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第四章 一時帰宅編

第74話 殺意と人権

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「写真ー? 誰が映ってたの?」
「私の、昔馴染みだ」

 形ある物いつか壊れる。
 モーズは警察を庇ったのも鼠型に特攻をしかけたのも、決して後悔はしていない。あそこで保身に走ったとすれば、モーズは自分を許せなくなる。
 寧ろ自分が近くに居たのに、警察官の感染者を出してしまった方が悔しい程だ。
 それでも、穴だらけでとても修復出来なそうな写真を目にすると、少々気分が沈む。

「……写真一枚、仕方がない事だ。命には換えられない」

 モーズは目を伏せて、壊れた写真立てを座席の上に置いた。

「私の事は、いい。それよりも他の、そうだセレン。私にお願いしたい事があるのだと、言っていなかったか?」
「この空気の中で私に言えと?」
「だから私の事は、気にしなくていい。ラボまで時間がかかるんだ、今聞いておく」
「……わかりましたぁ」

 セレンは重苦しい空気を気にしながら、渋々といった様子で【お願い】をモーズに伝える。

「実は私もモーズ先生と同じように、人を探しておりまして」
「そうだったのか」
「はい。名前は『トール』。背が2メートル近くある体躯の男性で、歳は40くらいですかね? ほっぺに雷のマークのような、ギザギザした模様の赤い刺青を入れている方ですっ!」

 セレンは「目付きが悪いの方なです!」と自分の目尻を指先で吊り上げ、身振り手振りで説明してくれる。

「そうか。セレンはその人に会って、どうしたい?」
「トールさんは私がお世話になった方です。数年前に姿をくらませてしまいましたが、是非とも再会してお礼をしたくって」
「そうなのか。私にはどうも、君がその人を殺したいように見えるのだが」

 モーズの指摘にセレンは押し黙り、車内が暫し静まり返る。

「……どうして、そう思ったのですか?」
「目、かな。強い殺意を感じる目をしていた、気がする」
「いつかの意趣返しですかぁ?」
「私も、を、心がけようと思ったからな」

 一週間前のマスク専門店での会話が思い返され、むくれるセレン。
 そのやり取りを見ていたミックスは、またけたけたと笑っている。

「あははー。セレン、観念したら?」
「ううう。モーズ先生、変な所で目敏いですねぇ……そうですよ」

 セレンは黒目がちの瞳を細めて、

「私はを、殺めたいのです」

 殺意を肯定した。

「理由を、訊いても?」
「先生も私達に人権がない事は知っているでしょう? 昔随分と、手酷い目に合いまして」

 セレンは詳細は語らなかったが、冷え切った瞳から温厚な彼が激怒していて、激怒するにあたる仕打ちを受けた事がそれとなく伝わる。

「だからと人権のない私達に人間を裁く権利はない。しかもその時の私の所有者は、そのトールだった。ウミヘビは愛玩動物以下な扱いです、器物損壊にも当たらない」

 ラボに来る、
 てっきりウミヘビは皆、オフィウクス・ラボで作り出されたものと勝手に思い込んでいたモーズは、頭が殴られたかのような衝撃を受けた。フリーデンの話ではウミヘビ達人造人間ホムンクスルの製造者はラボの所長で、レシピは極秘。
 外部の人間がウミヘビに関わっている可能性を、全く考えていなかった。

「けど私達にも感情はある。痛め付けられたら苦しいですし、恨みますし、やり返したくもなります。そして私はこの殺しによって廃棄される事になろうとも、成し遂げたい」

 セレンは右手の拳を強く握り締め、そこからミシミシと音を立てている。
 本気だ。セレンは本気で自分の命と引き換えに、人を殺したいと願っている。

「……ここまで話してしまうと、お願い、聞いてくれませんよね?」
「そう、だな。私は間接的にといえど、人殺しの手助けをしたくないし、それによって君が廃棄されてしまう事は、更に避けたい」
「ですよねぇ」

 わかりきった回答に、セレンは嘆息する。

「だから、いつか。いつになるかわからないが、私はセレンに、ウミヘビ達に人権を与えられるよう、尽力するよ」

 しかし次に想定外の事を言ってきた事に、セレンは黒目がちの瞳を見開いた。

「……え。モーズ先生、本気ですか?」
「私は冗談は苦手でね。法律の専門家ではないので具体的な事は何も言えないが、君が、君達が今まで非人道的な扱いを受けたのならば、それは法の下で裁かれるべきだと私は思う」
「私達は人間ではないのですよ? モルモットも同然、いえ、それ以下です」
「私にはどうしてもそう思えない。人間にも道徳心を抱けず人を傷付けたり、時には殺める者がいる。それも一人や二人ではなく、数多に。だから人と同じレベルの思考をし、感情を抱け、倫理観を保て、人とそっくりな形をした君達を人外と捉えるのは、頭の固い私には難しい」
「クロールとやり合ってなお、そんな事を仰るのですか?」
「彼こそとても人間臭いじゃないか。好き嫌いがはっきりしていて、その上であまり好きではないらしい私相手でも、練習に付き合ってくれる社交性がある」

 クロールがシミュレーターに付き合ったのは、どう見てもモーズを痛み付けたかったからである。話が拗れるのでセレンは言わない事にしたが。

「法律も人が作るもの。間違いはあるし完璧ではない。しかしだからと、他に手段がないからと、自分の手を汚してしまうのは頂けない。その先にあるのが廃棄ならば、尚の事」

 人と同じように思考をし、話せて、飲んで食べて寝て、笑って泣いて。
 そんなウミヘビを、人でないからと、毒素を宿しているからと突き放すのは、モーズにはどうしても受け入れられない。

「私は君達が法に守られ、法を頼れ、法の裁きを扱える立場になる事を、強く願うよ」
「私達が、猛毒でも?」
「知っているか、セレン。人間は『珊瑚』と違いピストルの弾丸一つで簡単に亡くなる。そしてそのピストルは世界に溢れ返っている。特にライセンスも必要なく」
「しかしそれは、道具に頼っているからでして」
「ピストルがあれば手軽だが、他の手段でも、やろうと思えば素手でも殺められる。扼殺、絞殺、撲殺、刺殺、毒殺、圧殺、轢殺、突き落としによる落下死、転倒死、溺死も。幾らでも、何とでもできる」

 モーズは医者として、珊瑚症患者に限らない色んな患者を診てきた。
 色んな死因を、見てきた。

「毒素のあるなし程度で、危険性は変わらないと、私は思う」
「えーっと、毒霧による大気汚染の件は……?」
「大気汚染なんて、それこそ人間の方が十八番ではないか。大気どころか大地を削りコンクリートを敷き薬を撒き、森を焼き工場を立て煙をあげているのが、人間だ。身一つで大気を染めてしまう力は確かに強力だが、毒素を生成し過ぎると【器】が中毒となり倒れてしまうウミヘビの方が、限度があって安全では?」

 それが、モーズの見解であった。

「……いやぁ、先生は本当に、変わっていますねぇ」

 知っていたけれど、知っていたつもりだったけれど、改めて目の当たりにして、セレンは思わず苦笑してしまうのだった。
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