毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十一章 キノコの国のアリス編

第207話 イート・ミー

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「はぁ、はぁ、はぁ……」

 じめじめとした湿気に満ちた薄暗い洞窟の中を、ジョンは足を引き摺るようにして進む。
 太陽光が届かない洞窟の中なのに真っ暗ではないのは、あちらこちらに生える、人の背丈を優に超えたサイズの、赤地に白い水玉模様が特徴的なベニテングタケに似た『珊瑚』の菌糸が発光しているからだ。
 『珊瑚』が菌床内では色や形を変えるのは軍属経験のあるジョンも知っているが、発光する個体を見たのはこれが初めてである。こんな状況でなければ、菌床から切り離して持ち帰って解剖して分析して論文にしたためている所だが、今その余裕はない。

「おじさま、もう少しでお茶会の会場よ? 頑張って? あまりお辛いなら、ネズミさんに運んで貰った方がいいかしら?」

 ジョンの左側を歩くスピネルが、ソプラノ声で囁く。だがジョンは無言で首を横に振って断った。
 彼女の言う『ネズミさん』は、洞窟内を徘徊する《鼠型感染者》を指しているからだ。それも一人や二人ではない。目に見える範囲だけでも二十人はいる。人数だけ見れば現時点で、この菌床は中規模に達してしまっている。

(一体、何人の感染者がいるんだ、ここは。そしてこいつは、俺も奴らの仲間に組み込む気か?)

 スピネルの目的がわからないジョンは考察を巡らせる。感染病棟を出てからというものの、徐々に身体が重くなっていっているが、思考は変わらずクリアに動かせる。
 ジョンは意識を手放さないよう、思考を止めない事を心掛けた。

「……っ!?」

 しかしジョンの思考をかき乱すかのように、洞窟の岩陰に潜んでいたコウモリが周囲に集ってきて、纏わりついてくる。
 どれも『珊瑚』に寄生されたコウモリだ。体表が変質し、枯れ枝のような菌糸を生やしている。

「こらこら、駄目よコウモリさん。おじさまの邪魔をしては」

 纏わりついてきたものの、吸血などの攻撃の意思はないらしいコウモリの群れは、スピネルに咎められるとあっさりと下がっていった。
 しかし遠くには行っておらず、ベニテングタケに似た菌糸の傘に逆さまにぶら下がり、ずっとジョンの様子を伺っている。

「ごめんなさいね。あの子達、身体が朽ちる前に貴方に食べて貰いたいのよ」
「食べる……!? コウモリをか……!?」
「あら、ようやくお口を開いてくださった」

 にっこりと、花が咲くように笑うスピネル。
 衝撃的な事を言われて思わず口をきいてしまったことに、ジョンは思考力が低下してきている事を自覚した。視界も少し、ぼやけてきている。

「みぃんな、もっといい『宿主』に移りたいのよ。空を飛べるコウモリさんも素敵だけれど、《適合率》が低くって、直ぐに死んでしまうから」

 寄生中や寄生菌は生育の段階の関係で一時的に寄生した対象、中間宿主を終宿主に食べられやすいよう、敢えて目立つ行動をさせる事がある。
 カタツムリを中間宿主として寄生する虫『ロイコクロリディウム』がいい例だ。寄生した後は触覚を緑色に変色したうえで肥大化させ、明るく目立つ葉の上行くよう行動を操り、まるで芋虫のように振る舞う。そして終宿主である鳥に身を捧げる。
 その性質が『珊瑚』にもあるとは聞いた事がない。どの研究でも『珊瑚』は一度寄生した宿主から移る事はなく、朽ちるまで増殖や胞子の散布をするのが通説だ。

(……いや、一人だけ、違う説を唱えていた男が、いたな)

 またスピネルが口にした《適合率》という言葉も気になる。人間以外の宿主を《適合率》が低い者として見做みなしているのか。はたまた違う基準が『珊瑚』の中には存在するのか。

「着いたわ! おじさま!」

 考察をしている内に、ジョンは洞窟内でも開けた場所に辿り着いていた。仄かに発光する胞子の塊が不規則に浮かんでは沈み、また浮かび上がっては流星のように舞っている。
 その胞子を光源として開けた場所――広間と呼称できるそこの中央には、洞窟の中にあるとは思えないほど綺麗に整えられた長テーブルが置いてあった。
 純白のテーブルクロスがかけられ、その上にはアフタヌーンティーで使うような三段重ねのケーキスタンドに、ティーポットにティーカップ、薔薇柄のトレイが置かれている。
 まさにこれからお茶会が始まらんとしている空間。だが長テーブルに置かれた食器の上には、紅茶もケーキもお菓子もない。空っぽだ。恐らく白磁のティーポットにも何も入っていないだろう。注ぎ口から湯気が出ていない。

