『ユワ』の存在が大きい。
 ユワは2メートル近い背丈を持つ巨漢であり、身体も黒服の上からわかるレベルで鍛えている。平均身長の低い日本人にとっては体格差だけでも脅威。欧州の人間でもユワに敵う者はそうそういないと推測できるほど、屈強。
 ボディーガードとして凶悪なユワがいるからこそ、信徒達は下手したでに出てしまうのだ。

 とは言え今回の目的は生物兵器であるウミヘビを相手にする事ではなく、クスシの始末。信仰対象である『珊瑚』を根絶しようとする、自然の摂理に反した活動をする不届者の排除。
 クスシは機密の塊であるウミヘビよりは情報が開示されている。特に最近は世界ニュースで度々『モーズ』が取り沙汰され、パラスの英雄としてその名と顔とマスクが日本にも伝わっている。
 尤もペガサス教団の信徒には、モーズは別の名前で知れ渡っていた。

「おい。彼は……『アレキサンドライト』ではないか?」
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