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朝焼けを抱く
前世の名前
しおりを挟む砕けた星の欠片が地球に落ちていく光景。
破滅の流れ星は、地表に火の雨となって降り注ぐ。
誰かが、自分を呼んでいる。
――――俺は――――
白い光が視界を染め、頭が割れそうなほどの激痛がはしる。
「……ぐ、ああああぁぁ…………っ!!」
身体が、砕け散る――――!
『――おかえりなさい。リース』
優しい、女性の声。
壊れて落ちていく自分の身体を、青い地球の暖かい大地が、受け止めてくれようとしている。
……違う。
俺は、俺の名は…………。
聖女ミラノの涼しい声が、きらきらと白い輝きをもってリースを優しく包みこんだ。
纏っていた激しい電撃が消えて、さあ、と黒い全身が白く散っていく。
「……! ま、待って、消えちゃう……!」
アクアが咄嗟にリースの手を握った。
まだ、掴める。
アルヴァも白くなったリースの手を掴んだ。
「駄目だ! 戻ってこい!」
「っ……リースさん……あなたの人の部分だけ残して……!」
ミラノも必死に力を調整しながら使っているが、リースの崩壊は止まらない。
「……見えたぜ、《エイト》。君は今、ここにいる。逃げんなよ」
ソーマの、優しくて甘ったるいような低い声が、響いた。
闇魔法が中庭一帯を広く包囲し、星のない夜の闇のようになる。
「なっ……ソーマ! また、何を……!」
「落ち着け。そいつは大丈夫だ。しっかり手を握ってあげな」
「え……」
ぱっとリースをみると、白い光は赤色に変化し、掴んだ手の感覚は確かな輪郭を取り戻していく。
ソーマはリースの目の前に立ち、そっと閉じた右目のふちを撫でた。
「……今を生きろ。そう望む奴がいるんだからな」
すう、リースが目をあける。
魔物色だった右目は深茶色に変化し、深く吐く息は、暖かい。
リースの身体に漂っていた赤色の輝きが消えると、すこし浮いていた身体が重量を取り戻し、ザッと膝をついた。
目隠しするように辺りを覆っていたソーマの闇魔法も、さあ、と消える。
電撃の跡を残した中庭に、いつもの静けさが戻ってきた。
「……あ……」
リースが溢した、小さな声。
少し茶色が混じった黒髪。
アルヴァとアクアが握っていた彼の手は白く、あたたかい。
「リース……?」
ふ、と呼び掛けに振り向いた顔は、ひとまわり若い。
「……俺、は……」
「リース様あぁぁぁぁ!! 良かったぁぁああ!!」
アクアの全力の抱擁に、ドッと横に押し倒されたリースが苦しげな息を溢す。
「ちょっ! アクア、いたっ……!」
「ふぇぇん……! リース様あぁぁ!」
厳格な空気が、なんだか一瞬で弛んでしまった。
そっとリースの様子を覗き込むと、普通の人間がアクアに襲われているようにしか見えない。
――何がどうなったのか、とにかく、リースが聖女様の力で消えるという事は、なくなったようだ。
「はぁぁ……よかったぁ……」
聖女ミラノも、その場にペタンと座ってしまっていた。
しかし今、自分まで呆けている訳にはいかない。
そっとその場を離れようとしたソーマの肩を、つかまえる。
「――待てソーマ。リースを助けてくれたのは、感謝する。しかしあの闇魔法……それと、理解を越えた言動。もしかして、聖女様と同じように『世界の力』を掴んでいるのか……?」
期をみて慎重に聞くつもりだった。
しかし今までの態度から、こういう問いにソーマが正直に答えるとは思っていない。
「ふふ……お前は何者だ、とは聞かないのか? すっげー怪しいのに、俺が魔女の手下だとは思わないんだな」
「手下の顔を知っているクレイさんが何も言わないということは、違うだろう。何か訳があるなら詮索はしない。だけど、その力と、雰囲気……。魔女の師匠『ヒカゲ=ディシール』に、会ったことがあるんじゃないか?」
推測し、踏み込んだ問い。
もしここで、いつものようにはぐらかすのなら――
「……ヒカゲか。ちょっと一緒に行動してた時はあるぜ。彼女が聖女様に『世界の力』とやらを伝授したのか。すっげぇ偶然だな」
思いがけず素直な言葉が聞けたことに、逆に緊張する。
「じゃあ、やはりソーマも……」
「いや、俺の力は自分で習得したやつだ。俺は、全ての魂の《真名を掌握》する。聖女様のは魔物の魂を《祝福》するんだな。まさに聖女様って感じだな!」
――魔物に対してまるで詠唱のように語りかけていた何かは、その魔物の元になった人間の名だったのか。
「……魔女の力の源について、そんなの知らないとか言ってたじゃないか」
「え? いや~それは俺もヒカゲが魔女の師匠やってたなんて知らなかったし! てか、いつのまにそんな情報を拾ったんだよ? あ、聖女様が戻ったからか?」
アルヴァは聖女ミラノが立つのに手を貸して、少し息をついた。
ソーマには色々聞きたいことがありすぎる。
