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第十一章 キノコの国のアリス編
第217話 狂ったお茶会
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ベニテングタケ状の菌糸が放つ光に照らされながらも依然と薄暗い洞窟を、エドワードは走る。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
彼の脳裏に浮かぶのは銀の防壁の中に入れられて直ぐの事。
閉所恐怖症、暗所恐怖症ではないものの、外の状況が見えないうえに酸欠がいつ訪れるかわからない恐怖に怯えていた中、いきなり腕を握られて驚いた時の記憶。
握ってきたのは、冷え切った冷たい手。それもその筈で、防壁の内側が変形した液体金属が、人の手の形を取ってエドワードに触れてきたのだ。元より体温がないのだから冷たいのは当たり前だった。
その銀の手はエドワードの手の平まで移動すると、人差し指を用いて手の平にスペルを一文字ずつ書いてきた。筆談だ。光が一切届かない、声も届かない中でのコミュニケーション手段として、水銀は液体金属を用いて筆談を介してきたのだ。
『持久戦に持ち込まれそうなのだけれど、貴方このまま留まる? それとも貴方だけ先に進む? 貴方だけなら逃がせるわ。ただし、この先は守れない。自分で対処しなきゃいけなくなるのだけれど』
要は進むか、留まるか、という二択の提示。
それに対してエドワードは迷わず『MOVE』と、銀の腕を指でなぞって返事を返した。
『いい返事ね、ボウヤ。なら進みなさい。ここから離れたら防壁を解除してあげる。それと、少し水銀を持っていくといいわ。最悪の事態に陥ったら燃やしなさい。水銀は強いもの、きっと切り抜けられる』
そうしてエドワードは戦闘の混乱に乗じて菌糸の壁の外側へと転がされ、暫く進んだ後に防壁が壊れて出る事ができた。
あちこち身体をぶつけたし、三半規管がいかれそうになったものの、無傷での脱出に成功。また幸いな事に辺りに感染者の姿はない。エドワードは直ぐにメディカルバックの中にしまっていた精製水入りペットボトルを空にし、水銀の勧め通り、壊れた防壁の残骸をその中に幾らか入れた。
(ありがとうございます、水銀さん……!)
水銀ガスは最後の手段。極力使わないつもりではあるが、対抗手段が一つでも増えるのは今の状況では心強い。
洞窟は彼方此方に道が伸び、どのルートの先にジョンがいるのかわからない。
だが、エドワードはわかった。
道の左右に生え、洞窟内を仄かに照らしている人の背丈を越える大きなベニテングタケ。時折りその柄に、切り傷が付いていたから。この切り傷は感染者や動物が付けた傷ではない、人間が付けたとわかる明確な傷だ。
鋭利なナイフ、手術用メスで付けられた傷。
(この先に絶対、ジョン院長がいる……!)
使う予定などないのに特殊学会でもメスを持ち込んでいたように、興味の惹く対象があれば、その場で解剖せるよう常日頃から常備している、筋金入りの解剖マニア。
それがジョンという男である。
エドワードの判断は正しく、痕跡を辿っていくとやがて真っ赤な空間へと辿り着いた。
『珊瑚』の菌糸の侵食が特に激しい広間。
土壁一面を覆うのは、華やかな薔薇を模した菌糸に棘のついた蔦を模した菌糸。中央は潰れたアンズのような塊が鎮座し、その上に突っ伏す形で乗る、感染者の姿が1人。その近くの地面にも、もう1人感染者が寝転がっている。
エドワードは反射的に身構えたが、今まで遭遇した感染者とは何やら様子が異なる。身体から枯れ枝のような菌糸を生やしているステージ4以上、と目視でわかるのに動かない。エドワードという養分かつ侵入者を前にして、反応を全く示さない。
(何だろう? 変異体というやつか? いやそれにしても静かすぎて不気味というか、変な臭いも……)
腐臭。
フェイスマスクを付けているから気付くのが遅れてしまったが、この薔薇園を模した広間には腐臭が充満している。
