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流れ星を待つ
人に紛れる魔物の優しさ
しおりを挟むトントンと木槌の音が響いている。
作業着の男達が、新しい砂を敷いた地面を綺麗に均していく。
まるで建築前の整地のような作業風景だ。
昨夜の激戦地の痕跡は微塵もない。
魔物が砂になって崩れた跡も、魔女探し達の血痕も、すべて綺麗に無くなっていて、魔物だらけの沼地の近くだというのに、どこか清浄な風さえ吹いてくる。
―――あの『二つ蛇の門』で黒い床に沈んでいった魔女探し達は、結局、メルド湖沼地帯に落とされた。
死者は魔物の世界に取り込まれ、生き残りはそれと闘いながら、運が良ければ湖沼から出た砂地に辿り着く。
リースにとっては、魔女に水鏡に映して見せられたに過ぎず、それが本当の事なのかは、わからなかった。
だが、少なくともこの地理状況は、水鏡で見た風景と同じだ。
湖沼の近くに血の臭いがする場所があれば、簡単に魔物が寄り付くようになるだろう。
さらにそれを放置しておけば、下手に魔物の出現する範囲を増やし、湖沼そのものが浸食してくることもあるかもしれない。
アーぺの人間がこうして丁寧な清掃対処をとるのは、おそらく、長年の経験から出て来た知恵だろう。
しかし、いつまでも森のふちでそんな様子を眺めている訳にもいかない。
修繕中の街の守護柵の間を通って街に入りたいところだが、今更無傷な魔女探しが湖沼方面から出現すれば、質問攻めに遭うだろう。
入る時は大勢の魔女探しに紛れてきたから良かったが、人の目につくことは避けたい。
森の中にまで伸びている守護柵は、やはり二重に張り巡らされていて、森の木々と同じくらいの高さがある。
もう何年も魔物を通さなかった守護の聖者による防護柵。
昨夜は魔物の圧倒的数によって、魔力というより物理的な要素で破られた部分が大きかったようだが―――。
そっと触れてみると、小さな静電気の音を立て、指先が痺れる。
大きく破損した場所があって、守護魔法が緩んでいるのだろうか。
以前触れてみた時は、バンと弾き返されるほどの衝撃を受けたものだ。
―――痺れる程度のことなら、強行突破できなくもない。
周囲の木を利用して、トンと軽く柵の上を越える。
びっくりするほど簡単に、ひとつめの柵を越えた。
ふたつめの柵にも、念のため少し触れてみて、やはり静電気程度の反発しかないのを確認する。
こうなると、普通の飛翔型の魔物の侵入も簡単に許してしまう状況だ。
破損が原因ではないのだろうか―――。
同じようにふたつめの柵を越えた瞬間、低い警報音がどこか近くから突然鳴り出した。
しまった、と思ってみても、遅い。
急いで警報の音源を探す。
清掃作業をしていた街の住人達も、騒然となる。
魔物の侵入を目視の範囲で確認できないのに警報が鳴ったのだ。
左右をみてから森に目を向けるのは当然のことだろう。
警報を探して止めるべきか、見つからないうちに街へ脱出するべきか、迷う。
「お~い、誰だよこんな所に処理土置いた奴。そりゃ警報も鳴るわ。気をつけろよ!」
誰かがそんなことを叫んで、すぐに警報は止められた。
勘違いしてくれたのか、本当にそちらが原因だったのか、よく分らないが、とにかく助かった。
あとは人目につかないように街を通って、街道に出れば良い。
中央都市フェリアに戻るには馬車か馬がないと日数がかかる旅になる。
が、痕跡を残さないように移動するためには、その程度の徒歩旅はやらなくてはならない。
さっさと旅支度を整えて、不審がられる前に立ち去らなくては。
いかにも魔女探しですと言っているような旅装の外套を外し、リュディア教会の聖使服を少し着崩してみる。
これで、一般の観光客に見えなくもないだろう。
昨日の激戦があったせいか、来た時よりも大通りを行き交う人が少ない。
人ごみに紛れて行動しようというのは思惑が外れたが、いまのところ不審の目を向けてくる地元民はいない。
「兄ちゃん、どこから来たんだ? その服格好いいな! この機能性鞄の方が、そんな革袋抱えてるより断然似合うぜ! おまけしとくから、買っていきなよ!」
アーペ独特の軽い口調に声を掛けられて、少し張りつめていた気分が軽くなる。
「―――流石に、いい鞄を作っている。だが、リュディアだともう少し安いな」
「お、リュディアからか。商売の国だねぇ。大量生産・大量消費でそりゃ安いだろう。このアーペの品物はどこに持っていっても一目おかれる逸品だぜ。ひとつ持っておいて損はねぇぞ~」
「なかなか商売上手だな。この革袋を下取りして、一割引いてみないか」
「あはは! 参ったね。じゃあそれでいいよ。ここ使って中身替えていきな。流石リュディアの人だね。見習わなきゃな~!」
流石に観光地だなと思いながら、旅装が見えないようにサッと中身を入れ替える。
持ち物を変えるというのは、下手に知っている人間に見つかりにくくなって、良いかもしれない。
満面の笑顔の鞄屋に見送られ、あらためて大通りをゆっくり歩く。
長旅前の準備。
