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教会の鐘は死者を数える
背中に庇うもの
しおりを挟む呆然と、あまりの惨事に身を竦ませていた総議長が、やっと声を震わせた。
「こ・・・こんな・・・何が反乱だ、ただの虐殺だろうが!」
「ギルバート=ハーシェルの他に、価値のある上級議員がいたかしら」
アイスの声が、厳しく響く。
思いがけず激しい哀愁と怒気を込めた魔力のある声が、背筋を駆け抜けていく。
―――最初から。
ユリウスはこの場に及んで、呆然とした。
最初から、彼らは議場を血祭りにあげる積りでいたということだ。
だがそんな血生臭い計画に、イリスが乗る筈がない。
こうするつもりだった事を、隠していた。
現実は決して理想通りではないことを、グランスは弁えていた。
だけど、俺は、ここからどうしたらいい?
血の海に沈んだ上級議員。
それは、見慣れた学友達の親の姿でもある。
こういう殺され方をしたのをみたら、彼らは何を思うだろう。
―――血まみれの、泥沼戦だ。
それこそ自分とエラークの民との確執どころではない。
たとえ学舎を襲って貴族の子供達をも一掃したとしても、遺恨が様々な所に残るだろう事は想像がつく。
「さあウインツ総議長、決議を。今度こそ奴隷制度を撤廃しましょう」
霧を纏ったアイスが、まっすぐ総議長を見据えて、決議を迫る。
目を背けたウインツ総議長の口から、小さな溜息が零れた。
「どうして・・・こんな事をして、何の得があるんだ」
「―――私の展望は、願いを叶えるための道しるべ。流れる水の行方を轍を描いて導くもの。いまを生きる国民の幸福と、未来を創る子ども達の豊かな教養を願った、友人との約束を叶える為に、私はここに立っているわ」
まっすぐに言い放った凛とした声が響いて、その立ち姿が、残った議員達の目に焼きつく。
遅れて続々とやってきた警備員の後ろから、若い男の声が上がった。
「な・・・何を・・・してるんだ?! その殺人者を取り押さえろっ!!」
目が覚めたように、雪崩をうって警備員達が動いた瞬間に、アロークは左手に掴んでいた議員を目の前の一団に投げつけて、一足飛びに総議長の壇上へ駆け上がる。
あっというまに、総議長の喉元に血濡れた長剣をぴたりと添わせた。
その軽やかな動きに、殺到しようとした警備員達が唖然とする。
「さて、警備員の皆様。手始めに、今捕らえた奴隷達をお放し頂ける?」
その異常に艶っぽい声をきくや、彼らは捕獲していた金髪の男達を、大急ぎで解放して前に押しやった。
既に多くの議員が殺されている状況で、連邦国の総議長まで殺されては、国が崩壊しかねない。
放り出された奴隷達すら、凄惨に過ぎる指導者の指示なしには動けず、事態は緊迫した。
―――しぜん、脚が動く。
考えて、考えて、考えた。
だけど、正解がみつからない。
まわりが膠着しているうちに、ユリウスは総議長の壇上へ登っていた。
息をのんでこちらを見つめるウインツから、ぼうっと視線を流してみれば、血溜まりになった議員席と北方奴隷達、警備員が、固唾をのんで見守っている。
あとから入ってきた本物の軍服姿の男も、困惑の色を浮かべている。
錆びた鉄の臭いが、ふわりと鼻をついた。
アロークが、動いた。
静止していた剣を振りかぶった血の水滴が、頬を打つ。
その一瞬に、いきなり脳が回転した。
―――失ってはならない連邦国の代表者、総議長。
だからアロークは、あんなにあっさり殺した議員達と同じようにはしなかった。
けれど、意図通りにいかないこの総議長の替わりになりうる存在が、ここにあったとしたら。
俺に、総議長の影をみているとしたら。
「―――駄目だッ!!」
閃いたのと叫んだのと一緒に、身体が動いていた。
一瞬、時の流れがゆるやかになる。
アロークが振りかぶった剣の軌道が、はっきりと見えていた。
音が消える。
背中に押しやったリッドの父親の温もりを感じた瞬間、胸を薙いでいった冷たい衝撃に、脚が宙に浮く。
驚愕に目をひらいたアロークのまなざしが、大きく揺れる。
次の瞬間、ウインツを下敷きにしてドッと背中から倒れこんだ。
(―――止めようとした・・・けど・・・でも、止めたぞ。リッド・・・)
人の牢に真っ先ににやって来て、無力感にくずおれていた親友の姿を、思い出していた。
