56 / 275
第三章 不夜城攻略編
第56話 ドーピング
しおりを挟む
城の地下から連れ出して貰い、抽射器やフェイスマスクの回収をした後に菌床死滅の確認。モーズの側頭部の怪我の応急処置。
それらが一通り済み、災害現場である村から車内に戻ってひと段落した後。
「中毒症状だ」
座席に寝かせたニコチンの容態を見たユストゥスは、そう言った。
「有毒人種が、中毒症状……!?」
「ウミヘビは毒素を宿しそれを操る人造人間だが、……【器】に限度がある」
ユストゥスはモーズに説明をしながら、ニコチンの側で折りたたんだ槍を抱えるクロロホルムに顔を向ける。
そのクロロホルムの顔色も大分悪い。最上階でニコチンが撒いた毒霧が響いているのだろう。
「例えばニコチンとクロロホルム……。第一課所属であるニコチンと、第二課所属であるクロロホルム、というだけで毒の耐性に差があるのは知っているか?」
「あ、あぁ。知っている。昨日、水銀ガスを吸ったタリウムは暫く具合が悪かった。ニコチンは何ともなかったのに、だ」
「その時点で毒の許容量が個々で違うのはわかるだろう」
「しかし中毒症状になる程の毒など、一体どこから……」
クロロホルムの毒霧が、甘い香りがどれほど強くなろうともニコチンは平然としていた。
まして彼が意識を失った地下では、クロロホルムは側にいなかったのだ。原因が何なのかわからないモーズは困惑してしまう。
「そんなもの、ニコチン自身の毒素に決まっている」
モーズの疑問に対して、ユストゥスは簡潔に答えた。
「こいつは日頃から、タバコを捨てるついでに自身の毒素をコレにストックしている。今日のような有事の時用にな。それを使ったんだろう」
次いでモーズに見せてくれたのは地下の床に転がっていた、手の平の中に収まるサイズの玩具のような銃。
これはニコチンが常日頃、肌身離さず携帯している灰皿を変形させた物なのだと言う。
「自身の毒素を感染者に撃つ為でなく、自身に撃つ? それで一体、何が出来るというのだ」
「愚か者。ニコチンを人体に摂取すればどうなるのか、医者ならば直ぐに答えを出せ」
ニコチンを人体に摂取した時の効果。
例えば痙攣。
例えば錯乱。
例えば呼吸困難。
ニコチン性アセチルコリン受容体に結合する事による多量のドーパミンの放出に、アドレナリンやβ-エンドルフィンの分泌。時に興奮作用。時に鎮静作用。その他ノルエピネフリン、セロトニン、アセチルコリンなどの神経伝達物質の分泌。脳の動きを肩代わりしてしまう事による依存性の促進。
それから――
「……っ! まさか、【ドーピング】か!?」
健康を害する面が多いニコチンだが、実は筋肉の増強作用がある。
また興奮薬であると同時に、覚醒作用を利用した精神安定薬として使用する事も可能(※西暦2024年のスポーツ法ではアスリートの喫煙は禁止されていないものの、アンチ・ドーピングに抵触していて監視対象になっている)。つまり立派なドーピング薬となる。
「ドーピングに限らず長時間、毒素を使い続ければその分、体内での毒素の製成が速くなり、放出が間に合わず溜まっていき、やがて【器】の許容量を超え中毒症状となる。……度を越せばウミヘビであろうとも、命を落とす」
ユストゥスの口から淡々と語られた事実に、モーズは閉口してしまう。
そしてモーズは自分を責めた。この事態は自身がペガサス教団の少年オニキスに翻弄された所為で、地下へ落ちた際に意識を手放してしまった所為で、事が終わるまで何も出来なかった所為で。
「ラボには常に医療班が待機している。彼らに診せれば、この程度で死にはせん。……あまり、思い詰めるな」
モーズの指先が震えているのを見てか、ユストゥスは落ち着くよう然りげ無く促すと白衣の襟首を掴み、ニコチンから離れた座席にモーズを座らせた。
ニコチンが視界に入ってしまえば、否応なしに自責に走ってしまうとわかっての事だろう。
程なくして車が動き出し、上昇する。ユストゥスも無言で座席に座り、静かに帰還を待つ。
静まり返って、風を切る音と車のエンジン音だけが響く車内。
そのノイズにかき消されるほど小さな声で、クロロホルムはニコチンに声をかけた。
「ねぇ、ニコチン。許容量を超えれば行き着く先は……廃棄だよ?」
クロロホルムの根は気弱で、痛いのも疲れるのも怖いのも嫌いで、ユストゥスと出会うまでろくに災害現場へ訪れる事はなかった。
そんなクロロホルムが現場に赴くようになったのはユストゥスに戦闘センスを買われた事と、そのユストゥスの常に全力で物事と向き合う人間性に惹かれた事と、人間への貢献度を上げる事で得られる優遇措置に興味を持ったから。
例えば人工島アバトンの中での自由度が上がる事。
例えば人工島アバトンの外へ出られる事。
例えば人工島アバトンにはない物を得られる事。
例えば潜入任務など、人間社会を少しだけとは言え味わえる事。
