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流れ星を待つ
ソーマの夜空
しおりを挟む教会での怪我人は多かったが、退魔師達に死者はなかった。
しかし教会の業務を司っている聖使達は、聖者が刺されたという事に大きな衝撃を受けている。
彼らは最小限度の手助けだけして、恐れるように宿舎に籠ってしまった。
そんな聖使達も、もう眠っている頃だろう。
聖者の様子を見守っていた聖使ディアナは、寝台のふちで寝息を立てている。
彼女は領主の妹だ。
楽をしようとすれば、いくらでもやりようはあった筈。
なのに、こんなところで風邪をひきかけている。
そしてこの子は、『守護の聖者』の、後継者だ。
このまま時代の流れが変わらなければ、長年聖者を務めたバルド=レイフォンの『守護』の特殊魔法を継承して、『守護の聖女』としての未来が約束されている。
だが恐らく、時代の流れは、一気に前に進もうとしている。
―――歴史書の亡霊であるフェイゼルなら、きっとこの瞬間を、そんな風に言うだろう。
「・・・戻ってこい。守護の聖者《バルド=レイフォン》。あんたの命運は、未だ尽きていない」
ソーマは、聖者の額にトンと指先をあてた。
土気色をしていた顔に、すう、と生気が戻って、呼吸が深く落ち着いたものに変わる。
「・・・聖職者の仕事じゃねぇの? って無粋な突っ込みは、やめとくぜ」
聖者の身体の傷は完璧に塞がれている。
逃げ出していた魂を戻してしまえば、いつ目を覚ましてもおかしくない。
呑気に眠っているようにみえる聖者に愚痴をこぼしてから、ソーマはそっと部屋を出た。
ひっそりと静かな夜中の教会は、星明りの中、暗闇との色彩が、美しい。
しかし隣接の診療所から、多くの魔女探し達の死のにおいがする。
「・・・月が落ちる前は、死霊に怯えるだけで済んでたのに。今では魔物として実体化するから厄介なんだよなぁ~」
おそらくこの場で何かの争いが起れば、大量の魔物が発生するだろう。
それが、『魔女』が作った、この世界での法則だ。
『守護の聖者』の護りの内側でそういう事が起れば、今回のように、不意を衝かれた退魔師達の対応が遅れるのは、簡単に想像できる。
診療所と、そこから回収された死体の山。
魔物が発生する前の気配が、しずかに淀んでいる。
一帯を見渡す位置に立ったソーマは、すう、と両手をひろげた。
『惨殺の憂き目に遭った魂よ 暗き心の魂よ―――』
黒い魔力が、旋風のように周囲を駆け巡る。
濃厚な闇魔法だ。
―――微かな存在の死霊など、塵に等しい。
『 ―――我が黒翼の糧となる事 光栄に思え 』
周囲の闇魔法が急速に収束し、集めた死霊が、腕を広げたソーマにドッと流れ込む。
ーーー背中に駆け抜けていく風。
ざあ、と、黒い質量が顕現していく。
天使教会の聖堂にかならず存在する天使像と同じ、翼。
ひとつ違うのは、艶やかな漆黒だということか。
ソーマはペロリと唇を濡らして、黒翼をひとつ大きく羽搏かせた。
「・・・ふ。久々に味わう魂としては悪くねぇ味だな。ごちそーさま」
すう、とほどけるように黒翼の顕現を解除する。
今まで殺戮してきた人間の魂を喰らい、この黒翼は育ってきた。
祖国での役割を終えたこの黒翼が、こんなところで掃除の役に立つとは思わなかった。
「あ~いい事した! 俺すっげー良い奴だな! さぁて、ノーリ回収して家に帰りますかね~」
また聖堂に入って、長椅子でぐったりしているノーリを抱き上げる。
魔女の手下として本性を現した彼を、真名で無力化して可愛がったら、気絶してしまった。
穏便に話をしようとしたのに、いきなり心臓を刺してきたノーリが悪い。
しかしそれにしても、少し、可愛がり過ぎたかも知れない。
ノーリ。
その真名は、ゼロファ=アーカイル=レトン。
この魔女の奴隷は、ソーマの腕のなかで、無防備に薄く唇をひらいている。
ソーマの目に見える彼の白髪は、夜の色に、よく映える。
この白髪は、故レトン王国の王族である証だ。
歴史書の亡霊となったフェイゼル=アーカイルは、今この状況を、記録しているのだろうか。
「やっぱり、ずっとここでダラダラしていたら、また、お前は怒るんだろうな・・・フェイゼル。もう一度生まれてきた俺が歴史を変えたって、文句はないだろ?」
従兄弟のフェイゼルを参謀に戦場を駆けた、レトン王国の第一王子。
この腕の中に眠っているゼロファの、兄。
それも、前世の俺だ。
遥か昔から何度も生まれ変わってきた。
今回の人生はもう充分役割を終えたと思っていたのに
こんなところで、ひとつ前の人生での縁に触れるなんて―――
砂漠を越えて辿り着いたこの大陸の西側世界。
のんびり穏やかに過ごすつもりだったが、どうやらまだ、余生を楽しむという訳にはいかないようだ。
アルヴァ達の今までのやり方では、おそらくいつまでも魔女の世界を終わらせる事は、できない。
協会の存在が魔女ありきの社会構造の中にあるからだ。
この現状を変える為には、社会構造そのものを変えるようなものが、必要になる。
フェイゼルの本は、そういう事を歴史家らしい視点から指摘していた。
恥ずかしがらずに読んで貰えばいいのに。
途中を覗き込まれるのを相当に嫌うのは、彼の昔からの性格だ。
目眩のするような見事な星空が、夜に染まった緑色の街並みの上で瞬く。
かつて砂漠で厭きるほど見てきたこの空は、見る場所が違うとこんなにも違った表情をみせる。
美しい大自然―――それこそが、『魔女の力の源』だ。
そう説明したところで、きっと誰にも理解することは出来無いだろう。
砂漠の人間に海での泳ぎ方を理屈で教えるようなものだ。
それはたぶん、あの人にしか、出来ない。
だから魔女は、『俺と同じ』だろう。
あの超常の人間―――『ミカゲ』に、あったことがある筈だ。
「いや、ヒカゲって呼べって言ってたな」
身体を更新したからか子供の姿になった御影は、緋影と名乗った。
たぶんあの姿で、いまもどこかをブラブラしているに、違いない。
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