上 下
164 / 275
第九章 《植物型》攻略編

第162話 《アニリン(C6H5NH2)》

しおりを挟む
「なんと、やわい」

 フルグライトの身体に巻き付いたアイギスの口腕。それはフルグライトの足元から生えた、棘の付いた蔦状菌糸が貫き、引き千切り、いとも簡単に拘束を解いてしまった。
 そのままフルグライトは、身体に巻き付いたままだった口腕を蔦状菌糸にはいで貰い、樹洞の外へと捨てる。
 アイギスによる拘束が効かない。パウルにとってそれ自体はどうでもよかった。それよりも重要なのは、口腕の剣状棘から注いだ毒がフルグライトに効果を示していない事だ。
 人間が食らえば即座に昏倒するレベルの毒が、欠片も効いていない。

 やはり黒山羊のマスクを付けたこの男はステージ6だと、パウルは確信した。

「アイギスの毒、全く効いてないね。フリッツの報告通り、クスシじゃ打つ手なしか。……ムカつくなぁッ!」
「では諦めて、退いてくれるだろうか?」
「悔しいけど、僕じゃお前を捕まえられないね」
「ようやく、賢い選択を」
「だから殺すね」

 空中に浮遊するアイギスのうち3匹が、引き続き《植物型》の菌糸を引き千切りにかかる。
 残り2匹は無数の口腕を樹洞の中へ伸ばし、フルグライトを上から下から真横から、叩きのめそうとする。
 拘束ができないのならば仕方がない。毒が効かないのならば仕方がない。
 口腕で殴り殺す。または首を絞めて窒息死させる。または五体をもいで欠損死させる。または樹洞から引き摺り出して墜落死させる。または菌糸の壁に押し付けて圧死させる。
 殺す。
 それがパウルの、選択であった。

「野蛮なことを。私は暴力は、嫌いだよ」

 フルグライトがしわがれた声でぼそぼそと喋ったと同時に、《植物型》から生える蔦状菌糸が一気に数を増す。何十もの太かったり細かったり棘が付いていたりする蔦が、パウル目掛けて襲ってくる。
 パウルはアイギスの口腕を用い、それらをまとめて縛り死滅させたり、弾き落としたり、力任せに引きちぎったりする。
 しかし何分、数が多い。パウルは空中を漂うアイギスを更に分裂させ、手数を増やした。
 パウルが乗る個体を含めて、合計8匹ものアイギスが、大木の如く伸びた《植物型》を取り囲むように浮遊する。

「パ、パウル!」

 しかしそこで、アイギスの口腕に掴まれたままだった柴三郎から焦った声があがった。

「アイギスは使えば使うほど血ば消耗するんじゃろう!? そんままじゃ失血するんじゃなかと!?」
「……そうだよ」
「なら今すぐやめなっせ!!」

 アイギスの数を増やせば、指示を下し続ければ、浮遊させ続ければ、その消費したエネルギーを補充しようとパウルの血が失われてゆく。
 過度に扱いすぎれば、宿主が失血死してしまう事もある。そう聞いている柴三郎は、この状況を看過できなかった。

こここけはウミヘビも軍もおるやろう! なんもパウル1人が無理する事はなか!」
「ステージ6は未知の災害なんだ、どんな手を打ってくるかわからない。僕だけで片せそうならそれに越した事は」
「せからしか!!」

 パウルの声を遮るように、柴三郎は叫んだ。

「人ん心配は無下にするもんじゃなかぞ!」
「……しんぱ、い」

 その時、パウルの耳にか細い声が届いた。少し舌足らずな喋りで、自分を先生と呼び慕ってくれる、ビスクドールの如き美しいウミヘビ。
 会議場の屋根の上に乗って、今にも泣きそうな顔を浮かべつつも、蔦状菌糸が暴れる中でも引かないで、ずっとパウルに視線を向けてくれている。
 その姿が、家族を失った日の幼い自分と、少し重なった。

「アニリン……」
先生しぇんせ……。パウル先生しぇんせ……」

 そこでパウルは8匹も増やしていたアイギスの内、4匹を手の平サイズまで小型化し自身の胸元へ集め、そこから体内へ収納した。
 これでアイギスを使役する負担はグッと減る。そして襲って来る蔦状菌糸は残りの4匹と、アニリンで捌けば十分だ。

「アニリン。あいつ
「あいっ!」

 パウルは、アニリンへ指示を出した。
 やっと自分の方を向いてくれた事にアニリンはパッと明るい笑みを浮かべると、グレードランチャー状の抽射器を構えて発砲する。紫色に発光する弾丸が蔦状菌糸の1つに当たり、穴を空けた。
 しかしそれだけでは終わらない。
 弾丸を受けた箇所から、が広がってゆく。まるで蔦状菌糸の中に根を張るように細く、長く。やがて青黒い色は《植物型》の幹まで到達し、真っ赤な菌糸の表面に、血管のような模様を作ってゆく。
 そして何箇所か、青黒い色の塊が浮かび上がってくる。細い糸状の模様ではなく、丸い、水玉のような模様。

「どいつが〈根〉かな?」

 その水玉模様目掛けて、パウルはアイギスの口腕を伸ばした。
 ベリベリベリ。ミシミシミシミシッ
 ピンポイントに狙いを定め、菌糸を剥ぎ、穴を空け、押し広げる。掘ってゆく。
 すると掘り進めたそこには、全身から蔦状菌糸を生やす――感染者の姿があった。

