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第十章 イギリス出張編

第195話 庭園でぇと……?

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「急な呼び出しに応えていただき、ありがとうございます。モーズ様」
「いえいえ、このくらいお安いご用意です。それから様付けは堅苦しいので、控えて頂きたいかなと」
「では、モーズさん」
「はい、フローレンスさん。それで、お話とは何でしょうか?」
「先日の特殊学会で発表された研究について、知見を深めたくてお呼び立ていたしました」

 フローレンスは持ってきた鞄を開けて、中から辞書並みに分厚い資料を取り出す。その内容はモーズが特殊学会で発表した研究をまとめた資料だ。
 学会に参加したジョンにデータとして渡した物で、それを彼女は複製印刷し持ち歩いていたらしい。

「新たに確認されたステージ6。それを体重で識別する、という発想はとてもユニークで、取り組み易さも考慮されていて、感服いたしました」
「ありがとうございます」
「しかし、少々……粗がある」

 フローレンスは分厚い資料の中から、女性の体重の統計データをまとめたページを抜き出してガーデンテーブルへ広げる。

「こちらのデータには、女性の胸囲ごとに分けた統計がありませんでしたね」
「胸囲……。そこは考えていませんでした。胸囲測定は随分と昔に撤廃され、健康診断などでは活用されませんし、必要ないと判断したもので」
「確かに一般的な健康診断では活用の機会はないでしょう。しかし体重を識別の指針とするのならば、無視するのはよろしくない。何故ならば同じ身長、同じ年齢の健常者だとしても、胸囲の差によって体重は変化するからです。例えばトップバストとアンダーバストの差が14センチから16センチ(※所謂Cカップ)の場合、胸の重さはおおよそ500グラム。これが19センチから21センチの差の場合(※所謂Eカップ)、重さはおおよそ倍の1キロ。そして比重の重い『珊瑚』の置換が進んだ場合、この差は大きくなります」
「成る程。私にはなかった視点だ」
「また現在では2人に1人の女性が人口子宮を用いて子供を出産いたしますが、未だ金銭的な理由や宗教的な理由で自身の身体を用いた経産婦は多くいます。そうなるとホルモンバランスの影響が如実に体重へ影響し、授乳期間が過ぎた母体だろうと出産経験のない健常者との違いが現れます。特殊学会で発表されたこの研究結果はまだ医療業界の一部にしか公開されていませんが、世間一般に広く知らせる時はいずれ来る。その時までに信頼のできる確固としたデータとして昇華させる為にも、詰めの甘さはなくさなければなりません」
「とても勉強になります。他にどんな事にお気付きになったのか、意見を頂きたい」
「わかりました。他にはですね……」

 そのまま延々と、ランタンに照らされた資料を元に議論を交わすモーズとフローレンス。
 庭園に咲き誇る真っ赤な薔薇のような燃え上がる恋も、可憐に咲き誇る桃色の薔薇のような甘酸っぱい恋も、影も形も存在しない。
 耳をすましても聞こえてくるのは、医療統計学についてと医療統計学についてと医療統計学についてと――

「…………。解散っ!!」

 飾り柱の陰から2人を見守っていたカールは、頭を抱えて叫んだ。勿論モーズとフローレンスには聞こえない声量で、だが。

「建前放り投げたー」
「なんじゃ、つまらぬ」
「だから言ったじゃない。全くもう」

 それでも議論を交わすうちに何か芽生えないかと、過ちが起きないかと、失礼極まりない下心の元にカールは水銀達を巻き込んでそのまま2人を見守ってみたが(※なお水銀とテトラミックスは早々に飽きて、水銀の液体金属で生成したチェスで対戦をしていた)、ガッツリ2時間、大学の講義並みの談話を交わした後に2人は別れていた。
 フローレンスの姿が見えなくなってから満足気にガゼボから出てきたモーズに、「せめて連絡先を交換しなさいよっ!」と、カールは駆け寄りながら突っ込みを入れたのだった。

 ◇

 翌朝。
 昨晩フローレンスと充実した時を過ごせたモーズは、晴れやかな様子でエドワードと合流をしていた。今日から本格的に病棟内調査が始まる。まずは病棟の出入り口があるエントランスから……なのだが、そこで合流したエドワードは何故か既に疲れた様子をしていた。

「エドワードさん? 身体が重そうに見えますが、体調が優れませんか?」
「いっ、いえいえ! ちょっと寝付きが悪かっただけですっ!」

 心配して声をかけてくれたモーズに、エドワードは誤魔化すよう努めて明るい声音で話す。

「そうですか。あぁ、そうそう。昨晩はフローレンスさんと庭園でお話をさせて頂いたのですが」
「は、はいっ!」
「とても充実した時を過ごせました。忌憚のない意見を沢山聞く事ができまして。彼女の妥協の許さない姿勢は、素晴らしいものですね」
「そ、そうですか……」

 同じ病棟勤務のエドワードにとって身内と言えるフローレンスが褒められたというのに、エドワードはどこか落ち着かない様子で身体を揺らしている。
 するとエドワードの後ろからひょっこりと姿を現したカールが、エドワードの白衣の袖をちょいちょい引っ張った上で話しかけてきた。

「エドちゃん先生、エドちゃん先生」
「何でしょう……?」
「昨晩、俺ちゃん草葉の陰から2人のを見守っていたんだけどさ。……何か、大学の講義を聞いて終わったんだけど? フローレンスちゃんって教師か何かなの?」
「……あ、あぁ! あぁ! そうです、フローレンス看護師は看護師学校で特別講師として教鞭を振るう事もありまして! 特に医療統計学の分野は造詣が深い方なのです!」

 暗に何もなかった、とカールから告げられて、エドワードはあからさまに上機嫌に話し始めた。

「やはり。連絡先を聞いておくべきでした。機会がありましたら、是非またお話をしたい」
「ぼ、僕を通した方が早いですよ! 彼女は普段から忙しなく働いておりますから! 連絡を取りたい場合はいつでも仰ってくださいね!」
「そうですか? わかりました」
「で、では! 改めまして病棟を案内いたします!」

 そうしてエドワードはモーズとカール、そして水銀と砒素を連れて、感染病棟の案内を開始した。
 なおその頃。いつものように病棟の駐車場で車番をしていたテトラミックスは、巡回でやってきたフローレンスに見付かり、斧を片手に「寮で休め」と迫られて逃げ回る事態となっていたのだが、それをエドワードが知る事はなかった。


※エドワードはフローレンスを『姉』のように慕っています
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