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教会の鐘は死者を数える
辿り着いた幸せ
しおりを挟むぬる、と生温かい感触が首筋に流れる。
ぼうっとする頭に、ぱらぱらと小石が散る音が響いていく。
「っ・・・か、はっ・・・」
アロークは、ゆっくりと血生臭い空気を吸い込んだ。
「あー・・・」
中途半端に死にきれていない状況に、正直、困った。
足元が崩れ落ちた時、これは死ぬな、殺人鬼にはお似合いなんじゃないかなと思ったのだが、そう簡単には死ねないようだ。
ぐっと肩に力を入れた途端に、ガクッと力が抜けた。
同時に強烈な激痛が左腕を支配して、おもわず声にならない悲鳴をあげる。
押さえ込もうとした位置に、感覚どころか左腕が無いのに気付いて、ひどく納得した。
おそらく潰されて千切れたものだろう。単に切断されたなら、失血でとうに死んでいる。
右腕は無事なのが、せめてもだ。
これで両腕を失っていたら、流石に寂しい。
―――神経回路を遮断。痛覚を認識から外し、周辺から視覚を探す。
胸元に仕込んでいた鳥が2羽、目を覚ましてばたついた。
よく潰れず生きていたものだが、真っ暗では目がきかない。
そっと胸元をあけて逃がしてやると、暫く戸惑うようにばたばたと転がってから、どこかに空気の流れる隙間を感じてモタつきながら外へ出る。
一面の土埃。
小鳥の視界に意識を乗せて、ぱっと高く飛び立った。
見事に崩壊した橋の間に、おびただしい数の死体が転がっている。
瓦礫の一部のように無造作にそれが積み重なった景色の中を、ツイと羽ばたく。
金属のぶつかる音が鳴り響いた、橋の上へ。
「やめなさい! 彼らに、もう抵抗力はない!」
朗々と高い声が、ドスを効かせていた。
大量の野鳥を引き連れて、炎を纏った長剣をヒュンと振り払う。
その異常な存在感に、官軍の集団がたじろいでいた。
―――イリス。
なんて素敵なんだろう。
蒼き展望の聖女とは正反対の、赤い剣豪の聖女だ。
「ここの指揮官は? いない? じゃあどうして・・・いや、それなら今すぐに橋下の救助へ当たりなさい。先程の無力な奴隷への暴挙・・・少なくない民衆が見ている事を忘れないように!」
叱りつけるような断言に、指揮系統を持たない官兵達は、逃げるように散り散りになった。
その後本当に彼らが救助活動に向かったかどうかは判らない。
が、イリスはとにかく、残った金髪の奴隷達の顔をみわたして、怯えきった面々に向けて声色を柔らかくする。
「よく、生き残ってくれた。・・・ここまで、ありがとう。君達を奴隷身分から解放する。故郷へ、好きな場所へ帰ると良い」
突然の展開にぽかんと口をひらいた彼らの中のひとりを捕まえ、そっと真顔を耳元へ寄せる。
「アローク・・・女の格好をした野郎が、どこに行ったか知ってるか?」
「あ、あの・・・崩れていく中に・・・」
緊張で竦んだ若者が、震える。
その背中を叩いて、イリスはいそいで崩壊した橋を見下ろした。
「―――ありえない・・・」
頭を抱えて、その凄惨さに、呻く。
ついと、視界の中に2羽の連絡鳥がとびこんできた。
慌てて口笛で呼び寄せれば、まっすぐに飛んできて、差し出した腕に舞い降りた。
血を染み込ませた白い羽毛がカサカサに乾いているのを、優しくほぐしてやる。
指先がその羽根を撫でるたびに、ちゅん、と鳴く小鳥を、とにかく撫でまわす。
イリスはとっさに、何も考えられなくなっていた。
どうしてこの小鳥は、あの変態の声で喋らないんだろうか。
そんな事を思っていたせいか、鳥の大群が纏まって旋回し、自分のまわりを埋め尽くした事に気づくのか遅くなった。
顔をあげれば、西に傾きかけた陽光がフェリアの街を照らし出していく。
なぜか魔物が消滅した現象は、相当広範囲に及んでいたようだ。
どこかホッとしながら、急に、力が抜ける。
(終わったって事か・・・)
あまりに沢山の命の灯と一緒に。
中庭で聞きかじった話通りなら、法改正は成立していない。
これからが勝負の筈だ。
(なのにどうして、あの、くそむかつく声色が現れない?)
