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展望が紡ぐ絆
激突と沸く魔物
しおりを挟む羽根をばたつかせて、水気を払う。
しっとりした毛並が重い。
小鳥の感覚が伝わってくる。
今日この時間に、この暗闇の中をわざわざ出歩こうという人間は、限られている。
いい時に、雨が降ってくれた。
活動している人間の絞り込みが、こんなにも簡単になる。
点々と動く小さな灯りの動きを、注意深く観察する。
市街地から、人影がひとつ。
貴族地区に入ってきて、まっすぐこちらに向かってくる人間がいる。
深く被った外套で顔は見えない。
だけどそれは、解放活動の拠点から出てきた。
そしこのシャロン=イアの邸宅の裏口
―――厨房から、入ってきた。
そこまで見届けると、意識を小鳥から自分の身体に戻す。
ユリウスは、静かに傍らの長剣を取って、長椅子から身を起こした。
「シャロン様。―――鼠が一匹、入ってきました」
隣で椅子にもたれている主人
―――シャロンに声をかけて、スラリと剣を抜く。
直後に、バンと扉が開いて、熱風が斬り込んできた。
『炎よ 我が意に従え!』
『風よ 我が意に従え』
黒煙がゴッと散る。
突進してきた長剣をガンと受け流し、すぐにキリ、と振り上げてきた二閃目を、刀身で受け止めた。
金属音が目の前で小刻みに鳴る。
刀身の向こうで、燃えるような赤い瞳が、大きく揺れた。
「ユリウス・・・?! どうして、ここに」
「やだなぁ、イリス。どうしちゃったんですか? 首領が一人で暗殺に来るなんて、駄目ですよ」
いつものように、ニッコリ笑んでみせる。
キリ、と唇を噛んだ赤い短髪の美人の顔を間近でみると、なんてからかい甲斐のある奴だろうと思う。
「どけ、俺は後ろの奴に用があるんだ」
「残念ですが、やらせません。私の剣が君の綺麗な顔を傷つける前に、退いて下さい」
ギュ、と刀身を回して外し、身体の中心をドッと蹴り飛ばす。
女の身体とはいえ、イリスは強い筈だ。
遠慮なく繰り出した蹴りがまともに入った事に、少しだけ驚かされる。
後ろに倒れたイリスの長剣をはじき飛ばして、素手を掴み上げた。
「シャロン様は6年も私を可愛がってくれたんです。誰にも殺させません」
「―――お前っ・・・!!」
傷ついたような、強い瞳。
いつも聖女の仮面を被っていたイリスの素の顔を、久々にみた。
これでこそ、イリスだ。
「・・・女性に、手荒な事はしたくありません。大人しく―――」
「ふざけるな!!」
左の拳が飛んできたのをヒョイと避けると、イリスはその一瞬に手を振りほどいて、距離を取った。
警護官が駆けつける気配に、イリスはぱっと手近な窓から速やかに逃げ出した。
「院長―――今のは」
ようやく駆けつけた警衛官は、逃走者の姿を見る事が出来なかった。
「あの女・・・生きていたとはな。ゲイルが殺したのは、偽物か」
「追いますか」
「放っておけ。仲間は既に袋の鼠だ。今は作戦を続ける。後でゆっくり捕らえてやろう」
イリスが残した長剣を拾って、シャロン=イア人事院院長は、それを軽く素振りしてみせた。
警護官から叩き上がってきたこの人間は、そう簡単に殺されそうにはない。
「―――少し早いが、進攻を開始する。行くぞ、ユリウス」
奴隷商人が遺した、取引の跡地。
朽ちるばかりだった空地に、今夜は、沢山の奴隷が詰まっていた。
星ひとつない雨の夜に、大勢が動く事は危険を伴う。
行動を始めるのは夜が明けてからだと聞かされていた彼らは、冷たい雨の中を、武器を抱えながら身を寄せ合って外套の下でじっと耐えている。
小さな猫の鳴き声が、静かな廃屋からこぼれた。
「こ、こら、外は雨よ―――」
しなやかな灰色の毛並を追いかける。
するりと建物の隙間に入ろうとする小動物が今にも暗闇にとけてしまいそうに見えて、急いで手を伸ばした。
それを黒い影に掴まれて、思わず悲鳴をあげそうになる。
「私の猫をお世話してくれていたんですね。ありがとうございます、セフィシス」
闇に溶け込んでいたユリウスの甘い声が優しく響いて、息を飲み込んだ。
「な、なんだ。びっくりしたじゃない。この仔、ユリウスの猫だったのね。っていうか今まで何処に行ってたのよ。イリス様もフラッと出掛けちゃうし・・・ねえ、本当に、これで大丈夫なの?」
ユリウスの肩に登った猫の喉を撫でながら、不安が滲む。
「そうですね。雨が降ってきたのは誤算でした。皆、寒い中よく耐えてくれていますね。中で火を焚いて暖まって貰ってはどうでしょう。少し動いた方が、身体に良いですし」
「え? 夜明けまで、そんなに時間はないと思うけど・・・」
「濡れて冷え切った状態じゃ、士気も上がりませんよ。ジェスト君も中ですか?」
「ええ。流石に仮眠を取ってるわ。教会の件とか、全部任せちゃってたから・・・」
「―――そうですか。じゃあ、出来るだけ起こさないようにしましょうね」
ふたりで廃屋に戻って暖を取るための火をつくる。
赤い炎が、外の暗闇に慣れた奴隷達の目に、眩しく揺れた。
蒼白な顔に朱が差して、入れ替わり笑顔になって戻っていくのを、ほっとしながら見守る。
イリスもいないし、ジェストは寝てるし、不安だった。
寒い暗がりの中に沈んでいこうとしているかのような大人しい奴隷の集団を、どうしたらいいか分からなかったから、ユリウスが戻ってきてくれて、本当に良かった。
「―――イリス様がどこに行ったか、知らない?」
外で奴隷達を誘導するユリウスに、そっと声を掛ける。
皆は首領がここを離れている事を知らない。
「おや、私じゃ駄目ですか? まったく、イリスは人気者ですねぇ。もうすぐ着くとは思いますけど、どこかで足止めでも食らってるのかも知れませんね」
ユリウスは肩に乗りっぱなしの子猫を、トンと渡してきた。
「この仔を拭いてやって貰えませんか? 寒いですから、君も暖を取って下さい」
小さく鳴く子猫を残して、次の小集団に声を掛けに行ったユリウスの背中を見送る。
よく考えれば、彼が実際に働いているのを見るのは、初めてかもしれない。
「もう・・・いつも、好き勝手のくせに・・・」
ずっと前から、イリスには秘密で連絡を取り合っていた。
口先は軽くとも、ずっと私達の為に動いていてくれていたのを、知ってる。
廃屋に戻って暖を取りながら子猫を拭いてやると、膝の上で気持ち良さそうに眠られてしまって、そこから身動きが取れなくなる。
パチパチと鳴る炎の前で、小さく欠伸を噛み殺した。
どこかで、低い、叫び声がきこえた気がした。
「・・・今、何か・・・」
気のせいじゃない。
続けてはっきりと外から悲鳴が上がったのか、周囲の奴隷達にも聞こえた。
さっと緊張が走る。
子猫を抱いて、急いでジェストを起こす。
「やべぇ! 何か攻めて来やがった!!」
バンと扉を開けて転がり込んできた奴隷の叫びに、凍り付いた。
「イリス様は、どうした」
「まだ戻ってないのよ。ど、どうしよう~」
ち、と小さく舌打ちしたジェストの背中を追いかける。
「皆、武器を取れ! 対抗するぞっ!」
ジェストの怒声に反応して、30人程の屋内の奴隷達の顔つきが変わった。
長剣を抜いて先陣を切って出たジェストに続いて、ドッと人が動く。
セフィシスは最後に廃屋を出て、外の光景に、ぎょっとした。
ぐるりと、取り囲んでいる物々しい炬火。
