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第十一章 キノコの国のアリス編

第210話 マッド・ハッター

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 崩落した地面の下へ落ちて行ってしまったカールを追おうと、モーズは迷わず穴へ駆け寄るが、砒素に腕を掴まれて止められてしまう。

「どうして止めるんだ、砒素さん!」
「心配せずともあの程度で死ぬタマじゃないじゃろ。それよりいい加減、わしにステージ6と遊ばせて欲しいのぅ。ではお預けを食らってしまったからのぅ」
「そんな事を言っている場合では……! 下には【大型】も一緒に落ちたというのに……!」
「【大型】相手だろうと、わしらが下手に加勢しても邪魔じゃ、邪魔。単独の方がカールは活き活きするぞ? いひひひっ!」

 砒素は愉快そうに笑い声をあげる。この危機的状況を、楽しんでいる。

「それよりわらしじゃ、わらし! いひひっ! 感染者のわらしを相手にするのはいつぶりかのぅ。楽しみじゃ、楽しみじゃ」

 今、彼の眼中に映っているのはオニキスだけだ。モーズさえ見ていない。護衛を任された手前、側に置いているだけといった風だ。
 爛々と、玩具を前にした子供のように、黄色い瞳を輝かしている。遊戯室で子供達と遊んでいた時よりも、興奮した様子で。

「たぁっぷり、遊びたいのぅっ!」

 ◇

 その頃、水銀はエドワードを抱えながら洞窟内を猛スピードで進んでいた。時折り、ステージ5感染者の姿を見かけたが、その度に土壁や天井へ足場を移し全てスルー。移動を最優先とし一切相手にしなかった。
 なおそんな絶叫アトラクションじみた移動を受け続けたエドワードの三半規管は限界に達してしまい、今にも吐きそうになってしまっていた。

「す、水銀さん……! あの、その、スピードを緩めて貰う、事は……っ! う……っ!」
「あらやだ、また吐きそうなの? ボクにかけたら承知しないわよ?」
「こ、こんな進み方をしていたら、誰でも、酔いますって……!」
「軟弱ねぇ」

 エドワードの必死の訴えにより、辺りに感染者の姿のない、比較的安全そうな開けた場所で水銀は滑走を停止。

「うっ、おぇ……」

 そこでとうとう限界を迎えてしまったエドワードは、洞窟の端っこでフェイスマスクをずらし、胃の内容物を吐き出した。胃液の苦い味が口内に広がり、気分の悪さも重なって彼は眉間にシワを寄せる。

「嫌だわ。わたしのお庭に、汚い物を撒き散らかさないで?」

 その時、ソプラノの声が洞窟の奥から聞こえてきた。
 声が聞こえてきた方を見てみれば、一人の少女が立っている。ファンシーなベニテングタケを模した菌糸が生えているものの、ジメジメとした洞窟内には似つかわしくない、フリルとレース、リボンをふんだんにあしらった黒いドレスに身を包んだ、ストロベリーブロンドの少女。
 ドールめいたその少女が突如として現れた事に、エドワードは瞠目した。

「しょ、少女……!?」
「クレームが入ったわね。掃除しときなさいな、ボウヤ」
「そんな事を言っている場合ですかっ!?」
「貴方にも言っているのよ? いかれ帽子屋マッド・ハッターさん?」

 少女は水銀に赤い瞳を向けて言う。彼は液体金属の滑りを活かして滑走していた為、洞窟内の至る所に液体金属が付着している。少女はそれの事を言っているのだろう。
 しかし水銀は悪びれた顔をする事なく、独特な呼び名を付けられたことの方が気になるようだ。

いかれ帽子屋マッド・ハッター……。ボクの事かしら? ネーミングセンスないわねぇ、嫌になっちゃう」
「そ、それよりも彼女がモーズさんが言っていた少女でしょうか!? 黒いドレスを着ていますし!」
「そうかもしれないわね。どうでも良いけれど」

 そこで水銀は頭に乗せていた小さな銀のシルクハットを手に取ると、中に手を入れ、マジックの演出のように銀の細剣を取り出す。

「さて。院長の場所を吐く気ならにしてあげるけど、どうかしら?」
「今日はおじさまの大事な【誕生日】よ? お邪魔虫はお帰りになって? そしたらわたしは何もしないわ。お庭を汚した無礼も、許してあげる」
「誕生日……? 今月はジョン院長の誕生月でもないのに……? というか『おじさま』って……?」
「あぁ、ステージ6が口にしているっていう【誕生日】ね。どうでも良いけれど。その辺はクスシの連中が調査する事でしょう」

 少女の受け答えに困惑するエドワードとは対照的に、求めている答え以外の発言は心底どうでもよさそうに振る舞う水銀。

「答える気がないだけなら、ボクは殺すだけよ?」

 彼は細剣の切先を、少女へ向けた。
 直後、小鳥がピィピィと騒ぎ立てるように、少女はソプラノの声を洞窟内に響かせる。

「やっぱりいかれ帽子屋マッド・ハッターだわ! 支離滅裂で乱暴者っ! きっとそのうち震えが止まらなくなって、怒りん坊になって、目付きが怖くなるんだわ!」
「それただの水銀ボクの中毒症状ね。目付きが、っていうのは不眠症の事かしら? 人間って寝不足だとクマができるし目が血走るし顔色悪くなるしで、大変よねぇ」
「冷静に分析していないで、彼女を説得してジョン院長の事を聞き出しましょうよ!?」
「残念だけど、ボクはを口説き落とすような趣味、持っていないわ。だから、さっさと答えないなら絞め殺してあげる。今、ここで」
いかれ帽子屋マッド・ハッターはイモムシさんにお説教を受けるのがお似合いよっ!」

 すると少女の怒りに呼応するように、水銀とエドワードの背後に菌糸の壁が生えてくる。少女の後ろも同様に生えてきて、四方から中央に向け絵の具を塗りたくるように赤く染まっていき、最後には隙間なく閉じてしまった。
 閉じ込められた。しかも閉じ込められただけでは終わらず、菌糸の壁に無数の六角形の切れ込みが入っていき、ボコリと突き出て蜂の巣状となり、その六角形の窪みから、菌糸の中に隠れていたらしい感染者が、這うように出てきた。

「《虫型》……!」
「全く。ボクじゃなくてニコチンが来ればよかったのに」

 蜂の巣状の菌糸の壁から出てきた感染者の姿は、イモムシに似ていた。身体の両側面からうぞうぞと、短く太い菌糸の足を生やしたイモムシ。
 蜘蛛の形態を取りがちな《虫型》とは異なる風貌だが、《虫型》には違いない。水銀は今頃ネグラで悠々とタバコを吸っているだろうニコチンの姿を思い浮かべて、銀の瞳を細める。

「まぁ、問題ないけれど」

 前門にも後門にも、虫、虫、虫、虫、虫、虫。
 少女を除き10人以上はいる感染者。身体の側面から生やしたイモムシの足状菌糸をじわじわと伸ばし、先端を針のように尖らせて、こちらを串刺しにしようとしてきている感染者。

「ボウヤ、ボクから離れない方が賢明よ? ボクが操れる銀はおおよそ、ボクの視界の範囲内なんだから。その外に出たら身を守る保証はできないわ」
「は、はい……っ!」
「いい子ね、ボウヤ」

 水銀はエドワードが素直に自分の言う事を聞いてくれる事に気をよくしてか、国が傾きそうなほどに美しい微笑を浮かべると、持ったままだったシルクハットを上へ放り投げ、
 シルクハットの中から薔薇の花弁状をした液体金属を、辺り一面へ舞い散らせた。
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