「君はそこまでして、ちょっといい思いをしたいの? ……違うよね」
ニコチンは基本的に、人間に非協力的なウミヘビだ。
アバトン内の立場の確保に興味がない。それどころか管理者たるクスシに対して平気で暴言を吐く。戦闘好きという訳でもなく、外の景色や人間社会への興味も希薄で、物欲も、値の張るタバコぐらいしか求めない。そしてそれは身体を限界まで酷使する程のメリットにはなり得ない。
なのにニコチンは口では文句を言いつつもさして抵抗なく使役に応え、今回に至っては捨て身でクスシを守り切った。
(ニコチンがたまに負傷して帰って来るの、今まで気にした事なかったけど……)
ここまでするからにはきっと、メリットよりも大きなデメリットがある。
(誰と何がどう絡んでいるのかわからなくって……怖いなぁ)
何だか、脅迫めいた取引が裏で交わされている予感がして、クロロホルムは両膝を抱えて縮こまった。
***
カチリ、カチリ。
車の運転席でルービックキューブ6面全ての色を揃え終えた赤毛の車番が、角を指先に乗せてくるくると回転させる。
自動で動くハンドルは問題なし。空中走行も鳥や雷雲に遭遇する事なく安全に進んでいる。
「〈根〉に接触するペガサス教団に、一箇所に集められた多数の感染者に、ニコチンレベルの毒素が効かない信徒に……。これは、波乱の予感」
車番は後ろの座席から聞こえた城内での出来事を声に出して振り返り、目元を隠すゴーグル越しにじっとルービックキューブを凝視した。
「俺も、次は駆り出される。……かも?」
それらが一通り済み、災害現場である村から車内に戻ってひと段落した後。
「中毒症状だ」
座席に寝かせたニコチンの容態を見たユストゥスは、そう言った。
「有毒人種が、中毒症状……!?」
「ウミヘビは毒素を宿しそれを操る人造人間だが、……【器】に限度がある」
ユストゥスはモーズに説明をしながら、ニコチンの側で折りたたんだ槍を抱えるクロロホルムに顔を向ける。
そのクロロホルムの顔色も大分悪い。最上階でニコチンが撒いた毒霧が響いているのだろう。
「例えばニコチンとクロロホルム……。第一課所属であるニコチンと、第二課所属であるクロロホルム、というだけで毒の耐性に差があるのは知っているか?」
「あ、あぁ。知っている。昨日、水銀ガスを吸ったタリウムは暫く具合が悪かった。ニコチンは何ともなかったのに、だ」
「その時点で毒の許容量が個々で違うのはわかるだろう」
「しかし中毒症状になる程の毒など、一体どこから……」
クロロホルムの毒霧が、甘い香りがどれほど強くなろうともニコチンは平然としていた。
まして彼が意識を失った地下では、クロロホルムは側にいなかったのだ。原因が何なのかわからないモーズは困惑してしまう。
「そんなもの、ニコチン自身の毒素に決まっている」
モーズの疑問に対して、ユストゥスは簡潔に答えた。
「こいつは日頃から、タバコを捨てるついでに自身の毒素をコレにストックしている。今日のような有事の時用にな。それを使ったんだろう」
次いでモーズに見せてくれたのは地下の床に転がっていた、手の平の中に収まるサイズの玩具のような銃。
これはニコチンが常日頃、肌身離さず携帯している灰皿を変形させた物なのだと言う。
「自身の毒素を感染者に撃つ為でなく、自身に撃つ? それで一体、何が出来るというのだ」
「愚か者。ニコチンを人体に摂取すればどうなるのか、医者ならば直ぐに答えを出せ」
ニコチンを人体に摂取した時の効果。
例えば痙攣。
例えば錯乱。
例えば呼吸困難。
ニコチン性アセチルコリン受容体に結合する事による多量のドーパミンの放出に、アドレナリンやβ-エンドルフィンの分泌。時に興奮作用。時に鎮静作用。その他ノルエピネフリン、セロトニン、アセチルコリンなどの神経伝達物質の分泌。脳の動きを肩代わりしてしまう事による依存性の促進。
それから――
「……っ! まさか、【ドーピング】か!?」
健康を害する面が多いニコチンだが、実は筋肉の増強作用がある。
また興奮薬であると同時に、覚醒作用を利用した精神安定薬として使用する事も可能(※西暦2024年のスポーツ法ではアスリートの喫煙は禁止されていないものの、アンチ・ドーピングに抵触していて監視対象になっている)。つまり立派なドーピング薬となる。
「ドーピングに限らず長時間、毒素を使い続ければその分、体内での毒素の製成が速くなり、放出が間に合わず溜まっていき、やがて【器】の許容量を超え中毒症状となる。……度を越せばウミヘビであろうとも、命を落とす」
ユストゥスの口から淡々と語られた事実に、モーズは閉口してしまう。
そしてモーズは自分を責めた。この事態は自身がペガサス教団の少年オニキスに翻弄された所為で、地下へ落ちた際に意識を手放してしまった所為で、事が終わるまで何も出来なかった所為で。
「ラボには常に医療班が待機している。彼らに診せれば、この程度で死にはせん。……あまり、思い詰めるな」