市街地に続く方向から悲鳴と交戦の音が入り混じってくる。
「あ・・・」
自分の血の気が引いていく音がした。
ドン、と壁に背中をぶつけて、それ以上はさがれない。
炬火の炎が、地面から沸きだした赤黒い沢山の魔物の姿を、照らし出す。
雨を吸い込んだ地面の闇色に、血の臭いが染み込んでいく。
奴隷を相手に、容赦はなされない。
不意を衝かれた奴隷達は武器を持ち直したものの、警護官の組織的な進攻に、なすすべもなく斃れていく。
あっというまに多くの死体を作って廃屋の方まで制圧するかに見えた戦場に、死体の数より多い魔物が沸きだした事で、警護官の進攻がとまった。
「まずは魔物を片づけろ! 奴隷どもなど、ついでで良い!」
戦場をつくれば、魔物が出る。
シャロンもそれを想定していなかった訳じゃない。
ただ本当に出現したことに、改めて驚いていた。
「・・・こう、ハッキリ出てきてくれると、気持ち良い位だな」
「魔物は血の穢れの産物だといわれています。奴隷を殺すほど増えると思っていて下さいよ?」
ひら、とシャロンが陣取っている屋根の上に飛び乗ったユリウスは、その隣に立って足元の惨劇を眺めた。
「つまり我々は倍以上の労力が必要という事か。厄介だな」
「首領不在で、ろくに訓練もされていない集団です。大したことは出来ませんよ。魔物さえ対処できれば―――」
突然、強い光が頭上ではじける。
照明の為だけの、簡単な光魔法だ。
セフィシスの蒼白な顔が、ちら、と見えた気がした。
「・・・見つかっちゃいましたね」
廃屋に向かって、にこやかに手を振る。
照らされたことでワッと魔物の集団の標的になったが、ユリウスは風魔法をのせた剣を一閃させて凪ぎ払った。
「なんだ、てめぇ、寝台の上だけが芸じゃなかったのか」
屋根の下から顔を覗かせたゲイルが、軽口を叩く。
ユリウスがやらなければ、彼が魔物を防いでいただろう。
「おやおや、私は結構何でも出来るんですよ。ここは私に任せて、魔物の討伐数でも稼いでみては?」
言いながら、警護官に襲い掛かる魔物に向かって風魔法を撃つ。
それをポカンと見やったゲイルは、ちら、シャロンが頷いたのを見てから、ばっと前線に乗り込んでいった。
「この調子なら、日が出る前には制圧できそうだな」
シャロンがそう楽観をした矢先に、ばらばらに沸いていた魔物の中から、ひときわ巨大な赤黒い魔物が立ち上がったのに、少しだけ息をのむ。
人の身長の三倍はあるだろう獣の姿が前脚を一振りしただけで、数十の警護官が叩き飛ばされた。
わっと逃げ出した警護官に、シャロンの怒声がとぶ。
「逃亡者は厳罰に処す! 矢を射ろ、怯んだ所を叩け! たかが魔物だ!」
組織内に走った混乱が緊張になる。
指示に従いながらも、びくともしない魔物に、じりじりと後退する。
「―――院長! 国防軍が、ここに!」
足元で部下が叫んだ報せに、シャロンの眉間に皺が寄った。
「国防軍だと? 伝令は」
「そ、それが、今すぐ戦闘を停止して撤退するようにと」
「代わりに戦ってくれるとでもいうのか、あの国防院の老人が」
「国防院院長ではありません。ウインツ総議長が、率いていらっしゃるんです!」
「―――あの、若造・・・。撤退はせん、魔物を始末してから退くとでも伝えておけ!!」
『光よ 我が意に従い 縛すべし!』
詠唱の声がひっくり返った。
光の線が巨大な魔物を絡め取ろうとして、身じろぎひとつで解けて散じる。
「きゃーっ! 失敗した~!!」
近づこうとした足が竦んで、思わずその場に座り込む。
獣の前脚がゴッと迫って、きつく目を閉じた。
「馬鹿か、逃げろ!」
ド、とぶつかったのは爪のある前脚じゃない。
