毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第七章 死に損ないのフリードリヒ

第130話 汚れた両手

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 モーズがフランスの中学校に入学した年、11歳になった頃だったか。
 フランチェスコとは孤児院の食堂の長机で、よくチェスの対戦をしていた。

『勝った!』
『……むぅ。もう一度』

 そしてその日はフランチェスコのクイーンの駒にモーズのキングの駒が倒されて、チェックメイトされてしまった。

『駄目で~す。僕はこれからご飯当番だからもう行かないと』
『ぐぅ。じゃあご飯を食べた後に再戦を』
『いやご飯を食べたら勉強しなきゃでしょ、僕たち』

 フランチェスコがチェス盤の横に積み上げられた教科書に視線を向ける。そもそも休日の勉強会を2人で開いていた所に、息抜きとしてチェスを一戦交えたのだ。本来の目的は勉強である。
 将来、医大に入る為の勉強。
 孤児で経済力のない2人だが、学費は国の援助で心配する必要はない。しかしお金がない以上、2人は塾に通う事も浪人する事もできない。だからストレートで入学できるように、今から懸命に勉強に打ち込んでいた。

『お薬を作るのってこんなに大変なんだねぇ。覚えること多くて頭がパンクしそう』
『普通に生活をしているうえでは、あまり縁のない知識だからね。けれどやることは料理を作るのと同じだよ。材料と道具と手順を一つ一つ覚えていけばいい』
『むぐぐっ! 簡単に言わないでよ~っ!』

 フランチェスコは椅子から立ち上がって、両腕を大袈裟にぶんぶんと振り回す。

『でも本当のことだ。実際、お薬も作っていた昔の化学者……《錬金術師》っていうお仕事をしていた人は、作業手順や使う道具が似ているとかで、台所で作業をしていた人もいたんだって』
『えっ! それ本当の話なの!?』
『えっと確か、この本に挿絵が……』
『わぁ、一気に身近に感じてきた~っ!』

 モーズは教科書と一緒に重ねていた医学の歴史書を引っ張り出して、錬金術師について書かれたページを開く。
 そのページの挿絵には白い髭をたっぷり蓄えた老人が台所でフラスコを持っていて、それを見たフランチェスコは興奮してその場でぴょんと飛び跳ねた。

『ご飯当番も気合い入っちゃうかも! 晩ご飯、楽しみに待っていてねモーズ!』
『気合いを入れるのはいいけど、包丁で指を切らないようにね。キコ』
『気を付けま~す!』

 ぱたぱと軽快な足取りで台所に向かうフランチェスコを見送って、モーズは歴史書を閉じるとチェスをやる前に読んでいた教科書の続きを読み始める。

『キコのためにも、も気合いを入れなくっちゃ』

 勉強は大変で、チェスのように楽しくはないし、よくわからない単語の羅列を見ると頭が痛くなる。
 それでも、兄弟のように育ったフランチェスコが喜ぶ姿が見たくって、モーズは必死に喰らい付いていった。

『……あれ?』

 続きを読むのを再開してから少しして、ほんの一瞬、教科書の白いページが真っ赤に染まる。
 血管が張り巡ったかのような、剥き出しの臓器を投影したかのような、赤。

『紅茶でも、こぼしちゃったっけ……?』

 しかし瞬き一つした後にはは真っ白な物に戻っていて、先程の鮮やかな赤は幻覚か目の錯覚だったのだとわかる。
 ずっと同じ姿勢をしていたから、疲れでも出てしまったのだろうか。そう思ったモーズは軽く伸びをしたり足をぶらぶらさせたりして、また勉強を再開した。

 その後も、時折り視界の端に赤が映った気がしたが、きっと、気の所為だろう。

 ◆

 アメリカを発った飛行機は夜遅くに人工島アバトンへ辿り着き、無事に着陸をこなしてくれた。
 飛行機から降りたフリッツは帰還と遠征結果の報告をする為に、寄宿舎には行かずにラボの巨塔へと向かう。そして2階の共同研究室で帰りを待ってくれていたユストゥスの元へ駆け付けた。