その気持ちが、嬉しかった。
だからそれ以来姿を消したのが、たまらない。
肩を誰かの大きな手が掴んでいる。
「アローク!」
遠く、アイスの高い声が耳に届いた。
「もう充分よ。退出しましょう。ウインツ総議長にも、よくお解かり頂いたようだし」
パキ、と胸の上で、何かが割れた音がした。
冷たい感触が肌を滑って、とん、と床に流れ落ちる。
―――氷。
ぼうっとそれをみつけて斬り傷がないのに気付く。
激しい斬撃をまともに受けた衝撃で息がつまっているけれど、胸元に流れる血は、アロークの剣についていたものだ。
どっと、議場が揺れた。
大勢の人間が一斉に動いたのだとわかるが、とにかく体が動かない。
斬れていない筈なのに、ドロリと濡れた血が、重い。
―――計画通り陸橋をぬけて、外に出なければ―――
小さく呼吸を整えて目をあげた先に、いまにも泣き出しそうなアロークがいた。
「・・・何、してるんです。早く撤退を―――」
ユリウスの声に、びっくりしたように顔をあげた。
透明な雫が、零れる。
「・・・アローク。貴方にそんな顔させる程の事、俺は、してないじゃないですか・・・」
びっくりするのは、こっちだ。
こんなところで彼の素顔を垣間見るなんて―――。
細く空気を切る音が鳴った。
ドンと壁の垂れ幕に吸い込まれ、ぶらりと垂れ下がる。
矢だ。
総議長の姿がみえない位置にあるから、アロークは今格好の的だ。
カークランド姉弟はどうしたんだと思う間もなく、大きく、獣の咆哮が響いた。
魔物ではない。
ざあっと鳥の集団が入り込み、広い筈の議場の空間を旋回する。
飛翔した矢をうけて、数羽が床に落ちる。
「ユリウス!」
なにか、幻聴がきこえたような気がした。
ドン、と壇上に重い音を響かせた、しなやかな体温が、喉を鳴らす。
いきなりこんな場所に、虎がいる。
当然のようにその背に金色の少女がいる。
―――陸橋の逃走路を確保している筈じゃなかったのか。
たっと黄色の毛並みから降りて駆け寄ってきて、ふわりとした金髪が視界の下にひろがった。
斬撃の痕をなぞる細い指先から、温かな体温が流れ込むような感覚。
衝撃でぼうっとした視界が、少しだけ明るくなった気がする。
「・・・大丈夫。わたし、守れるよ。ユリウスのこと、守れるよ」
明瞭で涼やかな声が静かに響く。
「ルトラ。土のにおいの皆を守って、あっちに導いてあげて」
いつのまにかもう2頭増えていた巨大な虎が、リーティアの声に応えるようにくるりと尻を向けて、議場に飛び降りていく。動揺の声のあとに、奴隷達が横の出口に逃れていく喧騒がきこえてきた。
「アローク、行こう? ユリウスは大丈夫だよ。・・・泣かないの」
リーティアがアロークそあやすような言葉が、おかしかった。
小柄な奴隷少女が力強い存在感を放っている姿が、目に焼付く。
―――才能っていうのは、そういうことか。
アロークのように、動物を使い(のり)こなす能力。
小動物みたいだとは何度も思ったけれど、実際に動物に近いとは。
「・・・ウインツ総議長。ユリウスに免じて、その命は預けておくわ。でも、制度改革に向かわなければ・・・あなたの代わりは、いくらでもいることを、覚えておくことね」
ぐいと涙を拭った素顔の声が、響く。
「お前は―――」
一瞬、相手の正体に気付いたウインツの声色が変わった。
咄嗟に肩を掴んでいた彼の手の下から肘を繰り上げて、総議長のみぞおちにめり込ませる。
思い切って身体を動かしてみれば、こわばった左半身に軽さが戻った。
完璧な氷の防護魔法のおかげで、衝撃の痺れが解ければユリウスは無傷だった。
背中の体温を押し退ける。
アイス=カークランドがいつのまにこんな氷の魔法をかけていたのか分からないが、とにかく助かった。
不意に、目の前のアロークとリーティアが、呻いた。
「―――トトラ!」
議場を覗き込めば、虎が一頭、官兵たちに引き倒されて、美しい毛並みをどす黒い赤で濡らしている。
警備員は総議長を人質にした反乱者には対応できないが、魔物の討伐には慣れている。
虎の脅威は、どんな姿で襲いかかってくるかわからない魔物に比べれば、可愛いものだろう。
「やめて、やめてっ!」
ぱっと転がり落ちるように壇上からとびだした少女を、一瞬唖然と眺めた警備員に、正規の軍服の青年が厳しく号令する。
