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第十一章 キノコの国のアリス編

第204話 真菌の沸き所

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「おじさま、こちらよ。足元、気を付けて?」

 感染病棟から離れた先にある、視界の悪い森の中。ジョンはざくざくと、道なき道を歩き続ける。ジョンが歩く少し先では、フリルとレース、リボンをふんだんにあしらった黒いドレスを着た少女が、足元の悪さなど感じさせない軽やかな動きで歩いている。
 少女が導く先を重い足取りで進む最中、不意にぐらりと、視界が歪み眩暈を覚え、ジョンは近くの木にもたれかかった。

「息苦しそうね、おじさま? これはもう、要らないのではないかしら?」

 その事に気付いた少女はスカートをひらめかせ、ジョンへ歩み寄るとレース手袋に包んだ両手を伸ばす。ジョンの顔を覆っている、白黒のチェッカー柄のマスクを外そうとしているのだ。
 その手を、ジョンは払い除けた。

(……触れられる。実体がある。本体、という奴か?)

 病棟内でも少女には何度が触れられたが、触れられた感触を覚える事はなかった。
 しかし今は確実に、少女に触れられた感触を覚えた。酷く冷たい手だった。

「スピネル~っ! 早く行こうよー。日が暮れちゃうよ?」
「まぁ。オニキスはせっかちさんね」

 森の奥からひょっこりと、黒髪黒目の少年が顔を出す。彼の背格好には見覚えがあった。特殊学会でホログラム映像に映されていた少年だ。未成年故に顔はぼかされていたが、幼い体格にペガサス教団のエンブレムが入った黒服、真っ黒に塗った爪先。
 間違いない。彼は《ステージ6》として特殊学会で公表された、感染者だ。
 そんな、『オニキス』と呼ばれた少年と親しげで、なおかつ蔦状菌糸を操っていた少女『スピネル』も、ステージ6と断言していいだろう。

「ゆっくりで大丈夫よ、おじさま。お怪我をなさった時の方が心配だわ。だって、おじさまはまだ【誕生日】を迎えられていないのですもの。でも近いうちにきっと……。あぁ、待ち遠しい。終わらないお茶会を、楽しめるのだもの」

 赤い瞳を潤ませて、恍惚とした表情で自身を見上げてくるスピネルに、ジョンはそこはかとない嫌悪感を覚える。

(ステージ6……。つまり真菌カビの塊が、人の真似事をするなど……。まるで童話メルヘンでも見ているようだな)

 ◇

 院長室では引き続き、今後の段取りを話し合っていた。

「事情はわかりましたが、感染者への対抗手段を持たない民間人を連れて行くのは如何なものかと……」
「銀ちゃんを護衛にすれば大丈夫っしょ~。ねー銀ちゃんっ!」
「ボクにお守りを押し付ける気? 面倒だから遠慮被りたいのだけれど」
「お願いだよ~銀ちゃんっ!」

 モーズの心配を払拭する為にも、ソファの上で足を組み、辟易としている水銀に両手を合わせて頼み込むカール。

「あの、病棟には丁度、国連軍が来ているのですし、エドワードさんも連れて行くのならば軍に同行をお願いして貰うのは?」
「だぁめだぁめ! よく知りもしない連中といきなり共同作業なぁんてしたって烏合の衆よ! 守る対象が増えるだ! け! それに今回はぁ、《砒素》が居るからねぇ。――雑魚は、邪魔」

 カールは水銀の隣のソファに座る砒素へ顔を向け、突き放すようにそう言った。
 顔を向けられた砒素はと言うと「いひひ」と悪戯っぽく笑った後に、得意げな表情を浮かべている。

「待ってください! ジョン院長がいない今、ここの最高責任者は僕になります! 混乱が収まる前に離れるなんて無責任な事は……!」
「エドワード副院長」

 カールの提案を受け入れられないエドワードが断りを入れようとしたその時、フローレンスの凛とした声が彼の名を呼ぶ。

「どうぞ同行してください。留守の間、病棟は私が対応をいたします」
「フローレンス看護師長!?」
「そしてジョン院長に伝えて頂きたい。――『届いた』と」

 彼女は手に持った携帯端末の画面をマスク越しに凝視して、感情の読めない声でそう言った。
 次いで少し手を震わせながら、彼女は携帯端末を腰のポーチにしまうと、いつものように背筋をピンと伸ばす。

「カールさん。モーズさん。水銀さん。砒素さん」

 そしてオフィウクス・ラボから来たクスシ二人とウミヘビ二人に向け、深々と頭を下げた。

「お二人を、ジョン院長とエドワード副院長を、お願いいたします」
「……お願い、ねぇ。仕方ないわねぇ」
「いひひっ! お主も存外、おなごに弱いのぅ!」
「気分よ、気分。変な邪推はしなくていいわ、砒素」

 フローレンスの真摯な願いを聞き入れて、水銀はソファから立ち上がった。砒素も真似して立ち上がる。
 話は纏まった。

「さ、て、と! そんじゃジョン院長探索にごーごごー! の、前にぃ。解剖室に案内して欲しいなっ!」
「解剖室? いいですが、理由をお訊ねしても?」
「そりゃあ、は処置しとかなきゃじゃん?」
「病棟内は国連軍によって除菌が施されています。例え入り込んでいた所があっても、既に処置は終わっているのでは?」
「いんや終わってないね。絶対」

 何やらカールは確信を得ているようで、エドワードの言葉を否定してきた。

「やー。ジョン院長がどぉこでステージ6なんて希少な『珊瑚』を引っ付けたのか、ちょ~気になっていたんだよねぇ。身体も衣服も定期的に殺菌消毒しているしさぁ、ちょっとやそっと付着しても洗い流されちゃうはずなのにぃって! でも俺ちゃん、わかっちゃった!」

 人差し指を突き立てて、カールは明るく話す。
 彼はエドワードがモーズに語ってくれていた、ジョンの話を後ろで聞いていた時に、点と線が繋がったのだ。もしもこの予想が当たっていれば、国連軍の除菌の手は決して届かない。
 故に解剖室へ向かう事をまずは優先する事とした。

「木を隠すなら森の中。ステージ6、正確にはその真菌カビが入り込んだのは、解剖に回された――遺体だ」
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