モーズの指先が震えているのを見てか、ユストゥスは落ち着くよう然りげ無く促すと白衣の襟首を掴み、ニコチンから離れた座席にモーズを座らせた。
ニコチンが視界に入ってしまえば、否応なしに自責に走ってしまうとわかっての事だろう。
程なくして車が動き出し、上昇する。ユストゥスも無言で座席に座り、静かに帰還を待つ。
静まり返って、風を切る音と車のエンジン音だけが響く車内。
そのノイズにかき消されるほど小さな声で、クロロホルムはニコチンに声をかけた。
「ねぇ、ニコチン。許容量を超えれば行き着く先は……廃棄だよ?」
クロロホルムの根は気弱で、痛いのも疲れるのも怖いのも嫌いで、ユストゥスと出会うまでろくに災害現場へ訪れる事はなかった。
そんなクロロホルムが現場に赴くようになったのはユストゥスに戦闘センスを買われた事と、そのユストゥスの常に全力で物事と向き合う人間性に惹かれた事と、人間への貢献度を上げる事で得られる優遇措置に興味を持ったから。
例えば人工島アバトンの中での自由度が上がる事。
例えば人工島アバトンの外へ出られる事。
例えば人工島アバトンにはない物を得られる事。
例えば潜入任務など、人間社会を少しだけとは言え味わえる事。
「君はそこまでして、ちょっといい思いをしたいの? ……違うよね」
ニコチンは基本的に、人間に非協力的なウミヘビだ。
アバトン内の立場の確保に興味がない。それどころか管理者たるクスシに対して平気で暴言を吐く。戦闘好きという訳でもなく、外の景色や人間社会への興味も希薄で、物欲も、値の張るタバコぐらいしか求めない。そしてそれは身体を限界まで酷使する程のメリットにはなり得ない。
なのにニコチンは口では文句を言いつつもさして抵抗なく使役に応え、今回に至っては捨て身でクスシを守り切った。
(ニコチンがたまに負傷して帰って来るの、今まで気にした事なかったけど……)
ここまでするからにはきっと、メリットよりも大きなデメリットがある。
(誰と何がどう絡んでいるのかわからなくって……怖いなぁ)
何だか、脅迫めいた取引が裏で交わされている予感がして、クロロホルムは両膝を抱えて縮こまった。
***
カチリ、カチリ。
車の運転席でルービックキューブ6面全ての色を揃え終えた赤毛の車番が、角を指先に乗せてくるくると回転させる。
自動で動くハンドルは問題なし。空中走行も鳥や雷雲に遭遇する事なく安全に進んでいる。
「〈根〉に接触するペガサス教団に、一箇所に集められた多数の感染者に、ニコチンレベルの毒素が効かない信徒に……。これは、波乱の予感」
車番は後ろの座席から聞こえた城内での出来事を声に出して振り返り、目元を隠すゴーグル越しにじっとルービックキューブを凝視した。
「俺も、次は駆り出される。……かも?」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
―異質― 激突の編/日本国の〝隊〟 その異世界を掻き回す重金奏――
EPIC
SF
日本国の戦闘団、護衛隊群、そして戦闘機と飛行場基地。続々異世界へ――
とある別の歴史を歩んだ世界。
その世界の日本には、日本軍とも自衛隊とも似て非なる、〝日本国隊〟という名の有事組織が存在した。
第二次世界大戦以降も幾度もの戦いを潜り抜けて来た〝日本国隊〟は、異質な未知の世界を新たな戦いの場とする事になる――
大規模な演習の最中に異常現象に巻き込まれ、未知なる世界へと飛ばされてしまった、日本国陸隊の有事官〝制刻 自由(ぜいこく じゆう)〟と、各職種混成の約1個中隊。
そこは、剣と魔法が力の象徴とされ、モンスターが跋扈する世界であった。
そんな世界で手探りでの調査に乗り出した日本国隊。時に異世界の人々と交流し、時に救い、時には脅威となる存在と苛烈な戦いを繰り広げ、潜り抜けて来た。
そんな彼らの元へ、陸隊の戦闘団。海隊の護衛艦船。航空隊の戦闘機から果ては航空基地までもが、続々と転移合流して来る。
そしてそれを狙い図ったかのように、異世界の各地で不穏な動きが見え始める。
果たして日本国隊は、そして異世界はいかなる道をたどるのか。
未知なる地で、日本国隊と、未知なる力が激突する――
注意事項(1 当お話は第2部となります。ですがここから読み始めても差して支障は無いかと思います、きっと、たぶん、メイビー。
注意事項(2 このお話には、オリジナル及び架空設定を多数含みます。
注意事項(3 部隊単位で続々転移して来る形式の転移物となります。
注意事項(4 主人公を始めとする一部隊員キャラクターが、超常的な行動を取ります。かなりなんでも有りです。
注意事項(5 小説家になろう、カクヨムでも投稿しています。
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる