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展望が紡ぐ絆
言葉の力
しおりを挟む慌しく出ていったアキディスと総議長様を見送ると、急に部屋が静かになる。
つん、と服をひっぱるハーゼが、不安な目で見上げてきていた。
「・・・ミラノ。・・・だいじょうぶ?」
先日まで鉄球に繋がれていた少女に、懸命に背中を押されてきたんだ。
そう気づくと、急に情けなくなってきた。
「ありがとう。大丈夫よ」
くしゃりと金髪を撫でてあげると、ようやくホッとした笑みがこぼれた。
「お主達。そこの棚に焼き菓子があるから、自由に食べて今日は早く寝るがよい。おそらく彼らの帰りは明日になる。気を揉んでおるより、ずっと良かろう」
平然として総議長様達をそんなふうに言う黒髪の女性は、手元の仕事に没頭していた。
邪魔をしないようにそっとお礼を言って、棚の中に纏めてあった焼き菓子をひろげる。
沢山の種類に、ぱっと顔を輝かせてそれを頬張るハーゼ。
その隣でそっと口に運んだ焼き菓子は、ほんのり甘い。
不安と緊張とが、一気に和らいでいく気がした。
たぶん、ハーゼがいなかったら、喉を通らなかったと思う。
いきおい良くお菓子を食べたハーゼの瞼が重くなったのをみて、恐る恐る隣の部屋を開ける。
仮眠室とはいえ高価そうな調度品が揃った空間に、やっぱり少しだけ、圧倒される。
それでも、ハーゼをふかふかの寝台に連れて行くと、彼女はあっという間に寝息をたてはじめた。
可愛いなと思ってから、服も昨日よりずっと流行の可愛いものになっているのに気付く。
金髪を束ねている薄紅色のリボンはユリウスが整えてくれたものだし、服とあわせて小柄なハーゼに、よく似合ってる。
床にぺたりと座り込んで、ふかふかの寝台に頭を預けると、それだけで、十分気持ち良い。
―――横には、なれなかった。
どうしても、アリスの白い顔が、頭から離れない。
トン、と小さい音に顔を上げると、さっきの黒髪の女性が、仮眠室の入り口に立っていた。
「こら、そこで眠る気か。ハーゼを見習うのだな」
最初から気になっていたけれど、この人の独特な喋り方は、どこの出身なんだろう。
「眠く、ないんです・・・えっと、お名前をお伺いしても良いですか? 私、ミラノ=アートです」
座ったままペコリと頭を下げてみる。
総議長様より身分の高い人はいないだろうけど、多分この人も貴族のひとりなんだろうと、ぼんやり思っていた。
「シェリース王国女王補佐官、セキ=アドリスと申す。今回こちらへは協定の正使として参じておるが、リッドとは縁あってな。ここでも補佐官をさせられておるところだ」
ふう、と息をついた彼女の口から、なんだが凄い言葉を聞いた気がした。
「―――正使様?!」
「まぁ、そんな訳で私がいる所は治外法権。安全と思って貰って良い。逆を言えば私はこの件に直接介入する事が出来ぬ立場にある。アキディスを使うか、伝書鳥を飛ばすしか手助けが出来ぬ事、容赦願いたい」
真っ直ぐな言葉が、涼しく胸を撫でていく。
淡々とした言葉の中に温かさが滲んでいる。
緊張するより、どこか、ささくれていた気持ちが緩むような気がした。
「・・・私、結局何の役にも立てなくて。アリスちゃんも助けられなくて、イリス様の力になる事も出来なくて・・・イリス様を見失ったら、もう何をしたらいいかもわからなくって・・・本当、馬鹿ですよね・・・」
勝手に言葉がこぼれていく。
自分でも、何を言いたいのかわからない。
初対面の偉い人にこんな弱音を呟いてみても、何もならないのに。
いきなり正使に腕を掴まれて、ぐいと立たされる。
びっくりして顔をあげると、きり、とした真顔が間近にあった。
「悩んでおる元気があるなら、私の仕事を手伝うのだな。そうやって悶々とするのは、頭が暇なのだ。忙殺されれば、思い煩う事はない。それとも、きちんと寝台に横になるか」
厳しくて強く優しい瞳。
一国の王の補佐官。
その凄みが、暗く沈みかけていた私を、ひっぱりあげてくれている。
「・・・お手伝いします」
小さくそう言うと、少し元気が出てきた。
少しだけ笑んだ正使の背中に続いて仮眠室を出る。
改めてみる執務室の書類の量に、目を擦った。
「地方別に奴隷の状況と所属・経緯などが積み上がっておる。これを経緯の傾向で区分して、奴隷制廃止の後にどう処遇するかを法案として書面ではっきりさせねばならぬ。様々な状況を想定して明確にしておかねば、反対派の叩きどころとなるし、不正の種となる事もある。先刻までリッドがやっておったのは、傾向別に分けた内容に目を通して概要を纏める作業。これを今度は私がやるから、ミラノは地方別の山を傾向別に分配するのを任せたい。出来そうか?」
一気に事務色に染まった現実が展開したのに、気を引き締めて頷く。
さっきまで正使がいた場所にすっぽり入って、一枚一枚紙を色々な区分に分けていく作業に取り掛かって、思ったよりも複雑な内容に、さっそく息が詰まりそうになった。
これを総議長様と正使が、たったふたりで全部やろうとしていたんだ。
ちら、と正使を見れば、紙の束をバラバラと捲って目を通し、気になった所でピタリと止めてはさっと書き留めるという作業を、物凄い速度でこなしている。
「・・・ところでミラノ、先程自分の事を馬鹿だと言っておったが、それほど卑下するような事ではない。人間は皆必ず馬鹿な部分を持っておる。問題はその馬鹿が善い馬鹿か、悪い馬鹿かだ」
「善い馬鹿と悪い馬鹿・・・ですか?」
アドリス正使の手元の速度は変わらない。
仕事が速いうえに違う話も一緒に出来るなんて、凄い。
「王国出身の私には、王に忠実に仕えるのは臣下として当然と忠義だ。問題は、その忠義が国の為なのか、王の為なのか、自分の為なのか。そういう確たるものを自認しているかいないかは、大きい。きちんと自認している者は、誰に何を言われずともおのずと必要な働きが出来る。あやふやなまま周囲に同調し続ける者は、いざという時、信が置けぬ」
どうしていきなりそんな話になっているのか分からないけれど、ぼうっとしかけていた頭は、醒めてきた。
「じゃあ私は、悪い馬鹿ですね」
「悪い馬鹿は容易く善い馬鹿になれる。善い馬鹿は容易く極悪人になる。難しいのは、いかにして善い馬鹿であり続ける事が出来るかだな」
「・・・善い馬鹿が、極悪人になるんですか?」
「例えば奴隷の解放を目的に行動をおこすのは人道的に概ね良い事であろうが、聖女は方法が悪い。争乱になれば、魔女の魔物に双方とも潰されてしまう。戦場には魔物か水難、というのは、300年の魔女の世の鉄則であろう。そこに、解決や勝機というものは期待できぬ事だ。我が国の内乱の折も、多くの魔物が出た。当人にそのつもりが無くとも、多くの犠牲をつくることは避けられぬ。しかも、善い事をしておる自覚が強ければ強いほど、引き返す道を当人が選ぶ事は、難しい」
「―――戦場には、魔物・・・。300年前の、昔話じゃ、なかったんですか」
イリス様の事を出されて、どきりとした。
魔女が世界を支配しているっていう実感が、あんまり無い。
本当に戦場に魔物が出たり洪水になったりするんだろうかっていうのは、何となくぼんやり頭の片隅にはあったけれど。
「以前の元聖女反逆の際も、この街に多くの魔物が出たと聞いておるぞ。魔女の支配と法則は、伝説ではない。現実だ。魔女探し達も協会を作って情報の共有を始めておる」
頭の中で、ばらばらに散っていた何かが、ひとつの形になったような気がした。
6年前、セフィシスに引き留められて『降魔の聖女』の半分として教会に残ることになったこと。
イリス様が当時からずっと奴隷解放の活動をしていて、私には今まで何も求めていなかったのに、最近になって仲間入りさせてくれたこと。
セフィシスが当たり前のように、イリス様が私を守らなきやいけないと言ったのに、イリス様も自然に納得してしまっていた事。
「・・・そっか。私には、魔物を消す力があるから―――」
6年前みたいに、魔物が出たら、すぐに消してしまえば、大きな被害にはならないだろう。
私は、そのためにイリス様の傍で、守られていたんだ。
「―――何、魔物を消す?」
正使が手を止めてこちらを見ているのに気付いて、慌てて首を左右に振る。
「いや! あの、な、何でもないんです!」
「・・・『降魔の聖女』は魔物を消す力を持つと聞いたが・・・しかし、その聖女は実は解放活動の首領か。おぬし、もしかして、利用されておったのか」
率直な言葉に、胸が痛い。
でも、逆にすっきりした気がする。
「利用だなんて・・・。でも、そうかも知れません。私も、わかってて、それでも私に出来る事をしたかったんです」
―――できることをしたい
なんて、何もできなかった昔の自分の、言い訳かな―――?
「ありがとうございます。私、イリス様の為に出来るのが何なのか、わかりました」
首を傾げながらも、どこか温かい正使の視線を、うけとめる。
「利用した者の為に―――? 何故、そんな事をする気になれる」
「イリス様が、私を遠ざけていたことも、今も遠ざけてしまっている事も、多分、何も知らなかった私への優しさだから―――そういうあの人が、どうしても、好きだから・・・」
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