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第九章 《植物型》攻略編

第160話 呪詛

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 チッ、チッ、チッ、チッ、チッ
 孤児院の食堂。壁に設置された掛け時計、その秒針の音が、時を規則正しく伝えてくる。
 その音を聞く度に、頭にモヤがかかりそうになって、モーズは両手で耳を塞いだ。

「僕だよ? キコだよ?」
「違う。フランチェスコのはずがない」

 しかし両手で耳を塞いでも幼いフランチェスコ……の姿をした誰かの声は、頭に直接響いてくる。

「フランチェスコが、『珊瑚』を求めるはずがない」

 モーズは首を横に振って、目の前の誰かを拒絶する。

「彼の両親は感染者に殺されたんだ。そしてこの孤児院へ流れついた。『珊瑚』によって両親をなくしたフランチェスコが、『珊瑚』を求めることはない」
「それは僕が『珊瑚』をよく知らなかったってだけだよ。むしろ『珊瑚』にめちゃくちゃにされた分、利用してやるんだ。見てモーズ。この本には『珊瑚』の意外な使い方が」
「あり得ない」

 《万能薬辞典》には寄生菌『珊瑚』の新たな活用方法が記載されていて、『人間を不老不死の肉体へ変質させる』というとんでもない見出しが綴られていた。
 夢物語ファンタジーのような、突拍子のない見出し。仮にそれが事実だったとしても、フランチェスコが飛び付く筈がないと、モーズは知っている。

「毎晩のように悪夢にうなされているフランチェスコが、毎朝のように礼拝堂で祈りを捧げているフランチェスコが、いかなる形だろうと『珊瑚』を求めるなんて、あり得ない」

 故にモーズは目の前の誰かから距離を取ろうと椅子から立ち、後退した。

「いや、祈りではない。あれは、呪いだ。フランチェスコはずっと、呪っているんだ。……『珊瑚』の根絶を」

 フランチェスコの生物災害バイオハザードは終わっていない。現場から助け出されても、感染者から逃れられても、菌床が処分されても、感染爆発パンデミックが落ち着いても、心の中でずっと続いている。
 その苦しむ姿を間近で見てきたからこそ、少しでも力になりたくて、モーズは彼と共に医師を志す決意を抱いたのだ。

「その思想をなくしたのだとすれば、君は私の知るフランチェスコではない」

 だから断言できる。
 目の前の誰かはフランチェスコではない、と。

「……意識が曖昧な夢の中だというのに、ここまで冷静に立ち回れるか」

 にぃと、フランチェスコの姿を借りた誰かが歪な笑みを浮かべる。
 そのまま彼は両手でぱちぱちぱちと、長い拍手を送った。

「やはり素晴らしい。実に、素晴らしい。とは言え、洗脳が効かないとなると……。もう、切り取ってしまおうか。しかし、勿体無い。この適合率のまま終わらせるのは、とても勿体無い。是非このまま【……」

 不可解な発言をする誰か。モーズにとって、よくない誰か。
 本能的に危険を察知したモーズは更に後退して、食堂の壁に背をつき、ドアへ向かおうとしたが――

(……!? ドアがない……!?)

 幾ら見回しても、食堂の壁にある筈のドアがない。何なら窓もない。密閉した空間になっている。
 モーズは目の前の誰かだけでなく、この場そのものが自分の記憶とよく似た紛い物だと悟った。
 頬に、冷や汗が伝う。

「……そうだ、持ち帰ればいいのか。洗脳もじっくり時間をかければいい。よし、連れて行こう。肩を落として戻ってきたオニキスの気持ちが、よくわかったよ」
「オニキス……!?」

 知っている名前にモーズは反応する。幼い頃は聞いたこともない名前なのに、反射的に反応してしまう。
 名前1つで、ドイツの城で味わった怒りと悔しさが、呼び起こされる。

(そうだ。私はもうとっくに成人していて、大学を出て、医者になって、クスシに……)

 そこから芋蔓式に記憶が戻ってきて、モーズは自身が幼い姿をしている事に困惑した。現実と違い過ぎる。
 つまりここは、夢の中。

(夢から覚めなくては。起きなくては。しかしどうやって? そもそも私はどうして眠ってしまったんだ)

 《植物型》の中に取り込まれてしまい、呑気に眠っている場合ではないのに。
 緊急事態にも関わらず寝てしまった経緯が思い出せず、混乱するモーズ。だが今はともかく起きようと、ひとまず頬を手で叩いてみるが、全く状況は変わらない。焦りばかりが募る。
 チッ、チッ、チッ、チッ、チッ
 相変わらず聴こえてくる時計の音に、意識が引っ張られる。目の前が、ぐらつく。

 ――モーズ! モーズ!

