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展望が紡ぐ絆
展望が紡ぐ光明の聖女
しおりを挟む手風琴の音色が、新しくなった聖堂に響く。
切なくて温かい、優しい旋律。
ここで悲しい事件があった記憶を、安らかに、撫でていく。
ハーディスに演奏をお願いするのは大変だった。
アキディスと違って神出鬼没で、なかなか捉まらなかったから。
木造の天使像は焼け焦げてしまっていて、魔女探しの協会の人達が新しいものを寄贈してくれた。
故郷の領主セルウィリア様が贈ったものが無くなったのは少し寂しいけれど、物は、こうしてまた作る事が出来る。
壇上の背景になっている中庭への扉を大きく開くと、緑の風が吹き込む。
真新しい長い丈の聖衣に葉の匂いが吸い込まれていく。
きちんと背筋を伸ばして立とうと思って、直前まで、すごく緊張した。
だけど、この新しい聖堂で、ハーディスの音楽に包まれてみると、無理にイリス様やアドリス正使の真似をすることなんてないっていう気持ちになる。
人々の顔をちょっとだけ見渡してみてから、天使像の傍に立った。
イリス様が聖女になった時のように、檀上には立たない。
まだまだ、私は壇上に立って何かを話すには、多分、役不足だから。
壇上で口を開くのは、いつかもっと、自分が大きくなってからでもいいと思う。
「私には、魔物を消す力があります。
でも魔物は、元々は、人。
苦しみと悲しみを抱いたもの。本来の姿を求めて迷ったもの。
嫌いとか怖いとか、人の憎しみから、形をとったもの。
本当は、普通の、やさしい魂の欠片。
―――私は、私達は、まだまだ知らない事が沢山ある。
目を逸らさないで 見た目だけに惑わされないで
本当の姿をみつけて、よくみて、触れて、お互いを理解していきましょう。
変わる事を、恐れないで―――」
準備していた挨拶文は、全部吹っ飛んでいた。
かってに口から出てきた言葉が、聖堂に静かに染みていく。
段取り通りに解放奴隷の皆から花籠を受け取ると、それに光魔法をかけて、ぱっと聖堂に集った人々のうえに撒き散らした。
解放奴隷も、それを受け入れる人達も、きっとまだ大変な事が沢山ある。
不安な事が少しでも明るく解決できますように。
そういう、光の花を咲かせる。
『光明の聖女』
それが総議長様から貰った、新しい称号だった。
きっとアドリス正使に出会わなければ、竦んでしまっていた。
アキディスやハーディスと知り合わなければ、こんなに穏やかな気持ちで立っていられなかった。
―――未来を見つめた『展望の聖女』は、どこまで見通していたんだろう。
彼女の傍にいたセフィシスが、最初から、私がイリス様の次の聖女になるってわかっていたから教会に留めたっていう話には、流石に現実感がなかった。
だけどこうなってみると、凄い事だなと思う。
無事にお披露目の役割を終えて聖女の執務室に戻ると、灰色の子猫が元気に飛びついてきた。
「こ、こらっ! もぅ~。ミラノ、お疲れ様。大成功みたいで安心したわ~」
セフィシスが聖衣に爪を立ててくっついた子猫を剥がしにかかる。
複雑に食いこんだのか、なかなかうまくいかないのをみて、緊張が一気に和らいだ。
「猫さんの名前、決めないんですか?」
「う~ん、元々ユリウスの猫だから、名前、あるかも知れないし。でも今あの人、地下牢でしょ。それだけ訊きに行く訳にもいかないし、大体、面会できないわよ~」
ちく、と胸が痛くなる。
大勢の警護官の中で堂々と人事院院長を殺害したユリウスは、その後あっさり捕まって連行されてしまった。
イリス様も連れていかれて、地下牢にいるという話を総議長様から聞いている。
抵抗しなかったからか、その場で処分されなかっただけ、良かったって事になるんだろうか。
せめてセフィシスが、こうして傍にいてくれる事が、物凄く心強い。
―――アリスも、ジェストも、いなくなってしまった。
トンと扉が叩かれたのにどうぞと応えると、魔女探しのシヅキが、にこやかな顔を覗かせた。
「シヅキさん。あ、あの天使像、素敵でした。本当に、何から何までありがとうございます」
「いいえ、逆に私達協会が好き勝手にしてしまって、申し訳ないぐらいです。ところで、今、大丈夫ですか?」
「? はい。何か・・・?」
頷いたシヅキの後ろから、旅装の外套を深く被った長身の男が、トンと執務室の床を踏んだ。
急に、心臓の音が高く鳴る。
こんな長身の、男の人は、知り合いにいない。
「猫の名前は、特に決めていなかったそうだ。好きなように付けると良い」
低い声。
だけど、この響き方を、知ってる。
する、と深く被っていた外套を肩まで降ろすと、赤い短髪が、キリッとした頬に触れた。
「―――イリス・・・様・・・?」
赤い瞳が、微笑む。
「ただの、イリスだよ」
長身の、男の人。
アリスが最期に、お兄ちゃんって、呼んでた。
「やっと魔法が解けた。今まで、ありがとう。今度は君が主役だ。『光明の聖女』。・・・いい称号を、貰ったな。大変な事も多いだろうけど、無理はしないで―――」
暖かくて低い声に、ぱた、と涙が落ちる。
大きな手が、そっと頬の雫を拭ってくれて、息が、震えた。
―――どこかに、行ってしまう。
女性じゃなくなっても、きっと分かる人にはイリス様が分かる。
同情されているとはいえ、奴隷に武器を持たせて貴族に剣を向けた事は、総議長様が庇っても庇いきれない罪状になってる。
この中央都市で普通に暮らす事は、たぶん、もう出来ない。
それは、よく分かってる。
生きていてくれて、元気でいてくれれば、もう、それで十分なのに。
大きく扉が叩かれて、硬い声がした。
「失礼します、聖女様。お報せが」
警護官だ。
イリスはさっと外套を被ると、窓枠に手をかけた。
「あとは、よろしく!」
ぽんと外に出て、あっというまに見えなくなる。
直後に扉をあけた警護官が、その場で硬い敬礼をした。
「申し訳ありません。実は、地下牢にいた院長殺害犯と反逆罪の女が先日から脱走しています。捜査網を張っていますが、ご注意をお願いします。何かあればお報せください」
「―――わかりました。ありがとう」
忙しく一礼して出て行った警護官を見送ってから、窓に駆け寄った。
涼しい緑の匂いが、頬を撫でていく。
「もう・・・。いいところで、邪魔が入ったわね」
「い、いいところって、なんですか―――」
傍に立って茶化してくれるセフィシスに、あわてて、ぐし、と目を擦った。
「大丈夫よ。きっと、また会えるわ。生きてさえいれば、どこかで、繋がってるもの」
少しだけ、彼女の薄い髪色の下に哀が差す。
腕の中の子猫の尻尾が、その頬をペタリと叩いた。
「・・・皆が、安心できるように。安心して、ここに帰って来られるように・・・沢山、やりたいことがあるんです。手伝って貰っていいですか? セフィシス」
人の背中ばかり見ていると、迷子になる。
追い駆けてばかりじゃ何も出来ない。
人の役に立つっていうことは、求められてから応えるのじゃ、全然足りない。
いつか、イリスが頼りたくなるような、そういう場所を、つくっていこう。
大きく目をひらいたセフィシスが、ふわりと笑んで、子猫の前脚をあげた。
「よろこんで。―――『光明の聖女』様」
可愛い小さな鳴き声が、新しい風の中に、とけていった。
完
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