そして腐臭の発生源は、潰れたアンズのような塊近くにいる感染者2人だ。男性と女性の2人。人間の感染者はステージが進んで『珊瑚』に乗っ取られても身体は朽ちないものだが、養分不足となると菌糸の方に養分が優先され、宿主は死亡。そして腐る。
この男女2人の感染者は、養分不足となった成れの果てだろう。
またよく見たら、潰れたアンズのような塊の上にはコウモリやカエル、ネズミに千切れたイモムシの死骸も乗っている。真っ赤な菌糸で覆われていたので、塊の赤色と同化して気付かなかった。
(何なんだろう、ここは。とても、不気味だ。あっ、いや、それよりもジョン院長の探さないと)
ジョンが病棟から姿を消してからもう2時間、いや3時間は経過している。一刻も早く投薬を施さねば。
広間は行き止まりのようで、これ以上進める道はない。ジョンが来た道を戻ったりしていなければ、ここにいる筈だ。エドワードは辺りをくまなく見渡した。
そして潰れたアンズのような塊の向こう側、広間の一番奥まった所に寄りかかり、いばらの蔦状菌糸で覆い隠されていた、ジョンの姿をとうとう見付けた。
「ジョン院長!」
エドワードはすかさず駆け寄り、ジョンを覆う蔦状菌糸を掴んで千切ろうとする。しかし細い蔦に見えても実態は硬質な『珊瑚』の菌糸。素手では壊せない。
「ジョン院長! 聞こえますか! 意識はありますか!?」
しかもジョンの意識はないようで、呼びかけの反応は一切なかった。意識混濁。危険な状態。
エドワードは一刻も早く診る為にも、所持していた火炎放射器を手にし、蔦状菌糸の端を焼き切ろうとする。
「ジョン院長、待っていてください! 今、僕が……っ!」
「何をして、いるのかしら」
その時、背後からソプラノの声が聞こえて、エドワードは硬直する。
振り返れば、フリルとレース、リボンをたっぷりとあしらった黒いドレスを着た少女が1人、潰れたアンズのような塊の上に立っている。
「おじさまごと、お茶会を燃やす、おつもり?」
手入れを怠り劣化した人形のように、身体中、ヒビが入った姿で。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
彼の脳裏に浮かぶのは銀の防壁の中に入れられて直ぐの事。
閉所恐怖症、暗所恐怖症ではないものの、外の状況が見えないうえに酸欠がいつ訪れるかわからない恐怖に怯えていた中、いきなり腕を握られて驚いた時の記憶。
握ってきたのは、冷え切った冷たい手。それもその筈で、防壁の内側が変形した液体金属が、人の手の形を取ってエドワードに触れてきたのだ。元より体温がないのだから冷たいのは当たり前だった。
その銀の手はエドワードの手の平まで移動すると、人差し指を用いて手の平にスペルを一文字ずつ書いてきた。筆談だ。光が一切届かない、声も届かない中でのコミュニケーション手段として、水銀は液体金属を用いて筆談を介してきたのだ。
『持久戦に持ち込まれそうなのだけれど、貴方このまま留まる? それとも貴方だけ先に進む? 貴方だけなら逃がせるわ。ただし、この先は守れない。自分で対処しなきゃいけなくなるのだけれど』
要は進むか、留まるか、という二択の提示。
それに対してエドワードは迷わず『MOVE』と、銀の腕を指でなぞって返事を返した。
『いい返事ね、ボウヤ。なら進みなさい。ここから離れたら防壁を解除してあげる。それと、少し水銀を持っていくといいわ。最悪の事態に陥ったら燃やしなさい。水銀は強いもの、きっと切り抜けられる』
そうしてエドワードは戦闘の混乱に乗じて菌糸の壁の外側へと転がされ、暫く進んだ後に防壁が壊れて出る事ができた。
あちこち身体をぶつけたし、三半規管がいかれそうになったものの、無傷での脱出に成功。また幸いな事に辺りに感染者の姿はない。エドワードは直ぐにメディカルバックの中にしまっていた精製水入りペットボトルを空にし、水銀の勧め通り、壊れた防壁の残骸をその中に幾らか入れた。
(ありがとうございます、水銀さん……!)