まわりに鳥が集まっているのをぐるりと見渡してみて、金髪の奴隷達が数人、まだ逃げずに残っているの見つける。
それだけなら早く逃げろと声をかけるところだが、彼らが一様に、イリスに向かって膝をついて頭を下げているのを見つけて、思わず後退った。
「・・・奴隷身分から解放するといっただろう? ど、どうした・・・?」
彼らは少しだけ互いに目配せしてから、青い瞳を輝かせてイリスを見上げた。
「帰る所はありません。だから、あの、貴女に仕えさせてもらえないですか?」
こんな得体の知れない野郎にか、と思ったが、イリスは自分の姿形に気づいて、ふと笑う。
次の聖女。
それはこういうふうに、奴隷層を集約していくための看板なのだろう。
だけど、本当にこれで良いのだろうか?
そもそもこれからどうすれば良いのかも、分かっていない。
―――考えるのは俺の役割じゃない。
それでもこの状況をうまく料理してやらないと、折角の食材ならぬ人材は、行き場を失って腐ってしまうだろう。
とりあえず、使い道が分からない時は、温存するに限る。
「・・・良いだろう。では全員散開して、3日後から5日後にかけて分散して、中央教会へ来るように。集団だと怪しまれるから、必ず個人単位で。それまでは息を潜めているように」
言ってしまってから、少し酷なことを言ったなと思う。
身元不明の外国人が3日間この首都で、ひっそり捕まらずに生き長らえるには、知恵と胆力が必要だ。
けれど、これからはそういう小技に長けた人材が必要な筈だとも思う。
「無理なら、逃げても構わない。地方の教会を目指すのも、ひとつの選択肢だ。奴隷から解放された自由の意思で、自分の道を選びなさい」
現在自分がどうしたら良いのかも分からないのに、よくもスラスラと言葉が出てくるものだと自分にあきれる。
黙ったまま顔をあげた彼らを直視せず、また瓦礫の山に視線を戻す。
こわれた無機物の合間に、たくさん人形のような死体が見え隠れしている。
頭のどこかが、あれは人形だと叫ぶ。
死体と分かっていても、それを認めたがらない頭をゴンと自分で叩いて、零れそうになった涙をぎゅっと目を閉じてなかったことにした。
「おい、アローク。何処にいるのか教えろよ」
手の中の小鳥に、小さく声を落とす。
可愛らしく鳴いて、ぱっと飛んだのに、息をのんだ。
「俺は飛べる訳じゃねーんだぞ、馬鹿」
使えるのは火の初級魔法くらいだ。
いざ高所からうまく飛び降りようとまわりを見渡して、おもわず息をのんだ。
―――街の人々が。
市街地の住民が、この場所に多くの視線を注いでいることに、ぎょっとした。
同時に、アイス=カークランドの周到さに、息を吐いた。
―――どうしても、俺を公式の聖女にするつもりか。
いまここは、皆が見ている舞台だ。
一般的に聖女は、最も必要とされ、最も何らかの特技に長けた人間が選出される。
勿論、前任者の指名があれば、その限りではない。
両方の要素を併せて認めさせようという罠に嵌った気がする。
鳥がざっと旋回するのに合わせて、火の魔法をぐるりと巡らす。
見かけ倒しだが、目くらましには丁度良い。
鳥と一緒にボッと炎が民衆からの視線を遮った一瞬に、ポンと脚を踏み出す。
積み上がった瓦礫で、思ったほどの高度はない。
着地に受け身を取ってから顔を上げれば、小鳥が待ちかねたようにピョンピョン跳ねてゆく。
累々と転がっている人形の破片に目を瞑り、一枚石の下の隙間へ入っていく小鳥を確認した。
土埃なのか、辺りを覆う死の臭いなのか、激しく息が苦しくなる。
