世界を支配する悪い魔女は こっそり気紛れの人生を過ごすことにした ~可愛い勇者に倒して貰うまで~

白山 いづみ

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教会の鐘は死者を数える

新しい聖女と、新しい悪役

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 盛大に教会の鐘が打ち鳴らされる音が、市街地の隅々まで響き渡る。

 低く、落ちていくような響きが、何十回、打ち鳴らされたのか。
 指折り数える事すら出来ない程に、延々と響き渡っていく。



 天使像のない聖堂の祭壇の前に、赤い聖女が跪拝していた。
 鳴り止まない鐘の音の途中で、赤い聖女は、すいと立ち上がる。

「・・・死んだ者たちを天へ送るこの鐘は、時を告げるのと同じ鐘で鳴る」

 打ち鳴らす鐘の位置を変えて、高い音は時刻の音、低い音は葬礼の音、と決まっている。

「今この時間は、死者の上に成り立っている・・・彼らが遺していったこの時を、無駄にしない。一刻一刻を無駄にはしない。そうする努力を惜しまない。私はこれからの教会は、そういうふうにあって欲しいと願います」



 一瞬ざわついた聖堂が、静かになる。
 
 それ以上の何かを言う気は無かったのだけれど、次の言葉を期待する空気に満ちる。
 それに一瞬驚いて、ふと息をついた。
 不特定の人間に頼られるということは、考えていたよりも大変そうだ。

「・・・努力を惜しまないというのは、まず、怠らない事。隣人を理解しようとする事を、面倒臭がらないこと。ひとつずつ物事に向き合う事。ぼうっとした無駄な時間をもたない事。・・・立ち止まっているうちに、時間は淀みなく、私たちを置き去りにする。去り行く死者たちの功績を活かせるのは、生きている者にしか出来ないのだから」


 これは、今考えた事ではない。
 ずいぶん前にアロークから聞かされたことだった。
 奴隷商人としての彼が、言った言葉だった。

 それがまさか、こんな場所で蘇るとは本人も夢にも思わなかっただろう。
 聖堂の聖使達から、空っぽの祭壇へ視線を戻す。

 その奥の中庭の緑が、薄明りに輝く。
 ―――考えるのは、苦手だったんだけどな。

 それでも、目の前のことを投げ出す訳にはいかない。
 きっとこの身体が元に戻るのは、身分制度が本当に改革される時だろう。
 そういう呪いのような魔法を、アイス=カークランドは簡単にかけていった。



 鳴りやまない鐘の音の中で、イリスは細くなった指先を、聖衣の中できつく握りしめた。






----------------------





「・・・うるさいな」


 貴族地区に重く響き続ける教会の音色が、息を詰まらせそうな空気をつくっていた。

 上級議員の葬礼かと思って、最初は厳粛なむきがあったが、その音が30を超えたあたりで、奴隷の数も含まれている事に文句を言いに行こうと思った貴族は、自分だけではない筈だ。

 だけど、いちいち細かい事の為にこんな夜に教会に出向くには、疲れ切っていた。


 ぽつりと文句を溢してから、さっさと寝室に向かう。
 自分がやらなくても、他の貴族の誰かが文句の一つの使いでも遣るだろう。

 引っ越してきてから新調した寝台に倒れ込んで、深い息を吐く。


 カールがいきなり視力を失って引退したのは、実家から独立しようとしていたシャロンにとっては降って湧いたような朗報だった。
 好き勝手だった叔父に感謝はするが、同じ寝台を使いたいとは思わない。
 とりあえずここだけは新しくしたが、その他の調度品は、順次交換するつもりだ。

 あの偉そうな女剣士の言に従ったわけではないが、街に出れば、やることは沢山あった。
 炙り出てきた犯罪者の取り締まりに、残っていた魔物の始末、住人への状況の説明―――。

「あー・・・疲れた」

「お帰りなさい、シャロン様」

 誰もいない筈の室内で声がして、跳ね起きる。
 窓際に、人影があった。



「―――誰が、入って良いと言った」
 緊張して身構える。
 まさか、本家の誰かの差し金だろうかと思考を巡らす。

 だが、進み出てきた顔をみて、驚きを通り越して笑ってしまった。
「―――お前は、馬鹿か?」


 ユリウスは、それに小さく笑う。
 日中見かけた血まみれの改造軍服ではなく、普通の奴隷服を着こなしている。
 

 ユリウスは手にした銀と黒の髪の束を、つきだした。
「アイス=カークランドとグランス=カークランドは、始末してきました。教会の反乱者はこの二人だけです。問題の殺人鬼は、あの橋の崩壊で、死にました」

 片手に握りしめた短剣には、べったりとどす黒いものがはりついている。。

「・・・で、お前の処分はどうした。道端で見つけたら殺す、と言ったが」
「殺されたくないので、こうして帰ってきたんですよ」

 薄く、暗い笑みがひろがる。
 言葉を交わしながら、ユリウスは新しい屋敷の主人との距離を詰める。



「なるほど、俺を殺せば、お前の所属はまた宙に浮く形になる訳か」
 少しひきつったような笑みで緊張を押し殺すシャロンに、ユリウスは足をとめた。
 
「あなたを、殺す?」
 ユリウスは首を傾げてから手にした短剣にふと気づいて、トンと床に突き刺し、手に伝っていた血糊をぺろりと舐めてみせる。
 そのまま寝台の傍で、膝をついた。

「あなたが死んでは、俺が仕える人がいなくなるじゃないですか。あの場で見逃して頂いた身です。何でもご用命ください。どんな人間でも、消して差し上げますよ」

 握りしめていた二色の髪の束を、差し出す。
「ひとまずこの2人の処分をこうしてシャロン様が握っておけば、今回の事件についての活動功績に数えられるでしょう。そこから炙り出てくる敵を潰し、取り立てる人を動かし、副院長に、ひいては人事院院長に昇進する・・・というのは、なかなかお気に召す話ではありませんか?」



 ぞっとする話がすらすらと出てくる。
 それでも、そこまでやることが出来れば、連鎖的に政界の裏側を掌握するに等しい。
 いくらでも息のかかった人間を作ることができるだろう。


 少し考え込みながらも遺髪を受け取ったシャロンに、ユリウスは人の好さそうな笑顔を、にっこりと作ってみせた。


「・・・お前は、タチの悪い魔物だな」
 あきれたように息を吐いた主人に、内心冷笑を浮かべる。

「そんなに褒められると、喜んじゃいますよ」




 イリスは聖女として、表舞台に立った。
 ならば自分はその裏側を把握して、状況の進行を操作するということが必要だ。
 身分と治安を管轄する人事院の内側を熟知しておくことほど、やりやすい立ち位置はない。

 シャロンには、可能な限りの昇進と栄光を握らせる。
 そして本当に大切な瞬間に、最高の苦痛と失望と死を贈ろう。


 これからを生きる奴隷達への、激励となるように―――。




 いつのまにか、あれほど鳴り渡っていた教会の鐘が止んで、深い静寂のとばりがおりていた。






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