水銀ガスは最後の手段。極力使わないつもりではあるが、対抗手段が一つでも増えるのは今の状況では心強い。
洞窟は彼方此方に道が伸び、どのルートの先にジョンがいるのかわからない。
だが、エドワードはわかった。
道の左右に生え、洞窟内を仄かに照らしている人の背丈を越える大きなベニテングタケ。時折りその柄に、切り傷が付いていたから。この切り傷は感染者や動物が付けた傷ではない、人間が付けたとわかる明確な傷だ。
鋭利なナイフ、手術用メスで付けられた傷。
(この先に絶対、ジョン院長がいる……!)
使う予定などないのに特殊学会でもメスを持ち込んでいたように、興味の惹く対象があれば、その場で解剖せるよう常日頃から常備している、筋金入りの解剖マニア。
それがジョンという男である。
エドワードの判断は正しく、痕跡を辿っていくとやがて真っ赤な空間へと辿り着いた。
『珊瑚』の菌糸の侵食が特に激しい広間。
土壁一面を覆うのは、華やかな薔薇を模した菌糸に棘のついた蔦を模した菌糸。中央は潰れたアンズのような塊が鎮座し、その上に突っ伏す形で乗る、感染者の姿が1人。その近くの地面にも、もう1人感染者が寝転がっている。
エドワードは反射的に身構えたが、今まで遭遇した感染者とは何やら様子が異なる。身体から枯れ枝のような菌糸を生やしているステージ4以上、と目視でわかるのに動かない。エドワードという養分かつ侵入者を前にして、反応を全く示さない。
(何だろう? 変異体というやつか? いやそれにしても静かすぎて不気味というか、変な臭いも……)
腐臭。
フェイスマスクを付けているから気付くのが遅れてしまったが、この薔薇園を模した広間には腐臭が充満している。
そして腐臭の発生源は、潰れたアンズのような塊近くにいる感染者2人だ。男性と女性の2人。人間の感染者はステージが進んで『珊瑚』に乗っ取られても身体は朽ちないものだが、養分不足となると菌糸の方に養分が優先され、宿主は死亡。そして腐る。
この男女2人の感染者は、養分不足となった成れの果てだろう。
またよく見たら、潰れたアンズのような塊の上にはコウモリやカエル、ネズミに千切れたイモムシの死骸も乗っている。真っ赤な菌糸で覆われていたので、塊の赤色と同化して気付かなかった。
(何なんだろう、ここは。とても、不気味だ。あっ、いや、それよりもジョン院長の探さないと)
ジョンが病棟から姿を消してからもう2時間、いや3時間は経過している。一刻も早く投薬を施さねば。
広間は行き止まりのようで、これ以上進める道はない。ジョンが来た道を戻ったりしていなければ、ここにいる筈だ。エドワードは辺りをくまなく見渡した。
そして潰れたアンズのような塊の向こう側、広間の一番奥まった所に寄りかかり、いばらの蔦状菌糸で覆い隠されていた、ジョンの姿をとうとう見付けた。
「ジョン院長!」
エドワードはすかさず駆け寄り、ジョンを覆う蔦状菌糸を掴んで千切ろうとする。しかし細い蔦に見えても実態は硬質な『珊瑚』の菌糸。素手では壊せない。
「ジョン院長! 聞こえますか! 意識はありますか!?」
しかもジョンの意識はないようで、呼びかけの反応は一切なかった。意識混濁。危険な状態。
エドワードは一刻も早く診る為にも、所持していた火炎放射器を手にし、蔦状菌糸の端を焼き切ろうとする。
「ジョン院長、待っていてください! 今、僕が……っ!」
「何をして、いるのかしら」
その時、背後からソプラノの声が聞こえて、エドワードは硬直する。
振り返れば、フリルとレース、リボンをたっぷりとあしらった黒いドレスを着た少女が1人、潰れたアンズのような塊の上に立っている。
「おじさまごと、お茶会を燃やす、おつもり?」
手入れを怠り劣化した人形のように、身体中、ヒビが入った姿で。
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