上 下
16 / 236
第二章 初遠征、菌床処分

第16話 オフィウクス・ラボ

しおりを挟む
「先生、モーズ先生」

 セレンに肩を揺すられて、モーズの意識は段々と覚醒する。

「着きましたよ、モーズ先生」
「あ、あぁ。起こしてくれてありがとう、セレン」

 何だかとても、懐かしい夢を見ていた気がする。
 名残惜しさを覚えながらもモーズは毛布がわりにかかっていた白衣をセレンに返し、車から外へと出た。ここは空陸両用型車の着立場所――『港』のようで、近くに車庫ガレージらしき建物もある。
 しかしそれよりも目を引くのは、朝日に照らされ天に届かんばかりにそびえ立つ螺旋状の白い巨塔だ。その巨塔をモーズは知っている。今まで幾度かメディアで見た事がある。
 とぐろを巻くように伸びるあの巨塔こそが《オフィウクス・ラボ》、その本拠地である。

(という事は、ここが人工島『アバトン』)

 オフィウクス・ラボの為に作られたという噂もある、大西洋に浮かぶ人工島『アバトン』。研究所であると同時に、コールドスリープされた珊瑚症患者が集められる仮眠所。
 今まで書類上でしか見ることのなかった場所に足を踏み入れている事に、モーズは少し感動していた。

「あ゙ぁ゙~。肩凝った」
「そっスねぇ。ケツも痛いス」

 続いて降車したニコチンは腕を回し、タリウムは背筋を伸ばしてストレッチをしている。
 フリーデンも運転席から降りていて、荷台に積んでいた転移装置を取り出したりと荷物の整理をしていた。

「お帰りぃ、ニコ」

 不意に、鮮やかな橙色の髪をした青年が一人、車に歩み寄ってきた。彼の視線の先はニコチンで、朗らかに微笑みかけている。
 するとニコチンもふっと力の抜けた笑みを浮かべた。初めて見るリラックスした彼の表情に、モーズは少々驚く。

「遠征ご苦労様だったねぇ。お酒用意しているけど、飲む?」
「気が利くじゃねぇか。おいフリーデン、俺らはもう解散でいいか?」
「解散でいいけど、朝から飲む気か?」
「一仕事終えた後で飲む酒は格別だろが」
「あれ? 見ないお面だねぇ。新人さんかぁ」

 のんびりとした口調の青年がモーズに気付き、ずいと距離を詰めてくる。

「あ、あぁ。お初お目にかかる」

 距離感の近さに戸惑いつつひとまず挨拶をするモーズ。そんなモーズを青年はまじまじと、観察するように見詰めてきた。
 彼の顔は日焼けをしているのか酒が入っているのか、少し赤ら顔だ。

「僕は『アセト』。ネグラ……ウミヘビの居住区でバーをやっているんだぁ。よかったら遊びに来てねぇ」
「アセト、行くぞ」
「はぁい」

 モーズをじっくり見詰めて満足したらしい青年『アセト』は、ニコチンに呼ばれてあっさりと離れてゆく。
「セレンさんも行きますよ。始末書を書かないといけないんでしょう?」
「うぅ。先生、また後ほどお会いいたしましょう」

 タリウムに促され、重い足取りで港から離れるセレン。途中で何度も振り返っていて、名残惜しさを強く感じた。
 四人の向かう先は巨塔ではなく、鉄柵に覆われた住宅地らしき敷地。彼処がアセトの言うウミヘビの居住区ネグラなのだろう。

「今声をかけてきたアセトという青年もウミヘビ、なんだな?」
「おう。アセトアルデヒドの『アセト』だ。あいつニコチンと仲良いんだよなぁ」
「そうか、アセトアルデヒドの『アセト』……。いや待て、《アセトアルデヒド(C2H4O)》!?」

 フリーデンが告げたアセトの正式名称に、モーズはぎょっとしてしまう。
 アセトアルデヒド。沸点と引火点が非常に低く20度で引火、爆発する特殊引火物である。
 毒性もあるが(二日酔いの原因といわれている)それよりも脅威なのはその引火のしやすさに加えて、一度火がつけばガソリン以上に燃焼範囲が広がる、つまり容易に火の海が作れてしまう点だ。

「火事の不安が付き纏うバーだな……。何なら爆発してもおかしくない」
「あいつはもう何年もバーやってるしヘマする事なんてまずないだろうが、不安なのはわかる」

 モーズの不安に対しフリーデンは力強く肯首してくれた。

「それから、『アセト』と付く化学物質は多くある。ただ『アセト』と呼ぶのでは混乱しないだろうか?」
「ニコチンにとっての『アセト』はアセトアルデヒドだけだから、そう呼んでんだとよ。んで今みたくアセトアルデヒドもつられて『アセト』って名乗る事があるんだ」
「ニコチンにとっての……」
「まぁ今はウミヘビよりクスシヘビだ。俺たちの上司。早速会いに行くぞ」

 ◇

 『共同研究所室』。
 巨塔の中、地上階であるエントランスから一つ上に上がった二階のフロア全面を使った部屋。その扉に貼られたプレートにはそう書かれていた。
 この先に今日から上司となる人物が待つ。モーズは緊張した。

「ただいま戻りましたーっ!」
「失礼します」

 大きな声をかけながら入室したフリーデンに続き、モーズも意を決して中へと入る。

「遅い!!」

 そして胸ぐらを掴まんばかりにフリーデンへ詰め寄ってきた男を前に、ビクリと肩を揺らしてしまった。
 裏地が蛇柄の白衣を着た、アッシュブラウンの髪をした大柄な男性。顔を覆う赤地のフェイスマスクには片翼の黒い鷲が描かれていて、少し目に痛い配色をしている。
 彼がクスシヘビ、フリーデンの、そしてモーズの上司。

