毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第六章 恋⬛︎⬛︎乙女荵ウ縺ョ謌螟ァ――改め、アメリカ遠征編

第110話 被験体(サンプル)

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 時は少し遡り、フリッツがシアンを連れて最上階である50階へ辿り着いた時。
 展望台として作られ、四方が大きな窓ガラスに覆われたその階層で、フリッツはブロックソファに座る女性の姿を見付けると真っ先に声をかけた。

「こんにちは、ネフェリンさん」

 その女性、ネフェリンはフリッツが現れた事に気付き、窓ガラスの外へ向けていた顔をフリッツ達の方へ向ける。

「先週振りですね、お加減如何ですか?」
「この状況で何よ、いきなり」
「あぁ、もしかして忘れてしまっているかな? 植物園で倒れた貴女を介抱したの、僕なんだ。だから容態が気になってね」
「私はすこぶる元気よ。それで、後ろの子はウミヘビ、かしら? 実は避難誘導に夢中で逃げ遅れてしまって、困っていたの。下層には感染者がうじゃうじゃいるし、地上までエスコートしてくれない?」

 すくっとブロックソファから立ち上がって、フリッツらの元へ歩み寄るネフェリン。
 するとフリッツはそのネフェリンに対して突然、交渉を始めた。

「僕の条件を飲んでくれたらいいよ」
「条件?」
「オフィウクス・ラボに来ないかい? 【被験体サンプル】として」

 倫理観に欠けた、交渉を。
 当然、ネフェリンは瞠目しフリッツから後ずさって距離を取る。

「な、何を言っているの!」
「悪い話じゃないと思うのだけれど。だってこのまま君が地上に行っても、待っているのは拷問じみた尋問からの極刑だ。何故なら君はステージ6の感染者であり、今回の超規模菌床を引き起こした、バイオテロ首謀者だから」
「はぁっ!? バイオテロの首謀者は、下で暴れているクリスでしょう! 私はこの目で見たわよ、前触れもなく〈根〉になる瞬間を! 私以外の警官だって!」
「自作自演ですかいな。白けるわぁ」

 シアンが両腕を後ろに組み、口に含む棒飴を舌でコロコロ転がしながら、酷くつまらなそうに言った。

「ステージ6はどうも、珊瑚症の感染及び進行を操作出来るみたいだからね。彼女をステージ5にしたのは君。そうだろう?」
「違うわ。そもそもどこにそんな証拠があるのよ」
「じゃあちょっと手の平を見せてくれないかい? その場で、僕に向けるだけでいいから」
「……こう?」

 ネフェリンはフリッツに言われた通り右手を前に出し、彼に手の平が見えるように掲げる。
 ネフェリンの右手は傷も発疹もない綺麗な状態で、視診では健康体そのものと判断できた。珊瑚症患者特有の症状は、何一つ確認できない。

「あぁ、凄いね」

 その綺麗さにフリッツはぱちぱちと軽く拍手を送った後、

「君の手の平にできたローレルジンチョウゲによる炎症は、一週間かそこらで治るものじゃないのに、綺麗さっぱり消えている」

 ネフェリンの不自然さを指摘した。

「それは、署の腕のいい専門医に、治療を受けたから……」
「それから、ステージ2の症状である斑点模様も消えている。不思議だね、とても。ステージが変わっていなければ、あり得ない事なのに。仮にこの5日間という短い期間で君がステージ3になっていたとしても、斑点模様は赤く変色するだけで、消える事なんてない」

 珊瑚症によって一度変化した表皮は、形を変える事はあっても治る事はない。少なくともステージ5までならば。
 珊瑚症を熟知しているフリッツを前に、ネフェリンが下手に誤魔化そうとすればする程、不自然さが露呈してゆく。

「言っただろう? 君を診たのは、僕だ。ステージくらい把握しているよ」

 反論はさせてくれない。誤魔化しも効かない。
 それを理解したネフェリンは右手を下げると、……フリッツに向けて天井に生えていた菌糸の、鋭く尖った先端を、差し向けた。
 シュルリ
 だが、その先端はフリッツに届く前に動きを止めさせられる。フリッツの頸から生えた一本の触手が菌糸に巻き付いて、触手の剣状棘から毒素を送って死滅させてしまったから。

「菌糸を操る。報告通りだ。でも攻撃して来たという事は条件を飲んでくれないという事かな? 男所帯だけど、精一杯配慮するよ。あとウミヘビって見目は綺麗だし、目の保養にはなるんじゃないかな?」
「私、ぬるぬるした蛇、大嫌いなの」
「そうか。残念」

 交渉決裂。しかもネフェリンは殺意を向けてきている。
 そんな彼女の姿を見て、シアンは嬉々としてフリッツの前に出ようとした。

「いよいよ自分の出番ですか?」
「いいや、待機していて」
「えぇ~。フリッツ先生のいけずぅ」

 フリッツはシアンが自分より前に出ないよう、彼の身体を手の平で軽く押して後ろに下がらせる。

「条件を飲んでくれないのなら仕方がない。生捕りにしたい所だけれど毒が効きにくい感染者の確保って難しいし、何より【檻】の準備がまだでね。だから今この場で、なるべく情報を吐いて欲しいかな」

 次いでフリッツは既に1本の触手が生えている頸がよりよく出るよう、黒髪をかき分けた。

「――踊ろう、アイギス」

 その頸から浮かぶように、レース状の口腕を持つオキクラゲ型のアイギスが姿を表す。

「出たわね、クラゲ」

 空中で優雅に漂うフリッツのアイギスを見て、ネフェリンは苦々しげに言った。

「そういえば名前を付けていないのね。利用されるだけ利用される、クスシの哀れな奴隷」
「名前を付けても意味がないからね」

 アイギスの全身が姿を現しても、フリッツは依然として頸を晒したまま。

「だって、1匹を相手にしているんじゃないから」

 すると少し経ってから、2匹、3匹と、続々と別個体のアイギスが、フリッツの頸から浮かび上がるように姿を現した。
 最終的に4匹ものアイギスが展望台に集い、まるで水槽の中のように優雅に漂っている。

「アイギスも生物。子孫を残す為に生きている。繁殖もするし分裂もするしる。正直どの個体が最初に僕に寄生したのか何て、わからないよ。だから僕らクスシは、アイギスを種族名でまとめて呼んでいる。この群れ全てが僕らの大切な相棒パートナーなのだから」

 そう言ってフリッツは近場に漂っていた1匹のアイギスの触手に手を伸ばし、恋人と手を繋ぐかのように優しく触れ合う。

「さぁ、アイギス。踊り狂おう。今宵は舞踏会。好きな時に好きなだけ、舞うといい」



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