「こちらは『光明の聖女』ミラノ=アート。行方不明はヒカゲに連れ出された事が原因だったんだ。聖女様、彼は――」
「俺は《吸血鬼退治屋》のソーマ=デュエッタ。よろしくなっ!」
「え? あ、よ、よろしくお願いします……」
ソーマが勝手にぱっと近付いて手を差し出すと、ミラノはポカンとしてそれに応じた。
「ちょっと、アルヴァ! リース様が人間になれたっていうのに、そっちで喋ってないでもっと喜びなさいよっ!」
アクアの嬉しそうな叱責がとんできた。
リースがアクアに支えられて起き上がったところに、聖女ミラノがぱっと駆け寄る。
「リースさん! 私いつも突然、ご迷惑ばかりかけてすみません! でも、良かった……。ソーマさんも、力を貸して頂いてありがとうございます!」
身体が重い、と少し恥ずかしそうにしたリースは、どうみても普通の人間だ。
彼がずっと望んでいた事が、まさか、こんなに一瞬で叶えられてしまうとは……。
まだ情報が足りないし、完璧な準備が必要だと考えていた。
聖女様の力が必要だという情報はあったものの、ソーマが偶然ここに居合わせなかったら、リースはあのまま魔物として消えてしまっていただろう。
願いというのは、遠くに見えていても、関わってきた人々との縁が運んできてくれるものなのかもしれない。
アルヴァは漠然とそう思った。
「アルヴァ、……ちょっと、アルヴァ? どうしたの?」
アクアに肩を叩かれて、はっとする。
「……いや、突然だったから、驚いて……。リース、身体が変化した他に異常は無いですか?」
ひとわまり若返った容姿に、濃い茶色の瞳と茶色がかった黒髪。
静かな精悍さはそのまま、少し優しげな雰囲気が滲んでくる。
「ああ。だが、今までのような身軽な動きは出来そうにない。籠手で誤魔化していた素手の攻防も、魔物としての技能だったからな……。普通の魔物討伐でも戦力にならないだろう。……これから色々始まるという時に……すまない。アルヴァ」
自然な暖かい声。
リースがいままで、努めて穏やかに聞こえる声を作っていたのがわかる。
「……暫くは魔物退治に当たる事も無いですし、《ホライズン》の事務方をお願いします。アキディスが指南した仕事量を考えても、専任者がいた方が良いでしょう」
「それは勿論だ。……もしかして見た目が少し変わったか……? 髪に茶色が混じってる……?」
「はい、それにひとまわり若返って20代前半位に見えます。クレイさん達には、最初から説明が必要ですね」
敢えて淡々とした態度を作ったアルヴァは、仕方ないかと息をついたリースをみながら、言い様のない不安に駆られる胸元を、そっと抑えた。
――亡き姉の代わりのように、子供の時からずっと一緒にいてくれたのが、リースだ。
もちろん消えずに生きてくれたのは嬉しいが、今朝のように突然魔物の襲撃があったら……。
「なあリース、《エイト》の記憶はどのくらい残ってるんだ?」
いきなり割って入ってきたソーマの言葉に、リースは目をひらいた。
「……流石に今まで300年過ごしてきたし、細かい事は忘れている。だが名前がわかってみると、思い出せる事も多いな」
「もしかして《ホライズン》ってのはリースが名付けた組織名か? どうしてアルヴァが英単語を言い出したのかとびっくりしたよ。エイトは絶対JP自治区出身だろ」
ソーマが楽しそうに話す内容の意味がわからない。
が、リースは腕を組んで小さく笑った。
「……ソーマ。君も相当色々ありそうだな……。エイトは、あくまで前の人生だ。今の俺は、リース=レクト。そう接して欲しい」
「あはは、ごめん。そうだよな。まぁ魔物の戦闘能力がなくても、人間の身体としては長年溜め込んだ魔力があるみたいだ。魔法は練習すればすぐ使えるようになるだろ」
いままでリースは魔物だからか、人間であれば微弱でも持っている筈の魔力を一切持っていなかった。
それを長年溜め込んでいたとすれば、食糧にしていた、人々の魔力と生命力のことか。
――リースの身体を魔物として造った『ヒカゲ』は、ここまで想定して、そうしたのだろうか。
だがそれなら――。
アルヴァは、リースの胸元をトンと叩いた。
「では、魔法について鍛えなくては。せめて自分の身を護れる位には練度を上げて下さいよ」
「あっズルい! 魔法といえば私のほうが専門だもん! リース様、やさしく教えて差し上げますからねっ」
アクアがそういって、しっかりリースの腕を取る。
リースの困ったような、自然な笑み。
――《エイト》。
前の人生、というのは、きっと誰にでもあるのだろう。
でも記憶があるからといって、同じ人間ではない、とリースは明確に分けているようだ。
……それはどこか少しだけ、寂しいような気がする。
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