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教会の鐘は死者を数える
赤い水球
しおりを挟む中央議会議場の建物から東の地区へ延べられた陸橋は、大勢の奴隷達で埋め尽くされていた。
橋の向こう側で官兵と先陣が揉めている。
高台にある議場と東地区を結ぶこの陸橋は、見晴らしが良い。
フェリアの街を一望できる絶好の場所であると同時に、平民からは貴族の姿を遠望できる唯一の場所でもある。
そこに、外国人の奴隷が殺到している―――
一体何が起こっているのかと見上げて息をのんでいた街の人々の間に、悲鳴が上がった。
揉めていた先頭の奴隷が官兵に突き落とされた。
ほとんど時をおかずに道端から何体もの魔物が現れ、市街地は一気に混乱した。
屋内に入って鍵をかけろという声と、教会に逃げろという声が錯綜する。
そのうえ、議場から官兵が溢れてくる。
教会に駆け込んだ人々を待っていたのは、静かな聖堂と、数人の礼拝者だ。
突然多くの人間が逃げ込んできた事態に驚き、外の状況を聞いた礼拝中の貴族の娘は、黒い旅装の下から長剣をひきだした。
「武器の無い者は出来るだけ室内の狭い所へ。不用意に突っ立っていると、狙われやすいわ」
「セルウィリア様?! ま、待ってくださ~い!」
従えていた少女を残して、セルウィリア・オークリスは外に出て魔物に斬りかかっていく。
あっというまに主人を見失った少女は、宙を掴んだ手をきゅっと胸元に引き寄せて、おしよせた街の人間の様子をそっと見渡した。
(―――この中央都市は、魔物の対処法を知らないんだ―――。)
ようやく左右から駆けつけた聖使達によって教会の扉が閉ざされる。
教会へ逃げ込んだからといっても、扉が開けっ放しでは、防げるものも防げない。
「火を焚いて下さい。できれば香木で―――エラークでは、魔物除けに使いますっ」
「拝礼に使う蝋燭と蜀台しかありません。ここは、水を操る聖女様の教会ですから・・・」
少女の叫びに答えた聖使が、顔を曇らせる。
「でも、どうしていきなりこんな街中に、魔物が―――?」
聖使達の素朴な疑問に、集まってきた民衆が声をあげる。
官兵が奴隷を突き落としたからだとか、外国の奴隷が連れてきたのだとか、議会が魔女の意に反する法律を作ろうとしたからだとか、一斉に喋るが、どれも想像だ。
同時に、聖女様はどこだという声が挙がる。
この混乱の前に辞職を表明したという情報はさっと広まり、深い絶望感を彼らの間におとした。
「何をガッカリしてるんだい。自分が出来ない事を他人に押し付けて、自分の望みが叶えられずに失望するなんて、虫が良すぎるんじゃないか。望んだ未来を創るのは、運命ではないし、環境でもなく、他人でもない。自分自身と識りなさい」
高齢の聖使があげた声が、さらに彼らを黙らせた。
しんと静かになったところに、子どもの泣き声が響いて扉がドンドンと叩かれれる。
全員が飛び上がるほど驚いたが、次いで大人の声が子ども達を避難させてくれと申し出たので、ほっとして扉をすこしだけ開ける。
わっと街の子ども達が駆け込み、最後にボロボロになった黒衣の女が大きめの子ども達に引き摺られるように転がり込んできた。
「セルウィリア様っ・・・!」
「扉をしめて、早く!!」
厳しく声をあげた顔が、苦痛で歪む。
いそいで閉じた扉の外に、異様な質感の何かがドンとぶつかった。
扉を抑えた聖使の背に冷たいものがはしる。
「まったく、どうしたらこんなに一斉に、魔物が沸いて出る訳? ミラノ、火は?」
「香木とかが、無いそうなんです。ど、どうしましょう~」
「へぇ・・・香木が・・・。」
呆れたように口をむすんだセルウィリアは、彼女に助け起こされて聖堂を見渡し、ニヤリと笑った。
古い煉瓦造りの聖堂は、慣例どおり祭壇の上に天使像があり、その奥に中庭がある。
中庭にあるのは生きた木材だろうが、祭壇にあるのは、乾燥した木で出来ている。
「ごめんね、あとで寄贈させて貰うわよっ!」