「ただいま。怪我人なしで帰れたよ、ユストゥス」
「そうか」
「貧血も何とか回避できた。それに今回は大きな収穫を得られたんだ。水銀くん発案の実験がうまいこと成功してね。もう話は聞いたかな? あとモーズくんだけが聞こえる感染者の声、菌類ネットワークアクセスの裏付けがほぼ取れたのも大きい。この結果だけで感染者の意識レベルを断言する事は出来ないけれど、大きな指標の一つに」
「フリッツ」

 捲し立てるように喋るフリッツの声を遮った上で、ユストゥスは喋る。

「もう今日は休め。傷が酷い」
「ユストゥス、僕は怪我なんて……」


 そして彼は丸椅子から立ち上がると、フリッツの、フリードリヒの目の前まで歩を進め、彼の胸元にそっと手を置いた。

「ここを負傷しておいて、無傷とは言わせんぞ」

 心。精神。感情。曖昧で形のないもの。目に見えないもの。
 だと言うのにユストゥスはそのままフリードリヒのフェイスマスクのベルトを外してきて、素顔を晒させて、

「ここでは耐えなくて、いい」

 心の仮面さえ、剥がしてきた。
 ふと、フリードリヒの瞳から涙が零れ落ちる。一つ零れ落ちれば、そのままぼろぼろととめどなく涙は溢れてきて。

「う、あ……。うわぁああああ……!!」

 彼はユストゥスの胸の中で、子供のように泣きじゃくってしまった。
 ユストゥスは何も言わないまま涙を流す彼の背中に手を回すと、幼児をあやすようにずっとさすり続けたのだった。

「これは、入れねぇな……」
「あぁ、無理だな……」

 その光景の一部始終を、共同研究室の扉の側で見ていたモーズとフリーデンは入室を断念した。
 ちなみに何故フリーデンもいるのかというと、彼は港までモーズらを出迎えに行って一緒にラボに入ったからだ。

「まぁもう夜で就業時間過ぎている時間だし、長距離遠征でモーズも疲れまくっているだろ。ユストゥスさんに報告するのは明日にして寄宿舎で休もうぜ?」
「それもそうだな」

 頭を切り替えた2人は踵を返し、さっさとエレベーターに乗ってエントランスへ向かう。

「クリスさんの事は残念だったなぁ。しかも意識レベルを保っている可能性が高い、っていう実験結果が出たのも辛いな。俺もう数え切れないぐらいの人を殺している事になるわ」
「現状、そうするしかないんだ。わかっていてもどうしようもない。私も処分作業で人を殺めている。クスシは皆、同じ事だろう」
「でも、モーズはまだ直接は殺していないじゃん? アイギスを使って処分した事もさ。些細な差かもしれないけど、これ結構大きいと思うんだよ。心情的には。あ、それとも感染病棟で患者を安楽死させた事あるとか?」
「……いや、ないな」

 モーズが感染病棟に勤めた1年の間に担当したステージ4患者の人数は、片手で数えられるほど。
 モーズはその患者本人や身内に、安楽死ではなくコールドスリープを選ぶよう、選んでくれるよう懇々と説得をし、納得のいくまで話し合った。
 その結果か患者本人や身内は全員コールドスリープを望んでくれて、モーズは安楽死を行った事はなかった。

「手を汚した事のない私が物を語るのは烏滸がましい、か」
「んえっ!? いや、そういう事を伝えたかったんじゃなくて~っ! こんなの嫌な体験、経験しないに越した事はないだろ! だからモーズはこのままでいられたらいいな、って思ったんだよ。せめて後輩には、平和的に居て欲しいじゃん?」
「……有難う、フリーデン。よき先輩に恵まれて、私は幸せ者だな」
「うぐっ! 不意打ち先輩呼びは俺に効くっ!!」
「えっ」
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