小鳥が消えた隙間を覗き込んでみるが、真っ暗で何もみえない。
はげしい血の臭いだけは、鼻につく。
「アローク、おい、そこにいるか?」
言ってから、急に怖くなる。
返事がなかったら―――
「呼んだかい? 美人さん」
その声に、ほっとする。案外元気そうな声だ。
「ちょっと待ってろよ。この石どかすから」
そう言って巨大な一枚石に手をかける。
全力で持ち上げようと力を入れるが、どうしてか思った程の力が出ないことに首を傾げて自分の手をみれば、細い指先が圧力で真っ赤になっているのを見つけた。
それに、おもわず舌打ちする。
「くっそ、女の体ってこんなに筋力ねーのかよ!」
小さく笑った声が隙間から聞こえてきて、さらに渋面をつくる。
が、次の言葉に凍り付いた。
「イリス。その石、持ち上げないで下に押し込んでくれない? ちょっと私、あなたに見せられるような恰好じゃないのよ。このまま押し潰して貰えると嬉しい・・・あ、無理そうだったら、その隙間から焼いても―――」
「この馬鹿!! ふざけるなっ!!」
カッとなったイリスは手に込めた力に魔力をのせる。
炎。熱量。その、力を。
『火よ 我が意に従い 力となれ!』
めちゃくちゃな詠唱に、手の中にあった一枚石の全体に、急速にひびが入る。
「くそ、どけ!!」
全身全霊で力を込める。
次の瞬間、バンと大きな音を立てて、岩が粉々に砕け散った。
バラバラと落ちる砂埃の中に、右腕で顔を覆った金髪の人間がいた。
「アローク・・・!」
ぱっと歩をすすめて、ぎくりとする。
黒くこびりついた血と、溢れ出す鮮血の泥沼の中。
両足を別の柱に完全に挟まれ、左腕は千切れた服と一緒に見当たらない。
「もー・・・。だから、見せられる姿じゃないって・・・」
口先だけが、平然と喋る。
痛みが無いのか、と問いただしたくなって、やめた。
動物を操作する奴だ。自分の体の痛覚ぐらい、操作できるだろう。
だから、そっと抱き起す。
手を差し入れたさきから、ぬるりとした感触がして、びっくりするほど柔らかく腕に馴染んでくる。
血がはりついた首筋から、柔らかい光をたたえた瞳へと、視線を落とした。
「・・・ふふっ・・・イリスに抱いてもらえるなんて、幸せで死んじゃいそう」
平然と喋ってはいるけれど、力の無い息が、かすれる。
「馬鹿が・・・これからどうするのか知ってる奴が、こんな所でくたばる訳にいかないだろう」
喉の奥が焼け付くように熱くて、必死に声を絞り出した。
「それは・・・好きにしたら良いさ。ユリウスと・・・」
唇が動かなくなって、目元がふわりと笑う。
音にならない溜息が零れた。
「―――イリス」
「なんだよ」
「俺、今すげー幸せ」
「・・・そうか」
熱い水滴が、まばたきの合間にポタポタ落ちる。
「あのさ、何でお前、そんなに俺にこだわるんだ?」
やわらかい眼光が、すっと優しくなる。
アロークの含みのない笑顔を、イリスは、はじめて見た。
「・・・ただ、愛してる・・・。凄く、愛して・・・」
とろりとした頬を撫でれば、ひんやり冷たくなっていく。
絶対に、忘れないと思う。
忘れられる筈もない。
胸の奥底まで貫いていく、息が止まりそうなほどの、想い。
この想いをどう呼ぶのかは、知らないけれど。
息をしなくなった唇に、トンと唇を落とす。
暗い瞳から、うすく涙が流れ落ちて、血だまりの中に消えていった。
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