「さ、さ、席にお座りになって?」

 長テーブルには6つの椅子が設置してある。その内の一つには先に広間に来ていたオニキスが座っていて、その内の二つには人間大のテディベアと人間大のウサギのぬいぐるみが座らされている。
 スピネルはジョンの白衣の袖を引っ張って、長テーブルの短辺、一人分の席へと誘った。主賓席というやつだ。
 【誕生日席】と呼ぶ事もある。

(席が一つ、空いているな……。たまたまか?)

 半ば無理矢理座らされた主賓席にジョンが落ち着くと、スピネルはジョンから見て左側の一番近い席へ腰を下ろした。ちなみに彼女の向かいの席にはオニキスが座っている。

「もう直ぐおじさまも、『珊瑚サマ』の声が聞こえるようになるわ。楽しみね」
「ねーねー。早くお菓子食べようよー。待ちくたびれちゃった」
「駄目よオニキス。皆んな揃った後じゃなきゃ」

 空のトレイに手を伸ばすオニキスを叱り付けるスピネル。クッキーもスコーンもケーキもそこにはない筈なのに。
 イカれた空間に、ジョンは既に辟易としていた。

「あ、モーズが来たって!」

 しかし何かを察知したオニキスは突然、椅子が倒れるのにも構わず勢いよく立ち上がり、洞窟の奥へ視線を向ける。

「オニキス? ちゃんと座っていなきゃ駄目じゃない」
「だってモーズがここまで来てくれたんだよっ! 折角だから誘おうよ~っ!」
「誘うと言っても、席は全て埋まってしまっているわ。またの機会にしましょうよ」
「クマかウサギをどっちか下ろせばいいじゃんっ! そしたら一つ席が空くよ!」
「まぁ! なんて事をおっしゃるのかしら! をお茶会から追い出すなんて!」

 スピネルが声をあらげた。ぬいぐるみを両親と言った上で。
 飯事として見立てているのか。それとも本気で親として扱っているのか。イカれた空間では判断がつかない。

「そんなに怒んなくてもいいじゃんっ! ……でもどっちにしろ相手した方がいいと思うよ? 来たのモーズだけじゃないみたいだし、絶対【誕生日】の邪魔されちゃうよ」
「……それも、そうね。ご挨拶に行きましょうか」

 すくりと、スピネルも席から立ち上がる。
 人がいなくなるのならばこの場から離れられる可能性が、と期待したジョンだったが、

「おじさま。もう少しだけ、ここで待っていてくださいね?」

 軽く身動ぐ前に、いばらの蔦に似た菌糸が自身の腹部と足を椅子に縛り付けている事に気付いた。腕まで手すりにくくり付けられて、引き剥がす試行さえできない。

(そう簡単には動けんか)

 ジョンはさっさと諦め、広間から去っていくスピネルとオニキスの後ろ姿を眺めた。
 そして一人になった後、ジョンから見て正面、向かいの空席が目に付いた。スピネルは全ての席が埋まっていると言っていたが、ぬいぐるみを含めたとして、どう見てもあの一席が空いている。これから追加で人が来る、と言った言い回しでもなかった。
 ジョンには見えないが、真菌のダマか何かでも座っていることになっているのかと、ぼんやりと考えていると、ふと視線を感じた。見られている。凝視されている。値踏みするかのように。舐め回すかのように。
 辺りに人の姿は見えない。人の姿は見えないが、ふと、目が合った。

 目の前。向かいの椅子の上に、見上げるほど大きな赤い塊が、塔のようにそそり立っている。
 人の腕並みに太い触手を無数の生やす、大木の幹に似た巨大な胴体を持つ赤い塊。
 その胴体の中央に一つ――眼球に似た何かが埋め込まれるようにあって、それが、ジョンを見下ろしている。
 ガタンッ
 動揺から椅子を揺らすが、拘束は固く立つ事も倒す事もできない。知識に一切存在しない、視界を占領する得体の知れない何か。だが、よくない物だと直感的にわかる何か。

 その触手が、人間の五本指を生やしたような触手が、こちらに向かって、伸びてくる。
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