気付けばイリスと一緒に、泥だらけになって転がっていた。
「セフィシス! もう少しさがれ、死にたいのか!」
濃赤色の私服の胸の中から、怒声が響く。
それに、おもわず涙が出た。
「ど・・・何処に行ってたんですかぁっ・・・ユリウスさんが、あっちに・・・!」
「わかってる。あいつが、裏切ったんだ」
素早く立ち上がって苦々しく吐き捨てられた言葉が、胸に刺さる。
だけどそれに浸っている余裕はない。
わっと近付いてきた小さな魔物を、慌てて叩き落とす。
大きい魔物は弓を放つ警護官に向かった。
「今なら警護官の包囲に弛みがある! 皆、一旦逃げろ! ここで死ぬなっ!」
イリスの声が、生き残って戦っていた奴隷達の間に響いていく。
ようやく首領の姿をみつけた彼らは、逆に、武器を握り直した。
「―――あなたが脱出しないと、誰も、逃げないでしょう」
いつのまにか泥だらけになったジェストが、ドンとイリスの背中に背をぶつけてきた。
「剣はどうしたんです」
「失った」
「俺のを使って下さい」
ぐい、とイリスに自分の剣を持たせて、ジェストは泥の中に沈んでいる手近な武器を足で探って拾い上げると、外套で泥を拭った。
「セフィシス、さがれ」
ジェストの小脇に抱えられると、頭の上でガンと金属音が鳴った。
「よく気付いたなぁ、褒めてやってもいいぜっ」
もう片方の短剣が閃いて、ザッと胸元を薙ぐ。
かわそうとして姿勢を崩したジェストと一緒に、泥の中に倒れ込んだ。
「お前っ・・・妹の仇―――!」
イリスが刺客に斬りかかったのを、視界の端で、みつけた。
ぶち、と胸の奥で何かが切れる。
光魔法の限界値が、口から迸る。
『光よ 降れ。道無き境を越えて来たれ・・・!!』
ドン、と、小さな落雷が、正確に刺客を貫いた。
衝撃と轟音が、辺りに響き渡る。
間近すぎる轟音に耳鳴りがする。
それでも、セフィシスはぐっと立ち上がり、落雷の直撃で倒れた刺客を、確認した。
「―――あんたさえ、アンタさえいなければっ・・・!!」
「セ・・・セフィシス・・・ッ」
イリスが眩んだ目を擦りながら、ぐい、と強く肩を引く。
耳鳴りで、イリスの声がよく聞こえない。
次の瞬間、泥の中に倒れた刺客を、巨大な魔物の後ろ脚がドッと踏み潰した。
泥と血が、冷たく跳ねる。
イリスに肩を掴まれていなかったらーーー一。
セフィシスは、一気に全身から力が抜けた。
血の気が引いていて吐き気もない。
とにかくこの巨大な魔物から離れないと、危険だ。
倒れたままのジェストを起こそうとして、息が、停まる。
大きく切り裂かれた胸元から溢れた血が雨に流れて、深い、ぬかるみになっていた。
「セフィシス!!」
ぐい、と腕を引かれて、ふらつく足がその場を離れる。
魔物に向けて放たれた矢が、もといた場所に降り注いだ。
「っ・・・や、だ・・・やだっ・・・!!」
「しっかりしろ! 君は、生きるんだっ!!」
すぐ耳元で怒鳴るイリスの声に、視界が、滲んでいく。
貴族地区の方面から、頭上に盾を構えた謎の一団が奴隷達の間にドッと雪崩込んだ。
突然の闖入者。
攻撃も何もされず無視されたような状況に、死にもの狂いでいた奴隷達は、唖然として彼らが警護官と魔物のほうへ盾を降ろすのを見守った。
「国防院・・・?!」
ぽつ、とイリスがこぼした次の瞬間、強烈な光魔法が打ちあがる。
セフィシスのものじゃない。
「双方、戦闘を停止せよ! この場は、預かる!」
光魔法の照明の下に、リッド=ウインツ総議長の姿がうかぶ。
その隣に、貴族の外套を羽織った少女の、蒼白な顔があった。
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