いつもはアルヴァ達と一緒だったから食糧を買い込んでいたが、単身であれば、その必要はない。
通りを行き交う人間から、少しずつ、魔力を貰う。
人通りのない道を一人で今日距離歩くとなれば、道中力尽きる事の無いよう、多めに魔力を食べておく必要がある。
往来の人々が、ひとりふたりと空を見上げて歓声をあげたのに、つられて目をあげる。
昨日の朝、魔女探し達が使用した新しい飛行機械を使った人影が、上空をすべっていく。
まだ、使っていないものがあったのか。
どうやら街をあげて開発したもののようで、その成功を住民皆が喜んでいるようだ。
自分は大型の機械に便乗したから、あの小型のことは詳しくは知らないが、きっと、その爽快感は大型よりも素晴らしいものだろう。
街の上層から飛んで来たのは一つではなかった。
続けてもう二つ、上空を通過する。
と、最後のひとつが、いきなり姿勢を崩して蛇行し、こっちに軌道を向けた。
操作を失敗したのか、このままだと、大通りに落ちる―――。
「ち・・・っ」
咄嗟に、ぱっと通り沿いの屋根に跳び乗った。
あっというまに迫って来た小型めがけて跳躍し、幅の広い機体の上に辛うじて掴まっている人間を引き離す。
機体を蹴って、一瞬で間近にあった建物の屋根の上に着地―――したかったが、抱えた人間が抱きついてきて、ドッと背中を打った。
衝撃に、息が止まる。
「馬鹿馬鹿ばかばかばかばかぁ! リース様のバカ―――!!」
胸元を激しく叩かれて声がでない。
拳が止まって咳き込むと、真っ赤な顔をしたアクアの強いまなざしがおちてくる。
そのまま、がっしりと顔を掴まれた。
―――右目が。
そんなにはっきりと明るい所で瞳を見られたら、伸ばした前髪でごまかしていた魔物の目の色がよく見える筈だ。
一瞬焦ったが、もう彼女には魔物だとバレているのを思い出して、今度は困惑する。
魔物だという事実を確認したかったのか?
「アクア、俺は・・・」
「あのね、リース様。私、最初から知ってたの。沢山の魔物に追われてた私を、助けてくれた時。リース様の赤い瞳が、他の魔物を追い返してくれた」
強い言葉がおちてくる。
戸惑うリースに、遠慮なく馬乗りになったままのアクアは、少しだけ笑顔をみせた。
「・・・私は、私を魔物だと思ってた。仲間を殺してまで魔女のもとに辿り着こうとしたんだもの。だから、リース様が魔物だなって思ったとき、嬉しかった。・・・私だけじゃないんだなって」
「・・・アクア・・・記憶が・・・」
「あるよ。全部、覚えてる。私は仲間殺しで、嘘つきの、酷い魔物。でも、ずっと一緒にいて思ったの。リース様は、とっても優しい・・・人間だって」
「・・・優しくなどはない」
「でも、私をこうしてまた、助けてくれた。頭で考える時よりも、咄嗟の時の方が、本性が出るでしょ」
アクアのひんやり冷えた掌に頬を包まれた。
どうしたらいいのかわからないが、とにかくその手を掴み、起き上がる。
自分は、人間だ。
―――そう言い聞かせていないと、この姿は失われてしまう。
だから自分では何度もそう言い続けてきたのに、正体を知られたうえで人から言われてみると、不思議な感じがする。
「それにしてもどうして俺を追いかけるんだ。折角あの湖沼地帯から生還したのに、またこんな所にきて、危険な真似まで・・・」
「好きですって、何度も言ってるじゃないですかっ!」
怒ったように叫ばれて、ぽかんとする。
理解が、できない。
ただアクアの目に溢れた涙に、迸るような生命力を感じて、身動きが取れない。
―――下手に動いたら、彼女の溢れるような魔力を、食べてしまいそうだ。
「リース!」
大きな影がさして、風が吹き抜ける。
小型の飛行機械が正しくふわりと屋根に降りた。
そういえば蹴り落とした方は、被害を出さなかっただろうか、と、おもわず思考が現実逃避しようとする。
「・・・アルヴァ・・・」
逃げたいのに、身体が動かない。
「捕まえましたよ。もう、逃がしませんからね」
アクアの手を掴んでいた手を、掴まれる。
それだけなのに、振り払えない。
「いや。物凄く逃げたいんだが、見逃してくれないか」
「「駄目です」」
綺麗に息の揃った連携攻撃だ。
ふたりの強い眼差しから逃れるように、空をあおいだ。
―――よく晴れた空は、流れる雲の形が、美しい。
「・・・正体なんて、なんでもいい。貴方の信頼は、貴方自信が築いてきたものだ。それを投げ出すなんて、貴方が育てた俺が、許しません」
アルヴァの綺麗な金髪が、涼しい風に揺れる。
その青い眼差しは、晴れた空より、眩しい。
12歳で既にリュディア王国の退魔師だったアルヴァは、当時の王位継承の闘争で姉を亡くした。
彼女からアルヴァを護衛するよう頼まれていたのもあり、同じ教会の退魔師として、行動を共にするようになった。
怒涛のような日々だったが、気付けばもう10年。
子供が大人になるのは、あたりまえか。
「―――そんな熱血に育てた覚えは、ないのだがな」
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