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第二章 初遠征、菌床処分

第20話 ウミヘビのネグラ

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 モーズは一人、寄宿舎を出て海辺を歩く。データベースのカルテを片端から読んでいたら気が付けば夕刻で、穏やかな波を打つ海は夕日で鮮やかな橙色に染まっていた。まるで南国のリゾート地のような光景だ。
 その景色を横目で眺めつつ、モーズが足を運んだのは重々しい鉄柵に囲われた門の前であった。

(ここがウミヘビの居住区、だったか)

 鉄柵の向こう側には戸建てがありマンションがあり、公民館のような建造物があり商業施設のような建造物があり、公園があり店舗もある。一見すると海辺の町にしか見えない。しかし普通の町の風景として見るには違和感も多かった。
 私服で出歩いている、人間と異なりフェイスマスクの着用を免除され素顔を晒しているウミヘビの中に、中年以上の歳の者が確認出来ないのだ。全員、若いあるいは幼い姿をしている。そして顔立ちが各々整っている。鉄柵の内側はタレント事務所の合宿所なのだ、と告げられた方がしっくりくる程に。
 何より、女性がいない。
 幼い容姿のウミヘビは判断に迷う者もいるが、骨格から恐らく男子だと推測できる。見える範囲で二十人は出歩いているのに、一人も女性がいないのは不自然だ。

(女性のウミヘビの居住区は別なのだろうか? ニコチンはここは監獄のような場所と称していたし、刑務所のように性別で分けて暮らしていてもおかしくはないか)

 後ほど人工島アバトンの全体図を確認しておこう。そう考えながらモーズは鉄柵の門に手を触れる。すると『ピピピ』と電子音が響いたと思ったら、横にスライドして自動で開いてしまった。
 想定外の事に驚いてモーズはびくりと肩を揺らす。

(ええと、入って良いのだろうか……?)

 日が沈みかけている時間なので長居をするつもりはなかったが、門が開いた事を言い訳にモーズはそろりそろりと内側へと足を踏み入れてみた。

「フリーデン先生?」

 居住区に入ったと同時に戸建ての物陰から声が聞こえ、モーズはぎくりと体を強張らせる。別にやましい事はないのだが変に緊張してしまうな、と心中で呟きながらモーズが声が聞こえた方を向いてみると、美しい黄緑色の髪と黄白色の瞳をした美男子が視線の先に立っていた。
 人間が持つ色素にはない髪と瞳。染めているのか、カラーコンタクトを入れているのか、とも考えたがあまりに自然に馴染んでいるので天然なのだろう。今まで見てきたウミヘビよりも人外みの強い容姿を前に、モーズは少し動転する。彼らは人ではないと再三聞いているのに、その片鱗を見ては未だに混乱してしまう。

「……あ? 初めて見る面だな、アンタ新人か」

 じっとりと、値踏みをするかのような視線を向けてくるその美男子は、モーズのマスクを見てそう言った。

「ええと、初めまして。私の名はモーズという」
「ん? アンタもしかして、まだ《アイギス》いないのか?」

 すると美男子がすたすたと無遠慮に距離を詰めてきたので、モーズは反射的に後退りをする。背丈はモーズより少し低いくらいなのに、にたりと嫌な笑みを浮かべる彼からは妙な圧力を感じた。

「そうか、そうか。へぇ」
「その、君の名を訊いても……」
「なぁなぁ、立ち話もなんだろ。うち来いよ」

 突然、ガシリと腕を掴まれた。痛みはないが振り解けないとわかるほど、力強く。

(これは、不味いのでは?)
「おもてなしってやつをしてやるからよ。なぁ、来るよな? 来るだろ。来いよ。来い。ほらこっちに、」
「クロール、お前ぇ今日掃除当番だろが。サボってないで持ち場に戻れ」

 美男子の台詞を遮るように知った声が発せられる。いつの間にそこに居たのか、戸建ての壁に寄り掛かってタバコを吹かすニコチンの姿がそこにはあった。今は白衣を羽織っておらず私服だ。真っ黒い、所謂パンクファッションを着こなしている。
 突然の乱入者に苛立ったのか、『クロール』と呼ばれた美男子は美しい顔を歪めて苦々しい表情でニコチンを睨む。しかしニコチンの真紅の瞳に睨み返されると、彼はビクリと体を揺らし僅かながら怯んだのがわかった。

「チッ」

 そして盛大に舌打ちをしてモーズから手を離す。そのまま不機嫌な様子でその場から立ち去った。
 『クロール』とやらが完全に姿を消したのを見て、ニコチンはタバコの煙と共に盛大にため息を吐く。

「丸腰でネグラに来る馬鹿が居るかよ。死ぬぞ、お前」
「その、すまない。有難う。ええと、私の指導役となったフリッツに『暇な時に寄るといい』と勧められたから来てみたのだが、実は装備の指定があるのだろうか?」
「あ゙ぁ゙? フリッツの奴、俺らの説明省いたのかよ。テキトーな野郎だな」
「……そういえば『明日以降に』とも言われていたな。アイギスを受け取るのも明日だ」
「やっぱ馬鹿だろお前ぇ」

 ニコチンはがしがしと茶髪を乱雑に掻いて呆れ返っている。
 返す言葉もなくモーズはしゅんと肩を落とした。

「まぁ知らなかったからという事にしてやるが、丸腰で来て面倒起こされちゃ俺たちが連帯責任を負わさせられるんだ。今後は気を付けろよ」
「ウミヘビは、面倒を起こそうとしているのか?」
「人によるとしか言いようがないが、クロールはそうだっただろうな」

 黄緑色の髪に黄白色の瞳を持つ美男子、クロール。
 その元素の名が如何に危険な毒物なのかは、モーズも知っている。

「《塩素クロール(CL2)》、か。どのような人柄か訊いても?」
「短気。癇癪持ち。乱暴者。特にここ数日あいつがご執心な先生ことフリーデンに会えてなかったから、苛立ちっぱなしだ。ここに居たのも、フリーデンに会えないか期待してたんだろ」
「自分から会いに行けないのか? 彼も戻ってきているのだから」
「ウミヘビが研究所や寄宿舎に行くのにゃ許可がいる。中には免除されている奴もいるが、クロールはあの性悪さだ、居住区から出ないように言い付けられている」

 今朝出会ったアセトアルデヒドのアセトは平然と港まで出歩いていたが、ニコチンの言う事を考えるに、クロールと異なり彼は行動制限が緩いから何の気なしに居住区から出てニコチンらの元まで来れた、という事になる。

「クロールのおもてなしを受けるって事は、フリーデンを呼び出すよう脅迫されるって事だ。暴力込みで」
「……その、助けてくれて本当に感謝する」
「連帯責任の処罰が嫌なだけだ。お前ぇがもっとしっかりしてりゃ俺もこんな事……。てか何しに来たんだお前ぇ」
「与えられた自室で休めと言われたのだが、落ち着かなくてな。気になっていた居住区を見て回ろうかと」
「お前ぇは回遊魚か何かか?」
「そうかもしれない。私は、自覚しているよりも焦っているんだろう。何せ、いつ意識レベルが低下するかわからない。私にはあまり、時間が残されていないんだ」

 タイムリミットは多く見積っても一年半。
 モーズから冷静さを奪い衝動的にさせる理由としては、充分であった。
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