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第七章 死に損ないのフリードリヒ

第128話 死に損ないのフリードリヒ

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 フリードリヒが次に目を開けた時、目の前に広がっていたのは星が舞い散る宇宙空間を模したかのような景色を映す、電子蛍光板。
 その空間に落ちていた筆記テストを、仮想空間で自由に動かせる身体を用いてまず拾ったフリードリヒは転がっていたペンで回答を記入する。
 すると記入が終わったと同時に、赤い目をした白い蛇が目の前に現れた。

「初めまして、所長」

 その白蛇が所長と察したフリードリヒは、深々とこうべを垂れる。

「ユストゥス教授に続き入所試験を受けさせてくださり、有難うございます」
『礼など不要。我が求めるのはクスシヘビとなる覚悟のみ』

 白蛇からは人工的に作られた電子音が発せられる。

「クスシになるという事は人間ではなくなる、という話でしたか。覚悟はあります。そもそも僕は先の災害の時、一度死んだようなもの。……友人達を置いて生き延びた、死に損ない」

 ジョセフにアレキサンダーにダニエルに、シャルル。
 皆んな、フリードリヒの目の前で死んでしまった。フリードリヒ自身は何も出来ず。それどころかシャルルはこの手で、意識のあるまま殺してしまったかもしれない。
 たまたま1人だけ生き残った死に損ないに、友達を殺したかもしれない人殺しに、身を案じる権利などないと、思っていた。

「今更、何も恐れる事はありません」
『承知。では問い掛ける。汝、珊瑚に何を求める?』
「……寄生力の強さを、知りたいですね」

 フリードリヒは寂しげに笑って答える。

「どのレベルまで脳を支配できるのか。どこまで人間の知能を学習できるのか。ステージのどの辺りで感染者を完全に乗っ取ってしまうのか。知りたい。そして処分する事に対する心の迷いを、消したいです。ほら、クスシは『珊瑚』感染者の生物災害バイオハザード対処も役目の1つでしょう?」
『汝、偽りを申すな。剥き出しの願望を述べるべし』
「剥き出しの……」

 本心を見抜いてくる白蛇の問い掛けに、フリードリヒは暫し逡巡した後、

「僕は僕が、友達を殺した罪を犯してしまったかどうか、知りたいです」

 心に抱えていた思いを、素直に答えた。

『その答えを知った後、汝は如何する?』
「知る前でも知った後でも、『珊瑚』根絶の為の研究を続けますよ。ただ、もしステージ4の感染者に人の意識がないとわかれば処分対象が大幅に変わるでしょう? 逆に意識が残っている、仮にステージ5でも、心は支配されていないとわかる時が来たのなら……」

 その時フリードリヒは右手で左腕をぎゅっと握り締め、キツく目を閉じる。

「僕はこのすり減った命を燃やしてでも早急に、治療の研究に打ち込まないといけなくなる。あんな悲しい事はもう、起こしたくない」

 そして震える声でそう言った。

『汝の剥き出しの願望、しかと受け取った。次にウミヘビと対話をこなすべし。合否の報告はその後に』

 フリードリヒの回答に満足したらしい白蛇は、くるくると円を描くように回った後、姿を消してしまった。
 そして代わりに裏地が蛇の鱗柄をした白衣を着た少年、恐らくウミヘビが、仮想空間へ入室ログインしてくる。フリードリヒの面接相手は病室にいるシアンではなく彼らしい。
 フリードリヒはそのウミヘビの顔を見て「綺麗な顔立ちをしているな」という感想を抱いた後、目線が合うようにしゃがみ込み、優しく微笑みかけた。

「こんちには、ウミヘビくん。僕の名前はフリードリヒ。君の名前を、教えてくれないかな?」

 ◇

「見舞いをする間もなく見送りとは、誠に遺憾である」

 総合病棟の立体駐車場の屋上。そこに止められた空陸両用車の前で、ルイは眉間にシワを寄せてむすりと不機嫌になっていた。
 準備室で授業の準備をしていたらユストゥスから電話がかかってきて「フリードリヒが目を覚ましたから来い。集合場所は立体駐車場の屋上」という指示を受け、意味がわからないながらも屋上へ向かったら、車椅子に座るフリードリヒを連れたユストゥスが「オフィウクス・ラボに入所する事になった」と結果だけを告げてきたのだ。苛立ちもする。

「貴様を呼んだのは、私とフリードリヒが各々借りている賃貸の引き払いを頼みたくてだな。部屋の鍵はこれだ。それから仕事の引き継ぎ資料を用意したから貴様に託す。丸投げさせろ」
「吾輩を顎で使う為だけに呼び付けるでないわ」
「ごめ、なさ……。きょ、じゅ。僕、ら、いそ、いでて……」

 資料その他が入った鞄を雑に渡してきたユストゥスの横暴さに、代わりに謝るフリードリヒ。昏睡から目覚めて少し経ったものの、彼は人工呼吸器を未だ外せず、携帯型の物を装着してマスク越しに掠れた声で喋るしか出来なかった。
 それでも精一杯礼を尽くそうとしてくれるフリードリヒに、ルイは彼の頭を幼児のように撫でて労る。

「あぁ~フリードリヒよ、ユストゥスの粗暴さに嫌気がさすことがあれば、直ぐに連絡を寄越すのだぞ? 遠慮なく吾輩を頼るとよい。そして我が助手として迎えよう。破格の待遇でな」
「秒で引き抜こうとするな」

 そんなフリードリヒにべったりなルイを、ユストゥスはベリとシールでも取るかのように引き剥がす。

「ええい。次いつ会えるかもわからぬ可愛い助手への愛撫を邪魔するでないわ」
「セクハラで訴えるぞ貴様。あと彼は私の助手だ、私の」
「……ふふ」

 大学に居る時と変わらない軽口の応酬をする2人に、フリードリヒは思わず笑みを零してしまう。
 そしてフリードリヒに笑われてしまった事に気付いた2人は、少々居心地が悪そうに身動いだ。

「しかし本当に、行ってしまうのか。日を改める事もなく」
「あぁ。フリードリヒを一刻も早く、ラボでの治療を受けさせたい。だから今日発つ」
「……そうか」

 ユストゥスの返事にルイは目を伏せ、少し寂しげに微笑む。

「フリードリヒよ、達者でな。吾輩は貴殿が大成した報せがくる時を今から待ち侘びているぞ」
「私への期待はないのか?」
「ユストゥスは知らん。まぁ、大学に顔を出す事があれば茶ぐらいは出そう。吾輩に教授職を奪われた退として」
「おい。あらぬ噂を立てるつもりかルイ」
「貴殿が退職する時期と吾輩が教授となった時期が近いからな。訂正する本人がおらぬ中では吹聴し易かろう。これにより貴殿に向けられていた分の尊敬の念も、吾輩一人が頂戴出来るという寸法よ」
「わかった、貴様は今ここで殴られたいのだな?」
「お兄さん方、漫才しとらんとそろそろ出発しますよ?」
『漫才などしていない!!』

 シアンのツッコミを否定する時だけは息がぴったりである。
 別れ際まで喧嘩越しのまま、ユストゥスはフリードリヒを連れて(乗車の際はシアンが軽々抱えて運んでくれた)車に乗り込み、ドイツを発つ事となった。
 そして屋上に一人残ったルイは、空を駆ける車が遥か彼方に向かって見えなくなるまで、ずっとその場で佇んでいたのだった。
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