「貴様が生物災害バイオハザードを片したのは一昨日の夜! 感染病棟からラボまで車での移動ならば半日かからない! なのに何故ラボに戻るのに日を跨いでいるんだ!!」
「そりゃあ昨日も生物災害バイオハザード対処しましたし? ペガサス教団にちょっかいかけられたり警官撒いたりとか、ともかく新人のモーズの対応に追われていたっていうか……」

 そこで男は初めてモーズの存在に気付いたらしく、ぎょっと身体を仰け反らせた。

「誰だ!?」
「モーズと申します。一昨日まで感染病棟に勤務をしていました」
「私は知らんぞ!?」

 そう言ってあからさまに警戒され、モーズは戸惑う。連絡の不備だろうか。フリーデンも慌てて男に向かって説明をしてくれた。

「新しいクスシヘビですよ、クスシヘビ! 所長からちゃんと合格通知も受け取ってますっ! メールでっ!」
「私はそんな話一切聞いてない! オフィウクス・ラボは国連の機密組織なんだ、部外者を安易に招き入れるな!!」
「ううぅ」

 その時、研究室に規則的に並ぶ幾つもの実験用作業台。その内の一つから、低いうめき声が聞こえた。

「少し声量を抑えてくれ、ユストゥス……。徹夜の頭に響く……」

 ずるずると這い出るように、実験台を支えに姿を現したのは黒髪の男。顔を覆う黄地のフェイスマスクには、片翼の黒い鷲が描かれている。赤地のマスクに描かれた方の片翼の鷲と同じデザインだ。
 ――いや、片翼の鷲ではないのかもしれない。赤地の鷲は左翼が、黄地の鷲は右翼が描かれている。きっとあの黒い鷲は二つのマスクで一つのデザインなのだろう。つまり、

(双頭の、黒鷲か)

 『ユストゥス』と呼ばれた男が「あ、ああっ! すまない!」と、今したが起きたばかりらしき黒髪の男に頭を下げている。
 彼らはマスクのデザインを共にするだけあり、親しいようだ。

「フリーデンくんお帰り。寝起き姿ですまないね。そしてモーズくん、初めまして。そちらの彼は『ユストゥス』」

 大柄な男『ユストゥス』を代わりに紹介までしてくれた彼は、次いで胸に手を当てて軽く会釈をした。

「そして僕のことは『フリッツ』と呼んでくれ。所長から君の指導係を任されたんだ。よろしくね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

性転換ウイルス

廣瀬純一
SF
感染すると性転換するウイルスの話

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

未来世界に戦争する為に召喚されました

あさぼらけex
SF
西暦9980年、人類は地球を飛び出し宇宙に勢力圏を広めていた。 人類は三つの陣営に別れて、何かにつけて争っていた。 死人が出ない戦争が可能となったためである。 しかし、そのシステムを使う事が出来るのは、魂の波長が合った者だけだった。 その者はこの時代には存在しなかったため、過去の時代から召喚する事になった。 …なんでこんなシステム作ったんだろ? な疑問はさておいて、この時代に召喚されて、こなす任務の数々。 そして騒動に巻き込まれていく。 何故主人公はこの時代に召喚されたのか? その謎は最後に明らかになるかも? 第一章 宇宙召喚編 未来世界に魂を召喚された主人公が、宇宙空間を戦闘機で飛び回るお話です。 掲げられた目標に対して、提示される課題をクリアして、 最終的には答え合わせのように目標をクリアします。 ストレスの無い予定調和は、暇潰しに最適デス! (´・ω・) 第二章 惑星ファンタジー迷走編 40話から とある惑星での任務。 行方不明の仲間を探して、ファンタジーなジャンルに迷走してまいます。 千年の時を超えたミステリーに、全俺が涙する! (´・ω・) 第三章 異次元からの侵略者 80話から また舞台を宇宙に戻して、未知なる侵略者と戦うお話し。 そのつもりが、停戦状態の戦線の調査だけで、終わりました。 前章のファンタジー路線を、若干引きずりました。 (´・ω・) 第四章 地球へ 167話くらいから さて、この時代の地球は、どうなっているのでしょう? この物語の中心になる基地は、月と同じ大きさの宇宙ステーションです。 その先10億光年は何もない、そんな場所に位置してます。 つまり、銀河団を遠く離れてます。 なぜ、その様な場所に基地を構えたのか? 地球には何があるのか? ついにその謎が解き明かされる! はるかな時空を超えた感動を、見逃すな! (´・ω・) 主人公が作者の思い通りに動いてくれないので、三章の途中から、好き勝手させてみました。 作者本人も、書いてみなければ分からない、そんな作品に仕上がりました。 ヽ(´▽`)/

【完結済み】VRゲームで遊んでいたら、謎の微笑み冒険者に捕獲されましたがイロイロおかしいです。<長編>

BBやっこ
SF
会社に、VRゲーム休があってゲームをしていた私。 自身の店でエンチャント付き魔道具の売れ行きもなかなか好調で。なかなか充実しているゲームライフ。 招待イベで魔術士として、冒険者の仕事を受けていた。『ミッションは王族を守れ』 同僚も招待され、大規模なイベントとなっていた。ランダムで配置された場所で敵を倒すお仕事だったのだが? 電脳神、カプセル。精神を異世界へ送るって映画の話ですか?!

処理中です...