「ボケッとするな、捕らえろ!」
「駄目だ、手を出すな!」
突然、拮抗する命令がたたみかけられて、警備員の動きが鈍る、その一瞬に、赤に染まった虎のもとへ少女がすべりこんだ。
相反する命令に驚いたのは。軍服の青年だ。
同じ声が、どうやって別の号令を下すのか。
「ユリウス」
青年の声を真似た直後のアロークの低い声が、あたたかく響く。
「俺の真似は、物凄く苦労するぞ」
ふっと、唇が耳元を通り過ぎる。
アロークは腹を抱えたウインツの傍らから、スラリと短剣を抜き出した。
総議長が持つ、護身用の刃だ。
実用される事は、まず、無かった。
ギルバート=ハーシェルがそれを抜くまでは。
血脂のついた長剣を捨てて、タッとリーティアのもとへ駆けて行く。
返り血に濡れた殺人犯の登場に、わっと人垣が割れた間をかいくぐり、2頭の虎と一緒に、奴隷達の逃走路を奪取する。
警備員が怯んでいる僅かな隙に彼らを全て外へ流し出すと、血塗れた虎を膝元へ寄せた。
見事な立ち回りに、おもわず息を吐く。
ふと、カークランドの姿がないのに気付いた。
奴隷達と一緒に、外に出たのだろうか。
そっと動いて、混乱している議場の端に降りようとした。
だが、背後から片腕を取られ、どっと背中に分厚い重力を受けて押し倒される。
小さな舌打ちが、耳元におちてきた。
「逃がすか。この、馬鹿者がっ」
「総議長! ご無事でしたか」
すぐに、警備員の足元に取り囲まれる形になっていた。
全身からさっと血の気く。
「―――よくここまで来た。だが、あの新任の隊長にも伝えてくれ。ここで警備を固める必要はない。市街地に魔物が出ている可能性がある。総員、民衆の保護と魔物の討伐に当たらせろ。ぼうっとするな。考えるな、奴に伝えろっ!」
「は、はいっ!」
ウインツ総議長はきっぱりと命令を下し、警備員を見送る。
その間にも身をよじって逃れようとするユリウスの肩を掴んで床に押しつけるのを忘れない。
眉を寄せたままの厳しい顔で、視線をおとす。
「虎の子は虎か。・・・君だけ、奴隷身分から解放してやろう。それで不服はあるまい? これ以上、この反乱に乗るのはやめておけ。アイス=カークランドに、いいように使われているだけだ。実際問題、真っ先に逃げただろう」
ぞっと、頭の芯が痺れる。
「・・・奴隷を、先導していったんです」
「どのみち、逃がすつもりは無い。反乱の罪を被るか、利用されていたとして大人しくしておくか、どっちが良いか、よく考えてみろ」
そう言い放ったウインツの目に、哀がうかんだ。
これ以上の幸運な提案はない。
奴隷から解放されて、罪にも問われない。
一連の出来事を喋ってしまえば、教会に根付いていた火種を一掃する功労賞だって貰えるかもしれない。
そう考えて―――小さくふきだした。
「どっちも、ないでしょう。私ひとりで奴隷から解放されてみたところで、何の解決にもなりませんよ。―――でも、ありがとうございます」
こういうのを、甘言というのだろう。
頭の奥を甘く撫でた妄想の色彩を、冷静に切り捨てていく。
言葉通りにしてくれる保障もなければ、期待どおりに事態が進行する訳も無い。
だいいち、ひとりで助かってみても、不快な展開に発展するのは容易に想像がつく。
「・・・人の好意には甘えるものだ。まったく、食えない所までギルバートにそっくりだな」
そういうのは、もう、聞き飽きた。
―――俺の真似は、物凄く苦労するぞ―――
そういった、アロークの背中。
俺は、高潔な人間になりたいわけじゃない。
必要とされた時に、驚くほど人の役に立つ生き方をしたい。
小さな破裂音と共に、白い煙が視界を埋めていく。
煙幕。
アロークの仕業かと目を瞑る。
みえないなら、音を感じた方が良い。
議場の動揺を感じ取ったところで、ウインツの腕がぐいと身体を拾い上げる。
その一瞬に、するりと腕の拘束を外して地面を蹴った。
目前に躍り出た黄金色の虎の首筋に咄嗟に手をかけると、身体をしならせてボンと背中に乗せるようにした虎の毛並みに、必死にしがみつく。
ぐんと重力がかかって、ふわりと身体が宙に浮く。
一足飛びに議場に降り立つと、風を切り、あっというまに外へ踊り出た。
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