「《植物型》が作る菌床の厄介な所は〈根〉が他の感染者共々、菌糸の中に潜り込んじゃって、居場所を突き止めるのが大変な所だけど……。見えないなら色をつければいい」

 アニリンの毒素の効能。その内の1つは、『組織染色』。
 細胞を染めあげ特定の物質を可視化する事が可能で、それを応用し菌糸の中に身を隠した感染者の居場所を筒抜けにできるのだ。
 それによって判明した、《植物型》の中にいる感染者はざっと10人。この感染者達の誰が〈根〉なのかはわからないが、全員を引き抜いてしまえばそのうち当たるだろう。
 そして〈根〉を失えば、肥大化した菌床は形を保てず、崩れる。

「後輩も回収した事だし、お前は崩落に巻き込まれてくれる?」

 パウルはフルグライトに猛攻を仕掛けていた時に、アイギスの口腕でさり気なく回収していたモーズをフルグライトへ見せ付け、挑発をする。
 すると不可解なほどに落ち着き払っていたフルグライトが、初めて動揺を見せた。

「何をするんだ。返してくれたまえ」
「いやお前のじゃないし。こんなんでも僕の後輩だし」
「彼は力任せで暴力的な君達、野蛮人とは異なるだ。勿体無い」
「ピーチクパーチクうるさいなぁ。言っとくけど僕はもうお前の相手しないよ?」

 そこでパウルはアイギスの上に座り込み、徐々に降下してゆく。戦線離脱する気である。

「逃げる気かい?」
「逃げるよ」
「クスシが、『珊瑚』を放ったまま?」
「うん。だって、そろそろ来るからね」

 直後、轟音と共に会議場の屋根が割れ、《植物型》の幹が、大きく斬り裂かれる。

が」



 ▼△▼

補足
アニリン(C6H5NH2)
別名、ベンゼンアミン、アニリン油など
日本では劇物に指定されていると同時に、引火しやすいので危険物にも指定されている。
用途としてはゴムの原料や農薬や革の仕上げや、染料の製造に使われる。
吸入すると皮膚や粘膜が青黒くなったり、頭痛、吐き気、意識不明などの症状が出てしまう。

なお本編で書かれた細胞(組織)内の特定の物質を可視化する、アニリンによる『組織染色』は、現実でもよく使われている手法である。
アニリンが慕う誰かさんのモデルは片っ端から細胞組織を染めていたとか何とか。

外見について
アニリン自体は無色または褐色の油状液体だが、鑑別方法である『さらし粉を加えると赤紫色になる』ことが有名なので、そこから髪色をつけた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

未来への転送

廣瀬純一
SF
未来に転送された男女の体が入れ替わる話

体内内蔵スマホ

廣瀬純一
SF
体に内蔵されたスマホのチップのバグで男女の体が入れ替わる話

―異質― 激突の編/日本国の〝隊〟 その異世界を掻き回す重金奏――

EPIC
SF
日本国の戦闘団、護衛隊群、そして戦闘機と飛行場基地。続々異世界へ―― とある別の歴史を歩んだ世界。 その世界の日本には、日本軍とも自衛隊とも似て非なる、〝日本国隊〟という名の有事組織が存在した。 第二次世界大戦以降も幾度もの戦いを潜り抜けて来た〝日本国隊〟は、異質な未知の世界を新たな戦いの場とする事になる―― 大規模な演習の最中に異常現象に巻き込まれ、未知なる世界へと飛ばされてしまった、日本国陸隊の有事官〝制刻 自由(ぜいこく じゆう)〟と、各職種混成の約1個中隊。 そこは、剣と魔法が力の象徴とされ、モンスターが跋扈する世界であった。 そんな世界で手探りでの調査に乗り出した日本国隊。時に異世界の人々と交流し、時に救い、時には脅威となる存在と苛烈な戦いを繰り広げ、潜り抜けて来た。 そんな彼らの元へ、陸隊の戦闘団。海隊の護衛艦船。航空隊の戦闘機から果ては航空基地までもが、続々と転移合流して来る。 そしてそれを狙い図ったかのように、異世界の各地で不穏な動きが見え始める。 果たして日本国隊は、そして異世界はいかなる道をたどるのか。 未知なる地で、日本国隊と、未知なる力が激突する―― 注意事項(1 当お話は第2部となります。ですがここから読み始めても差して支障は無いかと思います、きっと、たぶん、メイビー。 注意事項(2 このお話には、オリジナル及び架空設定を多数含みます。 注意事項(3 部隊単位で続々転移して来る形式の転移物となります。 注意事項(4 主人公を始めとする一部隊員キャラクターが、超常的な行動を取ります。かなりなんでも有りです。 注意事項(5 小説家になろう、カクヨムでも投稿しています。

天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜 

八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。 第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。 大和型三隻は沈没した……、と思われた。 だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。 大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。 祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。 ※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています! 面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※ ※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

入れ替われるイメクラ

廣瀬純一
SF
男女の体が入れ替わるイメクラの話

ビキニに恋した男

廣瀬純一
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

高校生とUFO

廣瀬純一
SF
UFOと遭遇した高校生の男女の体が入れ替わる話

処理中です...