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第十一章 キノコの国のアリス編

第206話 ウサギ穴

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 国連軍による除菌処理で幾らか蛍光剤の足跡は消えていたが、感染病棟の敷地の外に近付くに連れ、紫外線ライトにはっきりと映るようになってきた。
 そして病棟の裏口から出た後は、ジョンの物と思われる足跡が一筋だけ続いており、それが鬱蒼とした森へ続いている。モーズ達はそのまま森の中へと入った。

「しかしカールさんがここまで先読みして手を回していたとは、感服いたします」
「いんやこれは偶然よホント。そんでこっから先は、仕込みなし事前情報なしのぶっつけ本番! ステージ6とかいう未確認生物がどぉ~くるかわからない中での対応になる」

 足場の悪い森の中を歩きながら、モーズがカールに賞賛の言葉を贈れば、彼は手をひらひらと軽く振った後、人差し指をびしりとモーズへ向けてきた。

「けど〈根〉と交信ができるモーズちゃんなら、菌床があった場合の対処手段が増える。情報の先取りができるかもだからね。頼りにしているぜ?」
「ぜ、善処します」

 モーズの交信が成功したのは二度のみ。頼られるような実績は積んでいないので、最善を尽くすつもりではあるものの、しどろもどろに答える他なかった。

「森を散策するなど何年振りかのぅ。弁当でも持ってくればよかったわ!」
「要らないでしょうよ、ピクニックじゃないんだから。それよりカール、砒素のは取ったって事でいいのかしら?」
「取った取った! 好きに暴れていーよひぃちゃんっ!」
「いひひっ! 楽しみじゃっ!」
「その割には、《抽射器》の使用許可が得られていないようだけれど? 転移装置、動いてないじゃない」

 視界の悪い森の中を元気に歩く砒素。彼の手ぶらに見える格好を見て、水銀は両腕を組んで眉間にシワを寄せる。
 ウミヘビの一部は、許可のない戦闘を禁止されている者がいる。普段は車番をしているテトラミックスや、アメリカ遠征に同行したシアンがそうだ。彼らに続き砒素もまた、許可のない戦闘は駄目らしい。
 しかも水銀の口ぶりから、砒素は許可のない戦闘を禁止されているだけでなく、ウミヘビの毒素を抽出し攻撃へ転化する武器たる《抽射器》さえ持たされていないようだ。

「いちおーステージ6出現が確定してから、申請は出したんだけどね~。メンテナンスに手間取っているのかなぁ? ……あ。シアンが邪魔している可能性もある、かも……?」
「なんじゃと。わしのを奪うとは。帰ったら灸をすえねばならぬか」
「それは勝手だけれど、喧嘩なら外でして頂戴な」
「あの、大丈夫なのでしょうか? 万全の態勢でないのなら、少し時間を置く手も……」

 不安を掻き立てる会話をする3人に、エドワードの腰が退けてしまっている。

「大丈夫ですよ、エドワードさん。貴方の側にいてくださるのは水銀さんです。彼はウミヘビの中でも強い方、頼りになりますよ。……寧ろ万全でないという砒素さんと共にいる事になった、私の方が危ないかもしれません」
「なんじゃとっ!? わしを舐めるでないわ弟子よっ! は常備しておるわっ!」

 マスクの下でちょっと遠い目をしてエドワード以上に不安に駆り立てられているモーズに対し、砒素が小さな身体で大きく飛び跳ねながら猛抗議する。
 そして彼はチャイナ服風にアレンジした白衣の下から、鍔と刃が付いていない短剣、『ヒ首ひしゅ』を取り出した。
 刃がついていたとしても、小さい。頼りない。という感想が真っ先に思い浮かぶ『ヒ首ひしゅ』。一昔前は暗殺用として世に出回っていた物で、白兵戦向けとはとても言えない代物なので当然なのだが。

「小さい……。あ、いや、ええと、その抽射器はタリウムやペンタクロロのように、毒素で刃を伸ばせるのだろうか?」
「そんな事をしたらまで常備できなくなるじゃろ。わしはこれ1本でも! 菌床処分ができる男じゃぞぅっ!」

 そう言って砒素は、ヒ首を拾った木の枝のようにぶんぶん振り回している。不機嫌になった子供のような言動だ。これで菌床処分ができるとは俄かに信じ難い。
 功績を誇張しているのではないかと、砒素についてまだよく知らないモーズはつい疑ってしまう。

「本当に大丈夫なんでしょうか……」
「ボウヤ。砒素のをいちいち気にしていたら身がもたないわよ? こんなんでも実力があるのは本当。火力だけなら砒素の方がボクより上なぐらい。だから余計なことを考えなくていいわ」
「えぇ~、いや、えええぇ~」

 今いる5人の中で最も小柄な砒素の方が火力がある。水銀のその発言にエドワードは更に混乱してしまい、そっと痛む腹部をさすった。

「さぁて! 残念だけどピクニック気分はそろそろ終、わ、り、かなっ!」

 先頭を歩いていたカールが紫外線ライトを消し、腰のポーチにしまい込む。ジョンの足取りがそこで途絶えていたからだ。
 代わりに、火花のように細かく舞う赤い『珊瑚』と、その発生源であろう底の見えない大穴が、道を踏み外した者を飲み込むを待っているかのように、大口を開けている。

「この先はぁ、『自然形成タイプ』の菌床ぅ、かな?」
「建物内や街中で作られる菌床とは異なる、森や山奥で作られる菌床の事ですね。規模の指標もまた別になる。ただ人間が入り込まない場所で形成される菌床は基本的に小さい、と記憶しておりますが……」

 モーズは顎に手を当てて、脳内にある菌床の知識を引っ張り出す。
 『珊瑚』は人間以外にも寄生し、菌床を作る。ただし人間以外を〈根〉とした菌床は、極々小さい。精々、蜘蛛の巣並みの大きさだ。加えて人間以外では〈根〉も直ぐに朽ちてしまうので、長く保たない。
 山や森など鬱蒼とした場所へ遭難した人間などが感染者となり〈根〉となり、菌床を形成すればある程度の大きさにはなるが、滅多に聞かないうえに、脆く弱い。何故ならば、『珊瑚』の菌床は基本的に、取り込んだ人間の数によって強度が増す傾向にあるからだ。

「この先にジョン院長がいるかはまだ確定じゃないけど、菌床を見付けちゃった以上は処分しなきゃだし? めーちゃ怪しいし、行くっきゃないよね!」
「はいっ!」
「わ、わ、わかりました……!」
「よっしいい返事だ! 銀ちゃんは引き続きエドちゃん先生の護衛! ひぃちゃんはモーズちゃんの護衛ね! りぴーとあふたみー?」
「わかっているわよ」
「了解じゃっ!」
「最っ高のお返事ありがとうっ!」

 自陣の配置確認を終えたカールは、マスクの下でにぃと口角をあげると、大口を開けている大穴の淵に運動靴を履いた足を引っ掛ける。

「そんじゃ菌床処分、……開始だ」
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