まさかと思う隙もなく、手負いの筈のセルウィリアは天使像に駆け寄ると、木造の天使像の足元に大きな切り込みをつくった。
そのまま思い切り体当たりをすれば、線の細い天使像は、壇上から落ちる。
造形の細かな翼が大きく石造りの床に叩きつけられ、ガシャンと大きな音を立てて砕けた。
「何て事を―――」
絶句した聖使達を尻目に、短い詠唱で火をつける。
「本来天使像が木で出来てるのは、こういうときの為よ。無意味な偶像崇拝は、そもそもの教会の教義では無い筈。さあ、天使様に役立って貰いましょう」
煙をあげた木片を聖使達に押し付けて、四方に展開させる。
聖堂の長椅子のあいだに集まった民衆は、扉を激しく叩いてくる異様な質感の音に、身を竦ませた。
しばらくすると、火の気配に、魔物が扉を叩く音が少し減る。
セルウィリアは背中を預けていた祭壇の土台から背中を外し、ゆっくり立ち上がった。
―――誰も剣を扱えない。それは平和の証かもしれない。
だけどこういう事態の為に、本当は自己防衛ぐらい、できて欲しい。
「まだ戦うんですか? 怪我してるのに、やめて下さい。火があるから、大丈夫ですよっ」
「放っておけば居なくなるものではないでしょ。官兵はアテにならないわよ。貴族優先でしょうから」
突然、叩かれ続けた扉が破られた。
聖堂の古さが衝撃に耐えられなかったらしい。
慌てて火の点いた木片を放り投げて逃げ出した聖使の背中を、扉を叩いていた弾力のある蜥蜴のような尾が叩きつける。
そのまま民衆のあいだに吹き飛ばされて、悲鳴があがった。
巨大な異形の魔物が、ずるりと聖堂に侵入してくる。
それをみて民衆から恐怖の悲鳴が上がる。
―――そのとき。
皆が背にしていた教会の中庭から、強烈に、赤い光が爆発した。
ごう、炎を伴った煙が聖堂に吹き込み、魔物を怯ませる。
「剣を借りるよ」
セルウィリアの傍で、赤い髪がふわりと目の前を横切っていった。
握り締めていたはずの長剣の重みを失ってから、はっと我に返ってその背中を呆然と見る。
赤い長髪。
丈の長い聖衣。
その背中は、軽やかに魔物の足元に飛び込んでいく。
魔物の喉らしい所を深々と抉り、さっと剣身を引き抜いてすり抜ける。
巨大な魔物の後ろに控えていた魔物も次々に斬り伏せて、あっというまに密集していた魔物が砂になる。
魔物だったものがざあっと崩れ落ちていく中に、剣を地に突き立てた人間が、ただひとり立っていた。
聖使の誰かが、まさか、と呟いた。
その意図が聖使達の間に伝播する。
「火を絶やさないように。目の前の魔物は倒したが、根源は、もっと別にある」
少しだけ笑むと、聖衣の人間は再び剣を取って駆け出した。
そのあとを、煙にむせながら中庭から転がり出てきた少女が、涙目になりながらも慌てて追いかける。
「待て、セフィシス! まさか、あの人は・・・」
つかまえようとする聖使達の足元をかいくぐって、ひょいと外へ出た少女は、一言だけこぼした。
「そうです! 次の、聖女様ですよ!」
感嘆の呼吸をきかないうちに走り出した彼女が、いきなり転んだ。
大人たちが咄嗟に外に出るのを躊躇っているうちに、セルウィリアの従者の少女がぱっと駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか?」
「うぅ・・・追いつけないよ~! イリス様、速いぃ~」
足元に魔物が残っていたのかと思いきや、単純に転んだだけのようだ。
「どこに行ったか分りますか? 今ウロウロしたら、危ないですよっ」
「たぶん、議場の東側・・・。あ、いや、そう。そう言ってたの。私も一応、退魔師だから、大丈夫よ。ありがとね」
ヨロリと立ち上がったその姿は、危なっかしくて大丈夫には見えない。
でも、と困惑したエラークの少女は、ちらりと主人をみると、目で頷いたセルウィリアの強い眼差しを受け取った。
「あのっ・・・わたしも、連れて行って下さい。運の強さなら自信がありますっ」
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