 そんな中、時計の音を掻き消すほど快活な声が、聞こえた。

「……柴三郎? そうか、私の側には柴三郎が」
「邪魔だなァ」

 ◆

「モーズ! 起きなっせ! こぎゃんところで寝とったらいかん!」

 樹洞の中で、柴三郎は突如として倒れ込んでしまったモーズの肩を揺すって、必死に起こそうとしていた。
 呼吸も脈も体温もおかしな所はない。念の為、モーズのマスクを外して左目の瞳孔も確認したが、至って健康だ。ただただ、眠っている。
 これは、おかしい。

(いきなり気ば失うごつして倒れっしもうた、絶対に普通じゃなか! どぎゃんか意識ば戻させんば……!)
「意図せず、生ゴミが入り込んでしまったようだ」

 その時、真後ろからしわがれた声が聴こえて、柴三郎はゆっくりと振り返った。
 いつからそこに居たのか。出入り口のない狭い樹洞の中に、黒山羊のマスクを付けた白衣の男が、立っている。座っている時はわからなかったが、立つと2メートル近い……巨漢。

「ぬし、誰や」
「自己紹介は済ましたのだが、聞いていなかったかな?」
「『フルグライト』ちゅう人間はWHOにおらんはずや。そもそもさっきまでおらんだった奴が、こぎゃん場所にいきなり現るるなんてあり得ん」
「聞き取りづらい言葉を……。私は極東の野蛮人に興味はないというのに」

 柴三郎はモーズを庇うように左腕を伸ばしつつ、右手で短刀を持ってフルグライトと名乗る男を警戒する。
 何が何だかわからないが、閉鎖空間に突如として現れたこの男は恐らく、人ではない。
 柴三郎は『処分』も視野に入れて、柄を握る手に力を込める。

「物騒な物を、持っている。私は、暴力は嫌いだよ」

 フルグライトが不機嫌な声音でそう呟いた途端、深紅色だった樹洞が赤色へ変わり、四方から蔦状菌糸が伸びてくる。
 だが柴三郎へ届く前に、それらは停止した。

「駄目だ。こんな生ゴミを食べたらお腹を壊してしまう。生ゴミは外へ放って、再利用リサイクルしよう」

 次の瞬間、柴三郎は宙を舞っていた。
 壇上の上に吹き飛ばされた時と同じように、真下から伸びてきた菌糸に押し上げられ、人一人分空いた穴から樹洞の外へ放り出されたのだ。

「……っ!?」

 いきなりの事に驚愕する柴三郎。
 ここはおおよそ4階の高さ。着地予想地点は会議場から少し離れた、固いコンクリートの上。

(やば。こら、死ぬ)

 このままでは、なす術なく死を迎える――

「ねぇ、柴三郎。何で落ちたの?」

 そう覚悟した時、落下していた柴三郎の身体は停滞した。
 橙色の触手に掴まれたのだ。その触手を辿って視線を上げれば、触手の先には人一人が余裕で座れる大きさの傘を持つクラゲがいる。ふよふよと優雅に、空中に浮かんでいる。
 白色の水玉模様をした、橙色のクラゲ。8本の口腕触手を持つ、タコクラゲの形をした――アイギス。

「落とされたの?」
「パ、パウル……」

 そのアイギスの傘の上に、パウルが立っている。

「柴三郎を落としたあいつ、ステージ6って奴? 人の形をした『珊瑚』? 知性のある『珊瑚』? 喋れる『珊瑚』? じゃあ、挨拶をしないとだ」

 パウルは大きく穴が空いた樹洞の中にいるフルグライトへ向けて、確かに菌糸を操っていたフルグライトへ向けて、軽く会釈をした。

「グーテンモルゲン、『珊瑚』。言葉を交わせて嬉しいよ。ずっと、言いたかった事があるんだ」

 そこでパウルは人差し指を突き付けて、こう言った。

「僕はお前が、大っ嫌いだ!!」
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